DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.06.30

6月30日(日)梅雨の合間であるがかろうじての曇り空。

首都高速の羽田線から第三京浜の港北インターを降りると、ワールドカップの決勝戦を行う横浜国際競技場の周辺は意外なほど静かだ。道路の両側の電信柱には何千本もの黄色い旗がすっかりお馴染みになったコリア・ジャパンのロゴタイプの文字を揺らしながら揺れている。今朝のニュースで沖縄に台風3号が発生したと伝えているのだが、考えてみるとこの30日間、季節さえ止まったように感じられる。連休も無ければ、梅雨も無かった。裏庭でそろそろ始まる蝉のテナーも聞かなかったし、増上寺の石段を彩っているはずの咲きかけの紫陽花の花びらの色の記憶も無い。感性というものは、目の前に展開される超現実、特に勝者と敗者、白と黒が鮮明に分れてしまう様な光景には脆いのだ。
スタジアムの駐車場横に特設されたプレステージ・ゴールドのゲスト用テントの中で、アントニオ猪木さんや、ラモス氏、昨夜のモナコ皇太子のパーティでも会った石田純一氏らに挨拶。今日のパートナーの三柴氏も初めての経験にご機嫌だ。3時間も前に着いたので、今大会初めてゆっくり白ワインを飲んだ。過去の試合は落ち着いて試合を見ることも無かったし、客としてスタジアムを後にしたことは一度も無かった。今日で全てが終わる。そんな安心感と一抹の寂しさを感じながら十分に食事もとった。ローストビーフ、うな丼、そば、節操なく食べた。キックオフ40分前、テントから競技場まで数分、今にも降り出しそうな雨空を気にしながらゆっくり歩いた。最後の試合が行われるスタジアムまでの道のりを噛み締めながら徐々に増えていく人並みと喧騒を新鮮に感じていた。埼玉の6月4日のベルギー戦から、雨の仙台で18日のトルコ戦、静岡のイングランド対ブラジル戦、それぞれの勝敗はもう過去のものになっていた。この競技場に戻って来る事はないような気がした。入り口付近ではオリンピックでも良く見かける松明がこの大会の最後の燃焼を予期するように燃えている。ブラジル対ドイツ、どちら勝っても暖簾を賭けた老舗同士の戦いで悔いは無いだろう。スタジアムに着くと最前列の席に腰を下ろした。目の前で、ロナウドが、ロナウジーニョが、リバウドが体温を暖めるために、ピッチを確認しながら玉を廻している。右のコーナーの前では、ヨーロッパ屈指のキーパー・カーンがキャッチングの練習をしている。今大会何度も見た光景であるが、これが最後のシーンでもある。空から、雨が降り出している。土砂降りになっ
てずぶ濡れになるのも悪くないなと思った。




2002.06.29

6月29日(土)モナコの王子を乗せて麻布十番の「オアシス」の歓迎パーティ

モナコの王子を乗せて麻布十番の「オアシス」の歓迎パーティをプロデュース・・・と言ってもかなり気楽な飲み会を開いた。お泊りになっているホテル西洋はFIFAのVIPで占有されているためパスカードがないと入館できない。そんな中でも特に警備の厳しい2階のロビーで王子を待っていると濃く普通の紳士が現れた。グレース・ケリーの息子さんで、近々国王になられるというのに王子は随分気さくでニコニコ顔を絶やさない。今日も横浜の某所でサッカーの練習試合をしてきたらしい。来年、モナコに招待されたので、楽しみが1つ増えた。パーティには大友さん(キャッツ)、電通の清水勝男さん(WCの総責任者)、TV朝日サービスの皇さん、神蔵君、内閣官房の檜木君など懐かしい顔をお呼びした。明日はいよいよ決勝だ。



2002.06.18

6月18日(火)霧のように細かいが、じっとり柔らかく絡みつくような雨が仙台の宮城サッカー・スタジアムの周辺を濡らしている

まるでこの辺りだけを濡らす涙雨のようだ。今日、日本代表が負けた。誰も信じたくないだろうが事件はスローモーションのように試合開始直後10分に起った。パスミスからのコーナーキックに長身の選手の額に合わせられたボールが見事にゴールネットを揺らす。その瞬間だけ日本選手は何故か氷細工のように固まっていた。あのドーハの悲劇を再現したように。その後たんたんとだらだらとゲームが進み、トルコ・チームの速攻に1点を取られたままで、いつのまにか90分が過ぎた。最後の30秒まで点が入ると思っていた。おそらく5万人のサポーター全員がそう思っていたに違いない。しかし、根拠の無い安心感が勝負には一番よくない。こんな時、勝敗の神様は味方もしなければ奇跡も起こさせない。神を味方にする為には、恥も外聞もなくボールと敵を追い掛け回し、最後の1秒まで執念を燃やす根気が必要なのだ。神様は命を燃やす根性が好きなのだ。
行きに新幹線の仙台駅から貸切でお願いしたタクシーで、中途半端に火照った体を休ませながら福島駅まで高速を飛ばした。気障に聞こえるかもしれないが、早く仙台を去りたかったし、あの無数の青い応援のシャツの集団や、暗く重たい雰囲気の人の海を見たくなかった。ましてやため息満載の新幹線に乗ると運が落ちそうでいやだった。車の中で橘君と中尾さん(JAL)と妙に無理な冗談を言いながらも、どうしても励ましあってしまうのだ。
東北の田園地帯の闇の中にぽつぽつと農家の居間の明かりがともっている。今、終わったばかりのサッカーの結果をきっとニュースが流している。濃紺の奥羽山脈が巨大な枕のようにハイウェーの先を寝そべるように覆っている。まるで、負けた瞬間ピッチに倒れこんでしまった選手達の塊のように。



2002.06.09

6月9日(日)7万人を越す観衆の喜びの声が津波のように何度も聞こえてくる

「ニッポン・チャチャチャ・・・・・・・」。試合終了を待たずに横浜国際競技場を後にしてタクシーに飛び乗った。良くタクシーが拾えたものだと思う。
運転手が「良くやりましたね。後半は攻められっぱなしで、ヒヤヒヤしましたよ。何だっけ、あの選手やりますよね」「稲本選手でしょう。運がありますね」
第三京浜が奇跡的に空いていて芝公園のホテルまで40分で着いた。部屋に帰ってTVをつけると、右腕を天に掲げた稲本君のゴールシーンを何度も流している。さっきまで試合会場にいてどきどきしながら観戦していたのが嘘の様だ。何故僕はこんなに冷めているんだろう。シャワーを浴びて、窓を開けると生ぬるい風とともに1匹の蚊が舞い込んだ。いつのまにか日本列島の温度が上がり始めている。夏は確かに来ているのだが、そんな季節感など感じられないほど現実的な時間を1億人が過ごしている。勝つか負けるかという明確な結果の前にこれほど一喜一憂するパワーがこの国に残っていたなんて。



2002.06.06

6月6日(木)東京プリンスの窓から白いレースのカーテンを揺らしながら夜明けの風が吹き込んでいる

朝の4時前だが東京湾の方向の工事中の高層ビルのクレーンの注意灯が赤く点滅している。さっきまで銀座の「シエール」で野中君たちと飲んでいた。芝浦のあたりに「モーニング・ムーン」社の名刺と同じような薄く赤い三日月が浮かんでいる。何年ぶりだろう・・・小さな音でギターを鳴らした。
昨夜から殆ど寝ていない状態で「スペシャルオリンピック」のコンペに参加した。細川総理夫人の主催なので横浜の戸塚カントリーまで少し早めに出発した。昼間は今年一番の暑さだろう、グリーン場は40度近い。おまけにこの所5キロぐらい減量したせいかドライバーが曲がって、しかも距離が落ちた。フェアウェイを走ってみると体はやけに軽いのだが。ゴルフを終了して顔の汗を拭ったら鏡の中に別人の僕がいた。目が充血して、顔全体が日焼けした上にどす黒い。パーティを失礼して大急ぎでホテルに帰ってきた。1時間ほど仮眠をして日本・ロシアのチケットを届けに「シエール」に出かけた。M・S氏とはかれこれ10年近い付き合いになる。昔は六本木を仕事場にしていたが昨年暮れから銀座に再び突然現れた。この何年間の間にどんな人生を刻んだのだろう。チケットを片手に喜んでいる横顔に、忙しい生活から解放された様な、ほっと安堵の表情が浮かんでいた。



2002.06.04

6月4日(火)何が起こるか解らないので3時間前に芝のホテルを出て埼玉の日本、ベルギー戦に向かっている

高速のアクセスが良くなって東北自動車道の浦和までものの40分。埼玉サッカースタジアムまで多少渋滞したものすんなり到着。プレステージ・ゴールドのVIPテントで試合開始を待っている。さすがに食事をサービスするスタッフは手馴れているが、それ以外の受付や場口のアルバイトは緊張しているせいか表情が硬い。冷淡で機械的で乱暴にすら感じる。6万人という観戦客の数は別に特別多いわけでもないだろうがなんといってもそれぞれのサポーターの胸にある巨大な勝利への期待感が異常な殺気となってぞろぞろとゲートに向かっている。こんな熱気を受け止めるのは経験でしかないだろう。
ほんの数年前まで農村地帯だったようなエリアに突然WC用の競技場が作られたようで、先程までスタジアムの上空を田園風景の方がマッチしそうな薄い朱の夕焼けが頬紅のように染めていたが、試合開始が近づくにつれ、少しずつ群青色にかわり、美しいスタジアムのスポットライトが大きな蛍のように宙を照らしている。
満腹になって、どきどきしながら早足で、テントからゲートまでそれなりの何重ものチェックを受け数百メートル歩いただろうか、席につくと日本代表、ベルギー代表各選手がウォームアップの為の練習をしている。或る者はリフティングをしたり、2人でキャッチボールをしたり、突然走り出したりしているのだが、日本代表の青いユニフォームと反対のピッチで練習するベルギー代表の赤が緑の芝生に鮮やかに生え、スタジアムライトの燭光の中でまるでゲームの中に入り込んだような錯覚を覚える。この現象は目の前の現実を脳が理解できないでいるのだ。いわゆるバーチャル・リアリティが全ての感情を押さえ込んでしまった状態だ。
ゲームの話はさておいてとなりの岡田氏と君が代を聞くのは何回目なんだろう。そして、このワールドカップで最後に国家を聞くのは何処の国なんだろう。僕は、試合開始までにすっかり疲れてしまったせいか、途中でうつらうつらやってしまった。不謹慎であるが。