DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2001.03.30

東京プリンスの桜はカワズサクラを皮切りに、満開に向かってまるでオリンピックの水泳選手のようにゴールを急いでいる。ソメイヨシノの順番はどんなに急いでも所詮は出産日のようなもので一番最後になる。

東京プリンスの桜はカワズサクラを皮切りに、満開に向かってまるでオリンピックの水泳選手のようにゴールを急いでいる。ソメイヨシノの順番はどんなに急いでも所詮は出産日のようなもので一番最後になる。そのかわり今週の日曜日あたりは増正寺の空は薄いピンクで覆われ、”正直者の幸福”を一人占めする。

さだまさし氏が鹿児島のコンサートを満席にした。その客のなかに母がいた。足の具合が少し良くなって、さださんのコンサートを久し振りに観に行った。楽屋に挨拶に行くというので得意の卵焼きと焼酎を持たせた。翌日、宮崎のフェニックスに行くゴルフの車中からTELがあって「卵焼き、本当においしかったよ」とのお礼。さだ氏らしい気配りに感動した。あの映画のような家族の風景描写は、こんな神経の繊細さがエネルギーの源泉だろう。



2001.03.26

実のところ、今日は4月20日。芝公園の桜は今年も1万人に”花見客”を集め、日本は本当に不況なのかと思わせる。

実のところ、今日は4月20日。芝公園の桜は今年も1万人に”花見客”を集め、日本は本当に不況なのかと思わせる。さだ まさしさんからお礼のTeLを頂いた。・・・・というのは、3月26日は久し振りの鹿児島コンサート。母は、足の具合を跳ね除けていそいそと会場へ足を運んだ。「楽屋を尋ねて何か差し入れをって考えてるんだけど、あなた何がいいかしら・・・・?」そんな相談を当日の朝受けた。

母の得意は卵焼き(上品な甘さと酒の香りのバランスがいい)とハンバーグ(僕は30年間これを食べつづけている)。それを是非まさし氏に味わって欲しかったので、鹿児島の焼酎と一緒に土産に届けてもらった。宮崎に向かう、おそらく日南海岸沿いの高速から「お母さんの卵焼き・・・本当においしかったよ」・・・・・わざわざこんな言葉の為にTeLしてくれたさだ氏にかえって恐縮。彼の、”詩”のテーマの心に何か久し振りに心が揺さぶられた。

数年前、加世田(鹿児島の日本海よりの海岸)で「砂の祭典」というイベントの仕事を手伝った。あの日は、大きな台風が薩南地方に上陸し、日本海に面した海岸線は冬の嵐のように黒い群青色に変わり、砂をあしらったビルのような巨大な作品はいずれも今にも作品ごと海の底に引きずりこまれそうになっていた。”向かい風をうけたライオン”は、僕のリクエストの為にマイクに入る強い砂交じりの風を両手で避けながら熱唱していた。あの日も、さださんの心に感動した。横にいる父が、誇り高そうにサングラスを拭いていたのを思い出した。


2001.03.16

あっという間に、春欄間。

あっという間に、春欄間。東京プリンスから増正寺に繋がる側道のトウキョウハザクラを筆頭に、2週間後に境内の空の上を覆うソメイヨシノまで僕の一番ドキドキする瞬間がやってきた。冬をやっとの体力で乗り越えてきた老人たちが、この時期ゆっくりこの場所で花見をし、生をかみ締める。

コスモスライフの入村社長(さん)に久し振りに会った。リクルートの時代からそのジェントルで、クールなキャラは尊敬していたが、4年ぶりに目の前で穏やかに金子君の”Gの会社案内”に耳を傾けるその姿が懐かしかった。「東・・・、まっとうにやれよ・・・・。」帰り際にオフイスの奥から僕に叫んでくれたのが有り難い。・・・・まっとうとは、きっと飲みすぎるな・・・という事じゃないだろうなぁ・・・・。もっと、僕に対する経営的な注文かしら・・・。

アミューズ・ピクチャーの宮下社長と、第一パンの柳井常務と打ち合わせ。映画は金融業である。との宮下さんの話にアメリカの映画娯楽ビジネスと我が国の映画市場とのスケールの違いを感じ、また台本一つで投資する”感・勘”の勝負に”コンテンツ・ビジネスの本質を垣間見た。

アントニオ猪木さんからお誘いのTEL.アメリカから帰国されると必ずワインをやる。朝まで。カストロ首相直伝の葉巻の香りに、南米育ちの”永遠少年”は静かにゆっくり夢を語る。僕は、その圧倒的な包容力と男らしさに”自分の幼さ”を痛感している。



2001.03.12

サントリー・ホールの前をワインでほろ酔い乍ら、全日空ホテルに向かっていくと、この冬一番の北風に向かって1組の中年夫婦があるいてくる。

サントリー・ホールの前をワインでほろ酔い乍ら、全日空ホテルに向かっていくと、この冬一番の北風に向かって1組の中年夫婦があるいてくる。いかにも品のあるウインター・ファションをよくよく眺めながらすれ違うと「よぉ、寒いね・・・。東君どちらへ」森ビルの森 稔社長だ。スウィットの広瀬君は頭を下げながら「こんにちは」を連発。あまりに偉い大家さんに恐縮している。この瞬間、風がとまった気がした。

東京プリンスの松田さんと、銀座の「並木倶楽部」へ、喉の調子が生まれては初めてここ3週間悪い。一説によると花粉症が声帯を壊していく過程で、風邪と扁桃腺炎を併発したのかもしれない。首都圏中こんな症状の人が一杯。僕は、通勤電車のラッシュもないし、感染するとしたらサウナか、イマジニアの役員会のメンバーか、ホテルのラウンジしかない。それとも、銀座の「ながよ」か?・・・・・・・。

アミューズの映画「C」の販促策で、第一パンの柳井常務と秘策を練っている。もともと松岡会長との柏ゴルフがきっかけで橋本真也君のサンクス「格闘技」弁当に企画が発展し、それがいまやビジネス・モデルとして、あるいはコンビニ弁当媒体作戦として楽しみになってきた。

昨日の鹿児島は満月、完璧な円形ではなかったが桜島の右肩に黄橙の堂々とした存在感。鹿児島空港は、ラスベガスで見た夕焼けのようにオレンジ色に染まり、砂漠の灰塵のかわりにセメント色の滑走路がひろがっている。天文館の「マリー」で吉見君と一杯。翌日父と一緒に「湯の浦カントリー」で16H。父も僕のドライバー(横井さんに創ってもらった)があっているらしく飛距離も60代の頃を取り戻し180Y平均で上機嫌。78歳とは思えないショットを連発。僕は、驚くなかれ前半40.特に最終18番は547ヤードを2オン。午後の16番でも、池越え260Yを超えてグリーンまで70Yまで白球豪打。1ヶ月ぶりにクラブを持ったにしては上出来。

母のハンバーグを6個たいらげ、薩摩に浸った。



2001.03.06

夕方、1週間ぶりに”歩く時間”ができたので芝公園から、神谷町の「G」まで10分。

夕方、1週間ぶりに”歩く時間”ができたので芝公園から、神谷町の「G」まで10分。この1年の間に、慈恵医大が高層化し、桜田通りの寺院が60階急のビルになり、聞く所によると13階から墓地にする予定だという。一体このマンションの13階以下に誰が住みたいと思うのか?森ビルは、どんどん街をオフィスに変えていく。住む人のスタイルも否応なくIT化し、高層ビルの上から景色として日常を眺めているような”あいまいな判断”が都市に溢れている。

昨日久しぶりに大兄貴の戸張捷さんからTel。
「日本は戦後の役割は終わったんだよ。これから、20年はダメだね。東京タワーも役割を終え、その周辺のビルも老巧化し、立て直すパワーも将来はなくなるよ。」歯切れのいい声が、TVのゴルフ解説同様に客観的なだけに説得力を増し心地よかった。僕が最初に憧れた先輩でもあり、日本人ばなれした地球的価値観に圧倒される。会いたいので、来週一杯やる事になった。

久しぶりに「金田中」(築地)に呼ばれた。諏訪さんの演奏でE氏と2人コンサート。さだまさし氏の歌シリーズ。京都からの千代里さんもこれまた久しぶりの美形。上方言葉に三味の音。林 真理子さんお勧めの芸者さんらしく知性的。同志社大卒の彼女の価値観もこれまた興味あり。

夜、中丸 美千絵さんからTEL.。実家が強盗に遭って宝石類からパスポートまで”やられた”と元気が無い。茨城の実家にかえる常磐道で突然僕の携帯番号を思い出したらしい。オペラ人生そのものの彼女はいつも誰かに見られているのか・・・。



2001.03.01

すっかり春の風が吹き始め、東京プリンスの玄関の女性のユニフォームも重たいコートから普通のスーツだけに変わった。

すっかり春の風が吹き始め、東京プリンスの玄関の女性のユニフォームも重たいコートから普通のスーツだけに変わった。


吉行淳之介の「驟雨」にもあったが、この次期の雨は短時間に荒らしのように降る雨と、1日中だらだら降る雨の2種類あるそうだ。温帯性低気圧の卵が日本列島を北上し、丁度関東地方に停滞し、暖かい雨が終末この駐車場にも現れる。


進退の判断の醜い人間は、それまでのどんな業績も、勲章もすべて台無しにする。今の、政治家はそんな連中で一杯。人生の美学よりも、経済つまり利権にしがみついて祖先にまで迷惑を掛ける。


3月に入り、ガマ号は再び嵐の中へ。そして、例年のように僕は種まきの種を探している。橋本真也君のゼロワンが明日国技館で”旗揚げだ。細川総理夫人のスペシャル ・オリンピクスもローソンのい松岡会長の暖かい配慮を頂けそうだ。