DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.02.26

2月26日(水)ボブ・サップ(以下ボブ)氏のCM撮影のため、青山のT・キッチンに集合。(写真参照)

 主に印刷媒体用の写真を中心にラジオCM用の台詞の収録まで、久々に制作現場を訪れたが、何か普段のストレスを感じない楽しい時間だった。物を作る現場はやはり幾つになっても楽しい。カメラ班との絵コンテの確認から、ボブ氏はもちろんスタッフの昼食のセットまでこまごまとタイムマネジメントしているバンローゼの坂口氏がきびきびと無駄のない進行で全体をコントロ−ルしているせいもあり、僕はゆっくり現場を楽しんだ。


 以前リクルートの宣伝部時代にいくつかのTVCFの制作に携わったことがあるが一番の想い出は、「週刊ビーイング」に桑田圭佑氏を起用し、その撮影のために江ノ島を訪れたことである。風の強い砂浜の、岩の上にビーイングの旗を持った(何かの逆境に立ち向かうことを想定して)桑田氏を当時のリクルートの環境にも似せて30秒のフィルムで構成した。このCFは「稲村ジェーン」という桑田氏の監督作品の映画のPR的要素もかねており、桑田氏本人はもちろん、夕べから不眠不休で準備していた浜辺のスタッフは凄い集中力で撮影に専念していた。


 2時間ほど経っただろうか、風が強く吹き始め、押し寄せる波が少しずつ激しくなり、さらに悪いことに満ち潮の時間が近づいているのが解かった。シュートできる時間が無くなっていく。夏が訪れる前のまだ温度の低い早春の海に、腰まで浸かった桑田氏の唇がやや紫色に変わり始めた頃、たかがTVCF(コマーシャル)じゃあないかと思っていた僕の考えは、いつしか学生時代にメガフォンを握っていた頃の、映像に対する気まじめで不器用で無邪気なハートを取り戻し、ときめいていた。好きなことをしていると時間を忘れる。


 最近、胸が躍る機会が少なくなったような気がする。何が起こるかわからないような事態も少なくなった。ある程度のリスクと小さな成功も計算できる。すべてが決められたとおりに動き、シナリオという波の上をすいすいと無難に進んでいる。


 懐かしい記憶の中で、ボォーとしていると「ボブ氏と、写真でも撮ってください」と、再び坂口さんが優しく笑った。




2003.02.21

2月21日(金)夕焼けを見に訪れた多摩川沿いの公園に梅がぼちぼち実を膨らませ、気の早い蕾は赤い花を咲かせ始めている。(写真参照)

 昨日の前夜祭から、今夜にかけて誕生日にたくさんのケーキを頂いた。中でも東京プリンスが作ってくれたケーキは驚くほど大きく、ゴージャスで、思わずデジカメに納めてしまった。(写真参照)


 僕がずうずうしく「今年のプレゼントは、ラコステのポロシャツにしてください・・・・・サイズはDです」などと、誕生日を聞かれる人みんなに注文を出してしまったので、しばらくゴルフ用のポロシャツは買わなくて済みそうだ。


胡蝶花の女性にはデュポン社のライターやペンを頂いた。これらの高級品は持ち歩くと必ず無くすので、箱に入れて机にしまった。


 というわけで、2日間の間にあちこちの飲み屋で「ハッピー・バースデー」の唄を歌ってもらった。そのたびに悪い気はしないのだが、凄く照れくさく、しかし礼儀なので椅子から少しだけ腰を浮かせて頭を下げた。ワインやシャンパンを空けてもらいながら、何処か相変わらずみんなの祝福の輪から遠ざかってしまうもう一人の自分がいた。


 昔から、そうだった。初めは円の中心になって、たくさんの人々を集めるのだが、そこで“祭り”が始まり、集団の興奮がピークに達する頃、僕はひとり帰路に着くのだ。・・・・・・・へそ曲がりの美学だなぁ・・・・・

 3年連続で橘君にムードメーカーをお願いしたせいか、明るい雰囲気の宴が続いた。彼は、いつも円の中心にいて華やかだ。(いいなぁ・・・・そういう性格)


 最近、花の名前を覚えようと古本屋で「花暦」の本を買った。1年365日にはそれぞれに花が宛がわれている。ちなみに2月21日の誕生花は「クロトン」。別名「ヘンヨウボク(変葉木)」とも呼ばれるマレーシア原産の常緑樹。

異国、異文化への憧れが強く、エキゾチックな小物を収集するのが好きな人。と書いてある。(確かに当たってる所も有るかなぁ・・・・・?)


 トイレの便器に座りながら、20分も「花暦」をめくっていた。知り合いの誕生日をめくっては、本に書いてある「誕生花」と性格分析を読みながら本人を想像していた。


 そう言えば、半世紀前に冬から春に向かって生まれた僕は、夏から秋に向かって咲く花を“人生という花瓶”に飾らなければいけないんだ。やはりその場合の花は「菊」なんだろう。

 白い菊の花言葉は、「真実の愛」、赤い菊の花言葉は「私は愛する」、黄色い菊の花言葉は「軽んじられた愛」・・・・・・そう書いてあるのだが、僕は赤い菊のドライフラワーを生けてみよう。





2003.02.18

2月18日(火)東京プリンスの3階にある、「ボン・セジュール」で伊勢海老をつつきながらバルコニーの向こうの東京タワーを眺めている。陽気が上向いてきたせいか、早咲きのスミレが黄色い花をつけ始めている。

 どこから来たのかグレーと白の横縞の水鳥がはしゃぎまわって、池の淵にある石膏色の水がめから時折、水飛沫が上がる。昼からワインを飲むなんて何年振りのことだろう。アルバムの写真の打ち合わせをしている内に、ご機嫌になり、ほろ酔い加減だ。


 部屋に帰ると、2時間ほど転寝をしてしまった。いつの間にかヒーターの温度を28度に設定してしまったので、目が覚めたらおでこと背中にぐっしょり汗を掻いていた。


 窓のカーテンを開けると、振りそうで降らない灰色の空の下に、春を迎えるには中途半端な桜並木が、小さな蕾をつけながら増上寺の西門の方に続いている。もう3週間もすると、この部屋の窓からピンクに染まった桜満開の芝公園を眺めることが出来るだろう。



2003.02.13

2月13日(木)名古屋の御園座で公演中の、左とん平師匠がたった1日の休暇(公演の休日)が取れるという事で、午前6時の新幹線「のぞみ」に飛び乗った。

 浜松を過ぎたあたりで、太平洋の向こうから車内に朝陽が差し込み、改めてその日差しの強さに春が近いな・・・・・と深呼吸をした。オレンジ色の燭光が浜名湖や水辺のほとりの町を染めているのを見ながら僕は、再び朝の深い眠りについた。


 「クロス・クリーク」というジャック・ニクラウス設計のゴルフ場は、名古屋から豊田市を貫けて50キロの位置にある。とん平師匠の友人の車に同乗、赤字必死のイベント「万国博覧会」の会場や、作りかけの高速道路など相変わらずマイペースの中部経済圏で独自のインフラを生み出す“尾張”の底力を見たような気がした。


 山間の中に作られた川と、バンカーのトリッキーなレイアウト、昨夜からの不安といやな予感が的中しひどいスコアーになってしまった。やはり、初めてのコースは余程の自信がない限り上手くいかない。おまけに40センチほどのパットがぜんぜん入らない。初めてのコースはその自然と景観に飲み込まれ、いつの間にか気合と力が入りすぎ、リズムが壊れ、フォームがまったくばらばらになり、集中力が切れ、終いにゲームを諦める。


 帰りの新幹線は、ひどく脱力し悲しい夜汽車となった。


 気分転換に、銀座の酒場に顔を出した。いつもの店のカウンターの端に腰を下ろした。まださっきの惨めなゴルフが吹っ切れない。なぜ勝負所のパットが何発も連続してカップを舐めたのかなぁ?・・・・・・?


 Y氏が嬉しそうに「名古屋の出張どうでした?日帰りって大変でしょう」

「そうだね、新幹線って意外と疲れるんだ」

「お芝居はどうでした?」

「うん・・・・少し考えさせられたよ」


 12時過ぎに、N君に迎えに来てもらってジョナサンで打ち合わせ。隣のK嬢も久しぶりに僕の顔を見て、懐かしかったのか山ほどの質問を浴びせながらエビフライを食べている。


 何?・・・・エビフライ・・・・・名古屋の名物おかずだ。今日は名古屋で始まり、“尾張”も名古屋だ。


2003.02.07

2月7日(金)昨夜、アルバムジャケットの撮影が中止になったこともあって、夕方からホテルにて、再度次回撮影日の打ち合わせ。

 CPUの福田君に久しぶりに仕事をお願いして、アルバムのデザインを楽しみにしていたのだが、僕のスタッフのスケジュールが上手く取れず、ギリギリでキャンセル。深夜AM2時の出来事だった。そもそも多少の時間のずれは忍耐強く我慢すればよかったのだが、このところの、仕事過多もあって、イライラしてしまい、自分の顔がとてもカメラの前で作れる気がしなくなってしまい、突然中止宣言をしてしまった。外の温度は4度、寒い中待っていた連中はがっかりしたろうな・・・・・。


 海に近い三角州に流れ込んだ川が黒くゆったり流れている。


 天王洲アイルに掛る橋の欄干の両側のイルミネーションが闇に浮かび上がり、冷え込んだ明け方の空気を吸いながら、橋の真ん中を一組の恋人らしき男女がゆっくりと向こう岸からやってくる。


 寝静まった明け方の街は、今はやりの高層ビルと倉庫を化粧直ししたようなカフェ・バーがあるせいか、週末の夜は人でごった返す。
しかし今の時間帯は彼ら二人しかまったく存在しないかの様だ。


 橋を渡り終えるところで男がタバコに火をつけた。ライターの明かりでサンド・ベージュの厚手のコートの生地がくっきりとした時、さっきまで男の横に寄り添っていた女の姿が不意に消えた。


 まるで切り絵を貼りあわせたように、男の肩の向こうで女の全身が重ねった。


 きっとずっと以前に、この橋で二人は出逢い、この橋で恋をした。男はこの橋を「記憶」の道を辿るためにやってきた。・・・・・・・・


 こんな設定のジャケット写真を想定している。よって、結構神経質なのだ。


 アルバムの方は、「疑問」、「記憶」の2曲が完成。「伝説」という3曲目がほぼ収録を終えた。来週から、ジャケットのカバーの進行が始まる。5年ぶりの作品だが、今まで制作した中では、一番感じているものの表現に熱が入っている。

 パートナーが、昔からの友人だったのがここに来て、僕の救いになっている