DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.08.28

8月28日(火)頭を少しだけ楽にしようと波の音を探しに湘南に向かった。

台風15号の影響で黒紫色の空を滑るように低い雲が流れていく。奥行きのある宇宙の壁紙にピンで貼り付けられたような月が煌煌と輝いている。瞼を細めて無数に存在しているはずの星を探している。金の雫が一滴零れ落ちたと思ったら海面に跳ねて楕円の輪になり、消えては映え、消えては映えを繰り返していた。もう1つの月だった。足元の岩を3メートルほどの白い波飛沫が激情して打ち寄せている。ラベルとスメタナの競演を聞くような激しい三浦湾のコンサートを鑑賞しながら鰈の天麩羅と、白ワインを飲んでいる。

 「ペッシェ・グロッソ」(0465−29−1771)は、湯河原に向かう海岸沿いのレストランだ。店長の堀江さんは、いかにも別の業界で鍛えられた仕事師で、立ち振る舞いが柔らかく、接客の応対にもゆとりがあってこちらの心も思わず和んでしまう。テーブルの向こうに(20K位先だろうか)湘南の町々の灯かりが小さく見える。ガラス窓の下では、高気圧に煽られた高波がサイレント映画のようにゆっくりとレストランの壁を叩きつけてくる。テーブルに貝のかけらが飛び込んできそうだ。都心からたった1時間でこんなに気分転換出来るなんて本当に、気分がいい。

 1週間ほど前に、神吉君というニューヨークで勉強中の青年アーティストを紹介された。紹介人のモカ氏も、この秋オーストラリアのパースに武者修行に出かける。二人とも、前の組織にいた時代には、お目にかかれなかった感性の持ち主で右脳の一部が心へ真っ直ぐに伸びたままの状態で、自分の未来と相撲を取っている。遠洋漁業に出かける水夫たちは、遠くで光を放つ星の位置に敏感だし、頬をわずかに撫でる風の向きや潮の流れにも敏感に反応する。

 僕は彼らにこんなアドバイスを貰った

「もし環境の変化によって、得られるものがあるとしたら・・・・・。それは、環境を変えた自らのエネルギーの根源にある自信という名の希望であろう」

  と言う事を。

 対向車線が、平塚あたりまで続く大渋滞。何かと思ったら熱海の花火大会が終わり、家路へ急ぐ車の列だそうだ。しばらく、この店で時間のたつのを待とう。

参ったな・・・・・・「台風に花火か・・・・・・・」

今夜も寝られそうに無い。



2002.08.24

8月24日(土)秋雨の精が踊りだして

秋雨の精が踊りだして、夏の祭りがいよいよ幕を閉じようとしている。
睡眠不足・・・というより眠りのリズムが壊れている。明け方のほんの一瞬の3時間程度の“眠り”で一日を動かしている。
本来、夕方ゆっくり静かに聴かなければいけない筈の秋の虫たちの声を、早朝4時に聴いている。この時間帯の方が車のエンジン音にかき消されなくてよく聞こえるのだが。今朝は、夜の延長線上の玉川縁で無数のコオロギの羽音と、せせらぎが重なり合って大きな音の風に変わり、やがて無数の薄を巻き込んだ秋のうねりに変わっているのに耳を奪われていた。
晩秋独特の湿った23度の風の中で、辺り一体は週末の夜明けが来るのを静かに待っている。山梨遼平君の「愛のエンブレム」の詩のように、渋谷あたりのシティライトが遠くに見える。

昔、コオロギを熱帯魚の餌にするために、毎晩採集していた女の子の話を聞いた。その子のあまりの美しさにたくさんのコオロギ達が列を作り身を捧げる童話だった。あのコオロギ達とは、一体何の例えだったのだろうか?

金曜日の午前中、アメリカのルート66の旅から帰国した中内 功会長(僕は永遠に彼をこう呼ぶのだが)にお茶の時間を頂いた。二人で、大声で笑いながら中国の最近の世情やら、アメリカのGPS携帯の利用法の話やら、「夕焼け少年」特製手ぬぐいのデザインの話やら楽しい1時間だった。まるで僕の父親のように。

藤山容子氏(月影写真館参照)は、昔、「有楽町で逢いましょう」をヒットさせたマヒナスターズの女性歌手の松尾和子さんに似ている。こういうとご本人からクレームが付くかもしれないが、なかなかのグラマーでお洒落な母性的美人だ。
藤山さんはコンテンツホルダーつまり、アニメやキャラクターの権利を感覚的に無造作に所有している。このセンスが今の時代に合っている。つまり、これだけメディアが多様化してくると分衆化したニーズに合わせるのは瞬間的なタイミングを数珠のように繋いでいくことが重要。
その意味で、彼女のあたりはずれを見分けるセンスは中々の物だ。今、二人でなんと「梅干」を製作中。

午後の深い時間、飯野ドラッグの卒業生上田氏との会議。とても面白いスキームの誕生だ。日本の薬局が変わるかもしれない。
さらに、夜が近くなって黒に近い灰色の闇が、白いレースのカーテンを通り抜けて部屋のベッドにどんよりと横たわる。きっと睡魔だ。夜明け前の薄明と薄暮の色彩感覚が麻痺し混在した右脳に、水彩の街が黒いタートルネックを被せていく。「もう…少し休んだら。」

突然降り出してきた雨の雫がバルコニーのコンクリートに跳ねて、飛び出してきた10センチほどの雨の精がやさしく耳元で囁いた。



2002.08.20

8月20日(火)秋を思わせる湿度の低い心地よい風

秋を思わせる湿度の低い心地よい風が、ホテルの駐車場のセメントに映った青空すれすれに通り過ぎていく。台風一過の朝、多摩川あたりの川縁を散歩したらどんなに気持ちがいい事だろう。車の窓を開けて、1ヶ月あまり続いた異常な高温に蒸されたレザーのシートや窓際に吊り下げられたサマー・ジャケット、後部トランクのゴルフバッグや汗ばんだ手袋を陰干しにする。車の中に渦巻きがおきて、アート・ガーファンクルの高音の透明度が涼しげで一層シャープに聞こえる。お盆の連休を終えた人々が、今週から街に帰ってきた。余りの過ごし難さで人材の体力すら落ち込んでしまった新橋・汐留の高層ビルの建築工事現場のスピードもそろそろピッチが上がり、何とか帳尻を合わせるに違いない。
日曜日、TVのニュースで盆休みの帰省客のラッシュを伝えていたが、この不況では田舎に帰る予算を取れない家族がたくさんいるだろう。加えて東京という町の土産は金と情報くらいしか無いのにそれが圧倒的に消耗している。一方、海外からの帰国組もリフレッシュして「さあ行くぞ」という雰囲気も無い。成田空港にいやいや着陸した瞬間の空気の重たさや、明日から始まるそれぞれの日常の倦怠が早くもそういう表情にさせているのだろう。
誰も彼もこんな時こそ故郷に帰り、童心に戻り、昔の歌を歌い、夕焼けを見て、旧友と人生や国や地球のことを考えるゆとり、知性ある時間がほしい時期だ。
ホテルのタクシー待ちの客が少ないせいか、タクシーだけが何台も並んでいる。きっとホテルの空室率も6割、7割になっている。アイドリングの音と、秋を感じさせる鈴虫の音が混声し、黄ばんだ満月が増上寺の屋根に架かっている。
細川婦人のスペシャル・オリンピクスの最終日、2000人分の弁当を用意させていただいた。夫人の熱意というよりこの運動に懸ける笑顔と姿勢に惚れて。ボランティアに協力させてもらうと、少しだけ、ストレスと疲れが取れる気がする。自分より悩みが深く大きい人々に中途半端に接するのは、なんだか気が引けるのだけれど。あさっての木曜日は、新国立で「愛の妙薬」のゲネプロがある。これも胸が時めく。きっと朝方に首都高速を家路に急ぐ頃には、ぼやけた頭の中は睡眠不足のシンフォニー、日の出前の秋風に乗って空から舞い降りてきたコオロギや鈴虫の音がにぎやかに聴こえているだろう。



2002.08.10

8月10日(土)東京湾花火大会

東京湾花火大会の日は、いつも南西からの風が強くなるような気がする。そしていつもこの時期になると珍しい人と出会う、しかも何年ぶりに。
昨日もひょんな出会いがあった。福岡ドームのイベントを企画していた時代に銀座に「R‘S CAFE」という店が在った。そこで働いていたM氏と偶然に仕事場のあるマンションの玄関であった。あまり東京駅に人など送ったことなど無いのだが、京都に住む友人に頼まれていたベッカム選手のサイン入りユニフォームを額入りにしたものを渡し、新幹線までお送りし汗まみれになったため一度シャワーを浴びようと戻った瞬間の出来事だった。“分刻みの運命”を感じるな。
考えてみれば、事務所のあるマンションは東京湾が一望できる景観(特に夜景が美しい)評判で、作家や、政治家、音楽家や、芸能人、さらに得体の知らない成金が年がら年中出入りしている。その内に、顔見知りや、仕事のクライアント、ひょっとすると学生時代の同級生なんかとも偶然エレベーターの中で顔を会わせる事があるような予感がしていた。M氏が恵比寿で約束があるのに、タクシーが来ないと困っていたので送っていくことにした。天現寺の交差点を左折するあたりで、昨晩編集したテープは山梨遼平氏の「再会物語」に変わっていた。
花火大会の交通規制の影響で見物客はまだ晴海や芝浦や品川埠頭の辺りをうろうろしているのだろうか?普段の土曜日より閑散としたホテルのロビーを急ぎ足で駆け抜けて、事務所の冷蔵庫の中の冷やした水を一気に飲み干した。備え付けのラジオのチャンネルでBGMを選曲した。館内放送と同じ音楽が部屋の片隅に流れている。詩のついた音楽は好きでもない情景を思い浮かべるし、かといってニュースは煩わしい。無味乾燥で、気楽な音が聴きたかった。部屋の温度を23度に設定すると、川の水が干上がるように、流れていた汗が幾筋もの塩を残しては下着に吸い込まれていく。窓際のパナマ・ハットがふわりふわりと夜空に浮いて、繊細なバナナの様な月の先端にかかった様に見えたのは、心地よい睡魔のせいだった。
橘君に感謝、それとM氏にも。汗みどろのコミュニケーションに感謝。



2002.08.06

8月6日(火)窓から入り込んだ明け方の鋭い太陽光

窓から入り込んだ明け方の鋭い太陽光が無数の粒になって額の上に、じわじわと紫外線を吹きかけている。全身が汗をかき、自分自身の湿度にうなされて目が覚めるなんて何年ぶりだろう。まるで、赤道直下を走るハイウェイの上で夜を明かしたボイルド・サーモンだ。午前6時、生暖かい風の中を散歩、最近見つけた三田通りのパン屋さんのシャッターもまだ閉じている。福田警視総監(1985年退官)、ラリスの松岡さんとNHKから依頼のあった西本願寺1200年の企画の話をしながら、冷やし中華を食べている。このテーマには、饂飩か刺身定食の方が雰囲気なのに。刺身は常温状態の旬で食うと決め付けているのだが、この湿度ではおいしく感じられない。よって体の表面から内臓まで徹底的に冷やすのならやはり冷やし中華だ。
朝着たYシャツがもう一汗もふた汗もかいてくしゃくしゃだ。いつも持ち歩いているバリーのカバンは検討中の企画書で20キロほどの重さになっている。持ち物すべてが汗と倦怠と暑さによる過労を吸い込んでしまっている。今年手がけている仕事は、初めての人との未知の物が多い。仕掛けが大きく、判断してから仕事に取り掛かるまで時間のかかる仕事が多い。しかし、自主制作が少ない。僕はいつから想像力をなくしてしまったんだろう・・・ふとそう考える。音楽でいうと、カラオケの伴奏のような味の無い仕事、右から左へ素通りするような仕事はなるべくお断りするようにしよう。骨と肉のついた結果を生むために。



2002.08.02

8月2日(金)宇宙全体のストレス

宇宙全体のストレスという黒い低層雲の塊に立ち向かい、6000尺の雷刀の鞘をかざし暴れる武将。何年かぶりの激しい雨が芝公園のあたりを叩きつけている。いやになるほど熱かった夏を我慢していただけに、空を破いて地べたに突きさしてくる雷の音もめったに怒らないおとなしい女性が何万人も束になってヒステリーを起こしたように鋭く甲高い。ヒートアイランドも、すこしは冷静さをとり戻し、今夜あたりは、眠れる夜になるだろう。
昨夜は、麻布十番の「がいがい」で焼き鳥をつまんだ。渋谷あたりを首都高で走るころはもう朝の日差しに反射した入道雲が高層ビルの上層階を銀色に白くしていた。仮眠して朝8時に起床、かなりの睡眠不足状態で握力が落ち、やっとの運転で東京プリンスに駆け込んだ。日本住建の梅木さん、T・アライブの橘君、KTVの田中さんJUMPの梶田社長、飯野ドラッグ・飯野代表、大木の松井社長、IEの西沢さん、立て続けに7つの会議、それもそこそこ新企画ものが多いため、頭の中に残っているすべてのエネルギーを使い果たした。
最後の一滴というのは栄養ドリンクの底に沈殿したエキスの固まりと同じで土壇場の爆発力がある。半ば夢遊病に近いので想像力が現実を飛び越えてしまい意外と思い切った言葉が次々と口から流れて舞う。
まだ夕方の4時半だというのに徹夜明けの朝のように脱力し、窓をボーット眺めている。けたたましい閃光が芝浦から東京湾にかけて壊れた三角定規を重ねたように乱射している。そっと窓を開けると、急に温度が下がって爽快だ。プールの水色が張りかえられたタイルのように美しい。一人で泳ぎたいなぁ。
少し眠たくなった瞼を擦ると嵐が遠ざかっていくのが見えた。夕方6時30分。今夜の銀座のネオンは、今年一番澄んで見えるだろう。