DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.07.24

7月24日(水)あの日のままで時計は止まっていた。

それが突然あの頃のままに動き出した。この「夕焼け少年」サイトの「陽だまりの黒板」に1通のメールが飛び込んできた。送り主は不明。「私は誰だ?」(誰かが僕を探してる・・・・。)僕は彼のメールの中での質問に答えようと、必死で該当しそうな過去の友人たちを追いかけた。ものの1分でタイムマシンのフラッシュが光るように、回答が出た。30年間の記憶のトンネルは名古屋に辿り着いた。1971年、ヘルメットが散らばった初夏の栄公園の芝生の上に。ビートルズが食事より大切だった頃に。メールの主は安藤こうじ君だった。
考えてみれば僕は父の仕事の都合で、転校生となることが多かった。
一般的に出て行くほうより、送り出す方の記憶が薄いのではなかろうか。出て行くほうは、その瞬間からその土地や吹いていた風、そこで暮らした人々、流れた時間、過ごした日々を現像し半永久的な記憶として定着させるが、一方送り出した方は翌日からすぐに日常の続きが始まり、何時の間にか日々の暮らしの中で彼の映像は過去のものとして風化していくのだ。
僕は、あれから殆ど毎日のように名古屋の栄公園で見たあの青空や妙に乾燥した芝生の感触、テレビ塔に架かった満月や図書館の表玄関の階段の冷たいコンクリートの地肌を思い出していた。大袈裟ではなく、毎日この作業を行なわないと自らの根源のエネルギーの残量が解からなくなるのだ。
今、携帯電話の向こうには、ギターを抱えながら原色のシャツを着てパンタロン姿で岡林信康を唄う安藤君の声が聞こえる。話のトーンや、声の高さは以前とは異なって大人びた気もするが、冗談めいて自分を主張する辺りはむかしと変わらない。ゴアがコンサルをしている話。文敏が旭丘の先生をしている事、それぞれの仲間達が当時の井出達で僕の想像の世界を走りまわっている。1時間もの間、お互いの現況を確認しあった。まるで長い間のギャップを埋めるための会話の慣らし運転、コミュニケーションの手法をチェックしているかのように。
気が付くと、現在という時間に無理に適応するのをしばらく拒んでいる18歳の自分がいた。