DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2015.03.30

Fine Tuning♪ 撮影:指揮者・原田慶太郎氏

 黒い円盤が回転し、針を落とし、うっすらと音が流れ始める。聴く側と演じる側は一対一の相対関係の中で、同化していく。
 幕が上がり、指揮者がタクトに命を吹き込むと、演じる側と聴く側は、溶解しまた同化する。
 スピーカーと耳の間の空気が揺れるのとは異なる風のようなものが、会場に僅かに流れているのは、ライブ(実演)である。

 冷え冷えとした宮殿で奏でられたクラシックと、冷暖房の効いた音響機器を調えた現在のコンサートホールで聴く音の違いは、検証は出来ないものの、明白である。

 しかし、聴き手のこころの振動は、変動してはいないはずである。





2015.03.25

『食べる人』ばんからラーメン 創刊準備

 ラーメン業界というよりは、日本の料理業界の中でもっとも期待している花研のばんからラーメンチェーン店の会員メディア(食べる人クラブ)の創刊準備をしている。
 なんとなく、沖縄問題から集団的自衛権まで平和憲法の考え方が揺らぎ始めている。そんな中で、いわゆる国境なき料理屋さんとでも言おうか。ラーメン業界の海外進出は、頼もしいばかりで心の底から応援しなくてはならないと考えている。
 
 ばんからチェーン店の社長の草野さんは、何と言っても苦労人で、そこからくるキャリアにもよるのだろうが、判断が早く、想像力に富み、おそらく未来は料理業界に留まっている気がしない。
 翻って、日本も他国も料理を縦横無尽に受け入れ、フランス料理からイタリア料理、さらには南米のチリやひいてはアフリカの料理屋まで百花繚乱である。
 「食べ物に国境はない」
 しかし、食が原因で人は戦争を始める。ばんからラーメンは、考えてみれば外務省の仕事を担いながら、日夜その背脂スープの味を追求しているのである。




2015.03.25

月刊「美楽」2015-4月号

「瀬戸内寂聴」(出身地:徳島県徳島市)

 人は、与えられた生命を十分に燃焼し、その才能を発揮し、振り替えたときにできた足跡を線で引いたものを人生とするなら、瀬戸内先生ほどの艶やかな色に彩られた道はないと思う。
 二十数年前に嵯峨野の寂庵を訪れて以来、その多岐に渡る活動一つ一つが、私の人生の指南であった。座右の銘は「生きることは愛すること」。この意味も昨今、人から地球、地球から「無」へと昇華しているようにも思える。





2015.03.20

Peaching2015年4月号

Peaching2015年4月号





2015.03.13

父の百人一首

 私の祖母にあたる 東きわ は、長寿で102歳まで明け方にニワトリを追っていた。1876年生まれの彼女は、3人の男子と2人の女子を育て上げ、そのうち2人の男子は第二次世界大戦で、海軍士官学校卒の叩き上げとして、マニラへ向かう艦隊の先陣でアメリカ軍の空襲を受け、命を落とした。
 たった一人残った父は、東家が途絶えないように海外へ留学し、終戦後、帰国し、家を継いだ。きわは、明治時代の教師だったこともあり、とりわけ末弟の父には厳しい教育を施したらしく、中でも筆の修行に関しては、夜を徹して教えていたらしい。

 父が30年ほど前に、百人一首を描き上げた。何日かけたかは定かでないが、2年ほどかかったとのこと。
 芝パークホテルの青木さんのお力添えで、その作品を館内の和食店「花山椒」の壁に張り付けて貰った。足の悪い母が上京したときに、父の作品を喜んでくれるか、それとも「花山椒」の焼き魚に気がいくか分からない。