2011.04.30
第12号 千葉グレンモアの地割れ
千葉成田のグレンモアは難易度が高いコース。
フルバックからのプレイは美しいレイアウトも水も風も感じるはずの自然の全てが敵になる。
しかも、本日のプレーは、コースの何箇所かに地震の後遺症・・・つまり地割れや、大地のゆがみがあると支配人が、ぼやいている。
「ゴルフ場の数NO1の千葉県でも、房総と成田では、随分被害が・・・揺れが違うんですね」。。。角屋さんとは、久々の対決である。
「この辺りで、池の底が割れるんじゃ、東北のコースは、傷んでますね」
青々と晴れた空の下、8番ホールの向こうに、送電線が聳え立ち、そこから福島原発のある東北の方に電線が、延びて行く・・・
関東地方の何処のコースに出かけても、その光景が美しければ美しいほど、あの日の”惨劇”と、フェアウェイの緑が、感じようも無い落差となって、自然と人間の関係の複雑さと、それを逃避させるような無常観を覚える。
しかし、テレビや、雑誌などのメディアに携わる一流の?人間たちは、何故あの津波で打ちあげられた生活の一部を”瓦礫(ガレキ)と、呼ぶのだろ
う。すべては、生活の一部であり、思い出のかけらであり、人間の一部であるはずなのに・・・・・・。
ある局の新人アナウンサーは、
「この巨大なごみの山・・・・・・を政府・・・・が・・・・なんとか」
あなたが、ごみの一部なんじゃないのかなあ?
2011.04.20
第11号 月刊「美楽」5月号
『毛虫も応援』
みんながもうとっくに、蝶々になったのに、僕だけまだ毛虫のまんま。葉っぱもたくさん食べたし、たくさん日の光も浴びた。それなのに、僕の体から、まだ羽が生えてこない。
葉っぱの隙間から近所の子どもたちが、田んぼのあぜ道で歌を歌っている。
僕と同じくらいの年頃かな。
2011.04.16
第10号 地震雲!?
地震雲!?3.11以来、空を凝視する事が多くなった。
あの災害は、到底映像や、言葉では表現できるものではないし、またそんな
技量は日本語には無い。
今朝もまた、何処かでわが身に、置き換えられない安心感と”虫のよさ”が
空を眺めさせているのカモシレナイ。
しかし、薄ら薄ら解かってきたのは、どうやら僕たち人間は、自然を
上手く利用して暮らしていると誤解していたが、それはとても悲しい傲慢
にすぎなかったと言うこと。自然が人間に”生きる許可”を与えていたという事。
それでも「誤魔化」しの豊かさの中で経済一本を軸に、動いていたこの国の事実は、東京電力のスタッフを見ても、それを批判しているほぼ日本人全体を見ても、今後もとろとろ変わる様子も無い。
黒い海が静に、そして自然に、人や、建物や、山や、社会に押し迫り、
巨大な胃袋のように、”生命”を放り込む。
「死」が普通で「生」が、奇跡という現実。我々、人間は死も生も選択
出来ない現状を、目の当りにしてしまった。
この生と死の間で、テレビや新聞や全ての媒体が、ただの数字と”お慰みのやさしさ”をCMにして、垂れ流している。
今や力の無くなった歌手や歌は、またもやお悔やみにもならない流行歌を、街中にたれ流している。
地震雲を見ていると無力になる。雲は、どんな形であろうが、自由で美しいだけに、無力になる。
私たちは、自然に選択されて、数十年を活かされている。
2011.04.09
第9号 桜の咲く日本列島
桜の花が、日本列島を、縦断する。
数年前から、この桜が開花しながら北上するスピードも、地域も以前とは違ってきているらしい。行きつけのホテルの一番桜は、「琉球彼岸桜」で、早ければ2月の下旬には濃いピンク色の花びらを満開にする。トリにあたる「ソメイヨシノ」が、増上寺の境内を夜空が見えないほどに覆う頃より1ヶ月は早い。
温暖化と言うよりは、何か地球の下で、ぐつぐつ地熱が滾っているのだろうか?生易しい気候や雲の変化と言うよりも、強力な地底のエネルギーが日に何度も、大地を揺らし、ビルを振り回し、テレビやラジオの音のない瞬間も、天井を見ると、壁が動いている気がする。
どうも三半規管が、麻痺し、体のバランスが、取れていないようだ。
今年の桜は、ほんの少し優しい色をつけている。街中のネオンと、看板と、オフィスの窓明かりが、消えた東京で、静に”弔いの声が”聞こえた。
月明りの下で、花びらが、囁いている。
「東北の仲間が、何本も何百本も根こそぎ海に流されてしまった」
*「散る桜、残る桜も、散る桜」