DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2012.04.20

第18号 月刊「美楽」2012-5月号

『水たまり』
雨上がりの水たまりに、麦の穂を背負ったような雨蛙が揺れている。
組織や集団にも馴染めず、気楽に夕刻のひと時を過ごす若者のようでもある。

今日、道路の舗装が行き届き、「水たまり」という現象も見かけなくなった。
つまり、日本人の心も舗装されて閉塞のときを迎えているのであろう。





2012.04.10

第17号 桜という名の責任

 日本という島国に、もしブランドというものが与えられるとするならば、そこには、明治維新以来の歴史の上に立つ日本人像がある。それは、誇大妄想的な人材に対する評価であり、今日においては、とうに霧消してしまっているのではないだろうか。

 ブランドとは、一言で言うと、説明をしなくてもそこに立脚された信頼であり、確固個たる責任であり、“ある種の保障”のことをいう。

 昨今、日本人を評価する声は、欧米よりむしろ中国や、それ以外の発展途上国との比較が基軸の中心となってきている。簡単に言うと、戦後、築き上げてきた緻密な計画性や、加工業と言われようがその商品開発力、アートにおける想像力、組織に見られる連帯性・・・・・
 しかしこれらが評価されてきた“ブランド”は、実は国家経済の劣化というシンプルな要因によって、見直しを迫られている。1986年のバブルの到来から、流砂の如く雪崩れてしまった。


 増上寺の屋根瓦の下の群青の藤に春の闇が重なり、その視線が覆うように今年も薄白色のソメイヨシノが乱華している。
 富士山も桜も、共に残された永遠のブランドである。