DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.07.30

7月30日(火)夏風邪らしい

燃焼微熱状態。車のクーラーが肺を直撃したせいか、それとも睡眠時に部屋の温度調節を低温全快にして体温が下がり過ぎたのか、体がだるく鼻水が止まらない。ズルズル垂れるのを紙で拭くために、右の鼻の穴の入り口が赤い。咳が出るので目が充血して微熱。時たま激しいクシャミが立て続けに3回でる。煙草が無臭で、味が無い。煙がのどを通り抜ける実感が無い。
いずれにしても睡眠時間が不規則で、疲れがたまって抵抗力が落ちているのだろうか。この2ヶ月の減量で体内の何かバランスが壊れたのか?それとも定まらない人生の方向にイラついてのストレスが原因で病に立ち向かう体内の戦士の気合が不足しているのだろうか?
2日前の日曜日、安藤君が東京プリンスにやって来た。
約20年ぶりに友人と会う。こんな新鮮な緊張感も珍しい。彼があの頃のままの姿でやってくるなんて有り得ないのだが、それにしても記憶の扉の1枚目はギターを持ってロングヘヤーをなびかせて登場するシーンにしかならないのだ。最初の言葉を想像するとぞくぞくする。昔の距離感で会うことへの不安と、現在の適正距離が見えない楽しみ。どちらが20年間の会話のブランクの後の第一声を発するのか?
「いやぁ、元気?」(これは健康の確認)「安藤君?」(これは本人確認)「やってる?」(得体の知れない確認)「少し太った?」(無理に昔に戻すパターン)こんなことを考えることそのものが実にハッピーな事なのだ。結局、僕たちは「よぉ」・・・・・という挨拶で簡単にあの日のリズムを取り戻した。
東京プリンスの喫茶店で3時間ほど最近の音楽シーンの話や、名古屋時代の友人たちの現況、これからの仕事についてとめどなく言葉を交わした。安藤君の後ろにあの栄公園の風がふいに幾つもの渦巻きを作っていた。
場所を移そうということで、海岸の事務所に移動、何故か二人でソーメンを啜った。
TV(BS)をつけると、珍しくポール・マッカートニーがステージに立っていた。クラプトンもいる。ブライアン・メイ、エルトン、キンクス、・・・・不思議なくらいの偶然・・・・まるで僕たちの再会を祝福しているかのような番組だ。
そう言えば、20年前の暑い夏の日、広小路の「すがきや」でラーメンを啜る安藤君の指が妙に細かったのを思い出した。僕の知る限り、1番ナイーブなギタリストの指だった。



2002.07.24

7月24日(水)あの日のままで時計は止まっていた。

それが突然あの頃のままに動き出した。この「夕焼け少年」サイトの「陽だまりの黒板」に1通のメールが飛び込んできた。送り主は不明。「私は誰だ?」(誰かが僕を探してる・・・・。)僕は彼のメールの中での質問に答えようと、必死で該当しそうな過去の友人たちを追いかけた。ものの1分でタイムマシンのフラッシュが光るように、回答が出た。30年間の記憶のトンネルは名古屋に辿り着いた。1971年、ヘルメットが散らばった初夏の栄公園の芝生の上に。ビートルズが食事より大切だった頃に。メールの主は安藤こうじ君だった。
考えてみれば僕は父の仕事の都合で、転校生となることが多かった。
一般的に出て行くほうより、送り出す方の記憶が薄いのではなかろうか。出て行くほうは、その瞬間からその土地や吹いていた風、そこで暮らした人々、流れた時間、過ごした日々を現像し半永久的な記憶として定着させるが、一方送り出した方は翌日からすぐに日常の続きが始まり、何時の間にか日々の暮らしの中で彼の映像は過去のものとして風化していくのだ。
僕は、あれから殆ど毎日のように名古屋の栄公園で見たあの青空や妙に乾燥した芝生の感触、テレビ塔に架かった満月や図書館の表玄関の階段の冷たいコンクリートの地肌を思い出していた。大袈裟ではなく、毎日この作業を行なわないと自らの根源のエネルギーの残量が解からなくなるのだ。
今、携帯電話の向こうには、ギターを抱えながら原色のシャツを着てパンタロン姿で岡林信康を唄う安藤君の声が聞こえる。話のトーンや、声の高さは以前とは異なって大人びた気もするが、冗談めいて自分を主張する辺りはむかしと変わらない。ゴアがコンサルをしている話。文敏が旭丘の先生をしている事、それぞれの仲間達が当時の井出達で僕の想像の世界を走りまわっている。1時間もの間、お互いの現況を確認しあった。まるで長い間のギャップを埋めるための会話の慣らし運転、コミュニケーションの手法をチェックしているかのように。
気が付くと、現在という時間に無理に適応するのをしばらく拒んでいる18歳の自分がいた。



2002.07.22

7月22日(月)赤坂のペントハウスでスティーブン・セガール氏(*月影写真館)と会議。

赤絨毯を基調にした店の雰囲気がレトロなせいもあって、マフィアが出てきそうな華やかな緊張感が漂っている。僕も何だか紺のストライプのスーツに身を包み、葉巻を咥えてみたいような心模様。今晩の席をプロデュースしているマイケルはこの店のオーナーの甥後さんでアメリカンスクール育ちの日本人の顔をしたハリウッド育ち。ブライトン・ホテルを始めとしたホテル・チェーンのコンセプトも担当していた。そう言えば以前、キム・ユンジンさんとの会議でも通訳をお願いした。隣の席のロシア人の女性が赤いルージュでにこやかに話し掛ける。「東さんは、何の商売をしているの?」・・・・・考えてみると僕って自己紹介が難しいよなぁ・・・国際的に正体不明って変だ?
ステージではフィリピン女性がゴッドファザーのテーマソング。左隣のジュリアンはモータウン系のアーティストのマネジメントにかけては全米で1番の男、不味い事に極度なノンスモーカーで、僕の燻らす煙の行方を鼻息で変えてしまう。いやはやミステリーな夜を迎えてしまった。
今年は、出費もかさむが新種の情報や新しい仲間も続々と現れる年だ。このところのネットワークや、ここ数年のプロジェクトとは明らかに異なる空間の中で神経質な出会いと繊細な呼吸を繰り返している。夜毎夜毎、知り合ったばかりの人たちと語り合い、食事をし、酒を飲み、探りあい、何かを求め合っている。僕は一体、何を探しているのかなぁ。何処に向かっているのかなぁ。こんなことを考えているのは、ひょっとして第二の青春の兆しかしら。
「東さん、起きてください・・・・」
何時の間にか不覚にも深い睡眠に入ってしまったらしく、目をあけるとシャンデリアの真下で、猛暑にやつれた夕焼け少年が茫然と照れ笑いを浮かべていた。30分前にお願いしたクラブハウス・サンドイッチが手付かずのまま少し乾いてしまっている。サンドイッチも疲れている。



2002.07.18

7月18日(木)久しぶりにあの中島八臣氏(※月影写真館3p)と面会。

10年振りに遇ったというより突然目の前に現れた。太陽の様な性格、陽に焼けた頭、べらんめぇ調のトーク、大胆な笑顔、そしてちょっとした隙に見せるナイーブさ、何処から見てもあの「八臣さん(はっしん)さん」の登場だ。リクルートの宣伝部時代に大変お世話になった中島さんは待ったなしの勝負師だ。ぎりぎりのアウトローで勝負する。得意なフレーズは「ぶっちゃけた話し・・・・」。大丈夫かなぁというような大きな企画を底抜けのユーモラスな話法で紹介する。  
当時「稲村ジェーン」という映画を初監督した桑田啓佑(サザンオールスターズ)氏のCM登用もそうだった。寝技でスーパースターとの契約を実現させた。また、スケールのデカイ仕事ができそうだ。
遅いディナーでご迷惑をおかけしたが山縣かほりさん(*月影写真館)のご自宅にお邪魔して豪華な手創り料理を頂いた。豚の角煮、餃子、鮎の塩焼き、豆腐、もずく、それに彼女の18番のカレーライス、デザートに白玉あずき・・・・・。多分日本中で一番贅沢な食卓なんじゃないかな。病み上がりのバージン・シネマの高橋君、発熱39度の野中君と病人を2人も連れて行ったのが申し訳なかった。山縣さんは浜崎あゆみさんのステージ衣装をデザインしている。特に竜をモチーフにした帯に見られるように、抜群のセンスでぎりぎりのクリエイティブと1ミリも狂わない完全主義で傑出した作品を創造する。僕も、地球でたった1枚の「夕焼け少年」を素材にした浴衣をお願いしている。減量中にもかかわらず目一杯胃袋を膨らませた。車から後ろを振り向くとかほりさんが、腰を折って見送っている。薄っぺらな雑誌広告ようなイージーな女性が増えていく中でこれほど礼節を感じる女性がいるだろうか?街全体が大正時代に戻ったような不思議な空気に包まれているように感じた。
マッサージをしながら、まだ昼間の熱が漂っている東京プリンスの駐車場をボーっと眺めている。肩や、首や、喉の奥が熱風の通り過ぎた後の砂漠のように汗と疲れが交じり合ってねっとりとした湿度を含んでいる。部屋を暗くして冷蔵庫から冷えた水のカンを出して後頭部に当てた。窓枠に仕切られた空の景色が早くも朝の気配に変わり、今日もまた異常なほどの高温が街を包みそうだ。




2002.07.15

7月15日(月)これは異常気象だ。

速度の速い台風が次々に誕生している。東京全体がサウナの様。あまりの暑さに、ホテルから一歩も出たくない。仕事は夕方から夜にかけてまとめよう。浜松町までラダックの足立君の車で送ってもらったのだが、外気の温度が41度を指している。しかも、黒いオペルのワゴンなのだ。午後2時のフェイスの平沢代表とのアポを昼間の最後の仕事にした。10冊近い雑誌を買い貯めて目を通している。昨晩、逆上していたせいか、友人に誤った内容の携帯メールを発信していまい夕方から謝罪のミーティングがある。熱さのせいで、窓から見る限り日比谷通りは大渋滞。オーバーヒートの車でも続出しているのだろうか。遅れること1時間、わりと涼しい顔でM氏が登場。しどろもどろになって、誤りメールについて説明した。3時間もかかって。“雨降って地固まる”という諺もあるが、それよりも僕の心がやっと晴れた。



2002.07.12

7月12日(木)台風6号はまだ北海道の先端の辺りの海を激しく揺さぶっているらしい

東京は今年一番の澄みきった青空だ。台風が湿った雲を取っ払ったせいで、このところの蒸し暑さより少し湿度が下がり、ただ温度は35度と急上昇、シアサッカーの下のYシャツが汗を含んでいる。アクセスの荒川氏とお中元の挨拶も兼ねて中内会長を訪ねた。年齢を考えたら驚異的な若さで、頭脳明晰、動きもキビキビしているし、昨年骨折した足も完全に完治している。久しぶりに1994年辺りの思い出話をした。福岡ドームの事、上海のローソン出店、ホテル・シーホークのこと。来月はアメリカへの旅行を計画中といきいき話してくれた。僕は、この年齢まで果たして体力が残っているのだろうか?
場所を変えて、東京プリンスで松岡名誉会長と冷やし中華。すっかり余裕の表情で人生の余暇を楽しんでいる。夕方近く、城山ヒルズで今日一日の汗を流して、久しぶりに「YOKKO」に顔を出した。MY氏と寿司を待っていると日刊現代の川鍋社長が登場。たった今まで陽に焼けたばかりの様な赤い顔に、絹の白いYシャツが元気一杯を物語る。乾杯をしているとママが何時に無く早い出勤。僕の顔を見に来てくれたらしい。「シエール」を出て、天現寺の「ラ・バー」の特別室でダイキリを飲む。夏のせいか、午前4時すぎだというのに空が静かに白んできた。夕焼けとも、朝焼けともどちらとも言えない橙色の空が、俄かに明かりの消えた東京タワーを黒く浮き彫りにしている。