DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.03.30

3月30日(土)昨夜の雨で

昨夜の雨で、スモッグを含んだ雲がすっかり東京湾に流れ込んだせいか、沖縄の珊瑚に染まった海のような青い空。思いっきり春の風を吸い込んでセゴビアG・Cに出かけた。このゴルフ場には思い出がある。まず戸張捷氏の手がけたコースでも屈指の難易度、デズモンド・ミュアヘッドという白髪の名設計家がご自慢の腕を振るい、ちょっとやそっとのシングルでは対応できないホールの連続。何処かで集中力を失うとボギーやダボはあっという間に叩いてしまう。支配人の計らいで、レストランでは僕の作ったこのコースのテーマソングが流れていた。館さんも、福崎さんも、一家さんも作戦通り大叩きをしてくれた。今夜はおいしいワインが頂けそうだ。そう言えば、クラブハウスをプロデュースしたC・U・チェン君は元気でいるだろうか?
顔が紫外線で黒くなっている。左手はグローブをしていたので白いのだが腕も日焼けした。そんな“夕焼け少年”はヒルトン・ホテルの3301号で韓国映画の打ち合わせ。「シュリ」の主演女優のキム・ユン・ジンさんと色々語り合った。仕草や、表情を見ているとその自然な表現力は洗練された才女を感じるが、そうした美しさよりむしろアメリカ育ち特有の自由奔放なキャリアの方が魅力的に思える。ワールドカップをあと2ヵ月後に控えて、日韓の関係は今後大きく発展していくだろうし、このタイミングで彼女とどんなビジネスを出来るか楽しみだ。



2002.03.26

3月26日(火)桂小金治師匠の話・久能C・C

富里のインターチェンジを降りて、ゴルフ場に向かう道の両側は、桜が満開。気の早い柳の芽も吹き出して沿道の農家の垣根の薔薇が赤く開いている。
プレーが終了したパーティで久しぶりに桂小金治師匠から楽しいスピーチを2話聞かせて頂いた。
@或るコンペで2年連続の優勝候補A氏がプレーを終えて風呂に入ってきた。湯舟でA氏の噂話をしていたB氏はいつもの茶目っ気で“男らしい祝福”をしようと、洗顔中のA氏の後ろから両足の間(つまり股間)にぶら下がっている袋を思いっきり握り締めた。「おめでとう、連続優勝だって・・・・・?」
ところが後姿は似ていたものの祝福したのはA氏ではなく垢の他人。横でそれを見ていたC君曰く「おいおい“誤球」だよ。A氏、怒ったように「2ペナルティだぜ」・・・・・・。B氏「いや正確には2個だから4ペナですね」A仲の悪い兄弟が母親の乳を毎晩奪い合っていた。或る夜、兄は弟の寝ている間に母親の乳首に毒を塗った。翌朝母親の横に倒れていたのは、弟ではなく隣のおじさんだった。
久しぶりに39というスコア−。4メートル位のパットが2、3回入り満足。一家さんの誕生日コンペという事で、スクウェァーの宮本氏、キャッツの大友氏、日宅の西村氏、泉川ピート(ゴルファー)氏など懐かしい面々が勢ぞろいした。ところで、一家さんは何歳だったけなぁ。



2002.03.23

3月23日(土)徳山くんの世界戦

春雷が鳴って、海岸道りを打ち続けていた雨がやんだ。飛び石連休のせいか首都高速がひどく混雑して試合開始に間に合うかヒヤヒヤしながら第三京浜・港北インターを降りた。アルファ・オメガ・ソフトの小林くん、高橋君をも時間を気にしている。「TVの中継は7時30分からですよ」小林くんが時計を見ながらそう言った。
右手の闇の中にワールドカップの決勝戦が開催される予定の横浜スタジアムが見える。きっと2002年6月30日当日は大渋滞で車を使えないだろう。
先日ソウルを案内してくれた徳山君の弟はWBC世界スーパー・フライ級のチャンピオンだ。在日朝鮮人という自らの立場を誇りに、今日も横浜アリーナで挑戦者の柳光君を倒しにかかる。時間ぎりぎりになってしまったわれわれ3人を入り口でリングサイドのチケットを握り締めた徳山くんが迎えてくれた。ソウルで朝まであれだけ酒を飲んだ後だけに“戦友”が港に迎えにきてくれたようだ。席につくと安川(TAO)くんや(虎の穴)の辛君と挨拶。なんとTV朝日の皇氏も観戦にきている。試合は圧倒的に徳山くんの勝利。前半から一方的にスピードど手数で優勢だったチャンピオンが、ついに9R得意の右ストレートで挑戦者の顎を打ち砕いた。過去の戦績(KO率)から分析するよりかなり腕力がついて、久しぶりの痛快な一発KO劇だった。此処数試合の彼のパンチ力は充分に世界レベルの選手でもKOができるハード・パンチャーに育ってきた。WBAとの統一戦を平壌あたりでやれれば、ボクシングの歴史に彼の名前は永遠に刻まれる。
表に出ると、韓国のチョゴリを着た若い女性がたくさん輪になって踊っている。日本人も一昔前のようにこんな風に国の踊りと、英雄を誇れたらいいなぁ。
ファイティング・原田氏が今でもリングで拍手を浴びているのは、きっと日本人の記憶の熱かった時代のコンテンツだからなぁ。今は、きっと記憶より削除の時代なのだ。



2002.03.21

3月21日(木)さだまさし氏3000回コンサート

有楽町の東京国際フォーラムは、久々の満員御礼。さすがにまっさん(佐田さんのことを仲間内ではこういう)40代から60代の女性が全体の80%を占める。橘君と連れ添って入り口のさだ企画のスタッフに挨拶をすませ席に着いた。ちょっとした偶然の出会いがあってダスキンの千葉社長のご令嬢(JALの搭乗員)とも挨拶。頂いた本日興行記念のンフレットを読んで感動した。ふだんは身近過ぎて感じなかった彼の存在もこうして時系列に整理された写真や活字をしみじみ読んでみると改めて驚くもので、この3000回というのは年間100回のコンサートを30年も行ったという偉大な事業の足跡だ。これは多分ポップス界では世界記録だなぁ。例によって気の利いた話が情緒たっぷりの詩の盛り込まれ楽しいコンサートだった。
春一番なのか台風のような激しい風が吹いている。桜が今年は短命だなぁ。週末は花見でもしよう。さださんの歌を聞いたあとなのかもしれないが、増上寺の境内に無数に開いたソメイヨシノの花がいつもの春よりゆっくり揺れている気がする。



2002.03.19

3月19日(火)一家社長と「グレ」

銀座はいったい何件のクラブで「さくら祭り」と称する売上キャンペーンを展開中だろうか?ピンクの便箋や、色っぽい和服姿の写真付DM,など何通も会社に舞い込む。マンネリ化している手紙が殆どだが、中には懐かしい顔のママの写真に桜の枝が張ってあったりして思わず気持ちが傾くのだが、新年早々から今年は派手にやりすぎた。早くも接待費の枠をはるかに飛び越え、あと10ヶ月先の期末までどうしてやりくりしようか?
週末にこんな反省をしながら今週は少し控えようと強く思っていたが、夕方近く一家さん(ステファニー化粧品)から携帯の留守電に声が残っている。「どうしても聞いてほしい話が・・・・」といういつものパターンだがここのところ学生時代のように連れ化している事もあり11時に(グレ)に集合ということになった。この店はいつ来ても満席でデフレ経済何処吹く風、シャンパンが空いて、ブランデーが空いておまけに2次会開催となった。日本流通産業新聞の成田利明代表も引き連れて、(並木倶楽部)へ。明日生きていけるだろうか?の午前5時。




2002.03.16

3月16日(土)桜1分咲きの桜ヶ丘カントリー

ゴルフパートナーの館ひろし氏と多摩の桜ヶ丘カントリーで戦闘中。役者としての肉体的節制もたいした物だが、それにしても先天的に運動神経が優れている。しなる様な長身細身の体で強力なドロー・ボールを打ち、アンチックに近い“かまぼこ型”のパターが「集中できていい」とパーを拾う。本日は完全にやられた。何が原因かわからないが、途中で携帯電話が鳴ってからリズムがばらばらになった。訓示にもしているが、初めてのコースは力の半分で楽に打たないといけない。良く着慣れたズボンと履きなれた靴、見慣れたボール、始める前の練習。「いい友達だなぁ・・・・」なんて肩を組まれてしまった。がっくり。



2002.03.15

3月15日(金)ラジオ録音

春の陽気な風が麻布十番の街をぬけて、三田に向かう信号の横のスタジオで急遽アントニオ猪木氏のラジオ録音。こじんまりしたスタジオに大柄な猪木さんがいるとなおさら全員に緊張感が張っている。(月影写真館写真有)「サンクス弁当の発売開始日まであと1ヶ月。時間が無い。昨年ヒットした橋本真也くんの弁当より“破壊力”がありそうだ。今回は安田選手と、藤田選手の2人も登場する。



2002.03.14

3月14日(木)このエリアには縁があるなぁ

このエリアには縁があるなぁ。高層街を車で走っているといつも決まって空虚になる。人の気配を感じさせないビルの乱立が不気味なのだ。深夜11時に新宿のヒルトン・ホテルにキム・ユンジン氏を迎えに行く。カネボウのモデル(写真撮影)の仕事で来日。藤原紀香氏とのワールドカップ企画の延長らしい。少しでも僕の判り難い仕事の理解を深めようとイマジニアにお連れした。自慢の商品キティちゃんグッズをプレゼントした。高速を飛ばして溜池のスウィットに出かけた。照屋林賢さんも合流して深夜3時まで意見交換。アメリカ育ちのキムさんとの会話は、改めて英語の必要を感じさせる。



2002.03.13

3月13日(水)カナダ大使館横

カナダ大使館横の草月ホールに細川総理夫人が活動している映画の試写会「ABLE(エイブル)」に出かけた。スペシャル・オリンピクス運動は人口の1%は確実に存在する子供達のオリンピックだ。この世界大会を日本で実施し彼らの地位を高め、社会の理解を深めようという企画。長沢純さんや三井夫人に簡単に挨拶をすませ熱気ある会場を後にした。コンビニエンスから弁当を寄付してほしいお願いされた。1000食でわずか55万円だ。何とかなるだろう。今日は珍しくリクルートのアメリカン・フット・ボールの監督並河くんに合った。懐かしいずんぐりむっくりの笑顔を見ていると、重たいカメラを抱えて広報室で活躍していた彼の新入社員時代を思い出す。リクルートの友人に逢うと、不思議な安心感に包まれる。



2002.03.12

3月12日(火)霞ヶ関にある

霞ヶ関にある憲政記念館の周辺の桜はまだ細い枝の冬着のままで、ここ2,3日冷え込んだせいか心細いシルエットで皇居周辺の桜とともに春を待っている。ローソン名誉会長・松岡康夫氏の誕生日前夜祭、元通産省の西村君を励ます会が重なった。いつかこの2人の顔合わせを・・・と思っていたので松岡会長を西村君の会にお連れした。エイベックスの依田会長やHISの澤田さん、それに今夜食事を伴にするアクセスの荒川さん(ほか友人多数・・・・)と西村君らしく多士済々の面々。銀座の「はずき」で魚料理、そのあと久しぶりに「姫」の顔を出した。銀座は客が少なく、並木道りも黒服のほうが多く目に付く。まだまだ景気は良くならない。夜10時過ぎ「こうじんクリニック」の越智先生に無理をお願いして慈恵医大のVIP室をご紹介いただいた。相変わらず先生は陽気でテンポが速い。



2002.03.09

3月9日(土)勝負は

館ひろし氏とゴルフ。読売カントリー。ニッカ・ポッカにハンチングで全体を黒の基調にまとめたダンディーなスタイル。年を取ってもこれだけ粋なのは俳優という職業であろうが無かろうが素敵なことだ。ER2のしなる様なスイングに見とれていたらやられた。ここの最終ホールは本当に鬼門だ。193ヤードのショートで7打。何故、5番ではなく1番アイアンを持ってしまったのだろう?「勝負は慣れたクラブと、なれた場所・・・。」また一つ「夕焼け小校訓」のノウハウができた。



2002.03.08

3月8日(金)キム・ユンジンさん

午後の便で東京に帰ってきて城山ヒルズのサウナで昨夜の酒を汗にしている。ソウルでは会えなかったキム・ユンジンさんからTEL。今、横浜のパン・パシフィックに滞在しているというので誕生日のお返しを渡しに行った。日本語とハングルではなく英語でのやり取りをしかも携帯電話でしていると不思議で、別の要素を共有した関係のように思える。ベンツのロリンザーのエンジンの調整が終わって首都高速を快調に「みなとみらい」まで走らせた。



2002.03.07

3月7日(木)ソウル

朝11時のJALでソウル入り。ウォーカーヒル以来2年ぶりのソウル。サッカー・ワールド・カップ2002の準備の為なのだろう・・・空港が新しくなって、市内に続く干潟沿いの高速道路も工事が進んでいる。「シュリ」という映画の主演を務めたキム・ユンジンさんと夕食を食べる予定だったが撮影の為こちらを待てず。さらに何処に往っても車の渋滞で、サイクロン社、ICBN、I・COM・MEDIA社などの社長との会議も分刻み。8時からのディナーの中華料理と60度の酒で交互に何度も乾杯を繰り返しているうちに完全に激しく酔った。宿のリッツ・カールトンの200uのスウィートで2次会。アルファ・オメガ社の小林くんは此処でダウン。I・COMのクォン社長もソファーで倒れ、それでも僕は4次会へ。気がついたら、ホテルのジャグジーに浸かっていた。町を囲む丘の向こうから朝陽が登るのをボーと見ている。ソウルの空は茶色の埃を吸い上げたようで、どこかカイロやカサブランカの空気の色合いと似ている。「エッグ」の社長とモーニング・ミーティング。有名な映画監督を6人も抱えて投資ビジネスを展開している若手社長だ。頑張ってやっと椅子に座っていた。オムレツがおいしい。



2002.03.06

3月6日(水)猪木氏の弁当

アントニオ・猪木氏の弁当の契約で、恵比寿の事務所にお邪魔している。社長の倍賞氏は、ロマンス・グレーに髭を蓄えた硬派の紳士だ。彼の様にスポーツ・コンテンツを長い間仕事にしている人々は何処か共通点が在る。勘が鋭く、男の哀愁を漂わせ、その割に決断力が早く、奥深く寛大な雰囲気をかもし出している。民主的な横組織で左右に気を使いながら・・・よりは、縦社会ばりばりの組織で育った人の方が僕の憧れだ。どんな仕事も最後は勝つか負けるかしかないのだから。



2002.03.02

3月2日(土)高橋尚子弁当

サンケイホールで「高橋尚子弁当」の記者会見。小出監督にも登場してもらい酒を交えてのPR.思えば羽田空港にまで押しかけてこの企画が誕生してからまだ2ヶ月。リクルートの宣伝部時代の縁が無かったら、この仕事は在りえなかった。出会いって不思議だな。出会いって大切だな。



2002.03.01

3月1日(金)正式オープン

東正任WEBサイト「夕焼け少年」本日オープンしました。
みなさま、ご愛顧のほど宜しくお願いします。