2003.03.23
3月23日(日)ニューヨークに行く前の定岡氏(野球解説者)とグリーンで激戦。久能カントリーに桜咲く・・・。(写真参照)
定岡氏と同郷の鹿児島県人の僕は、彼の太陽のようなやさしいデリカシーがとても気に入っている。特に、ゴルフ・プレイ中のマナーは素晴らしい。一緒にコースを回っていても楽しい。いつもパートナーが気持ちよくプレーできるように配慮している。こんなゴルファーが意外と少ないのだ。
186センチと長身で細身に見えるが、後姿、特に御尻の大きさは元巨人のピッチャーだけあって雄牛のようにがっちりしているし、ショットをする前の構え(アドレス)の時の太ももの筋肉は安定感に満ちている。若い頃から、ゴルフをやっていたらきっとプロ(職業)でも食べていけただろう。タイガー・ウッズと同じくらいの体型だし・・・・。
「来週から、ニューヨーク・ヤンキーズの松井君の取材なんですけど、戦争の影響で飛行機は大丈夫でしょうか?テロとかハイジャックとか」
「ヨーロッパ便やアジア方面も危ないけど、何しろアメリカは完全な当事国だからねぇ」
「そうですよねぇ、いやだなぁ・・・仕事請けなきゃ良かったかも」
自分の内面の不安や、心配事を軽く、明るく、さりげなく口にしながら、童顔のなかの大きな瞳をぱちりっと閉じる。彼の人への思慮深い思いやりを感じのは、僕にも南国の血が流れているせいだろうか?
僕はあの埃っぽい暑い夏を思い出していた。
まだ少年の匂いのする定岡氏は鹿児島の誇りであり、県民の希望を担ってたった一人でマウンドで戦っていたように思えた。
故郷は戸籍上存在するものの、心の故郷をいつも求めていた僕にとって彼は“久しぶりに鹿児島を思い出させるヒーロー”であった。
春を感じながらゴルフ場を歩いていると、時として季節の流れがこのまま止まってしまうのではないかという不安に駆られることがある。全てが満たさて身も心も軽い。雲や風の隙間から聞きなれた鳥の声が聞こえ、茎や葉がおだやかに陽を浴びて欠伸をしている。
あたり一面に幸福が漂っているこの春を、割り切って全身で受け止めるのには、まだまだ少しばかり時間がかかりそうだ。
すべてが満足な空間に居ると、何故か照れてしまうのだ。
2003.03.19
3月19日(水)昼食にホテルで天婦羅を食べることになったが、館内のレストランは全て禁煙。個室を予約してゆっくり食べようということになった。(写真参照)
春の始まりは野菜が甘い。涌きたての風呂の湯のように澄んだ油を見ていると唾液が零れる。アスパラ、葱、茄子、などは大根おろしたっぷりの天汁で、伊勢海老や、雲丹、穴子、白魚は衣の先に3グラム程度の塩をつける。帆立には不思議とカレー粉がピッタリ馴染む。
そんな訳でカロリー・オーバーのたっぷりの過食。部屋に戻ってしばらくの間、ズボンのベルトを緩めてぐったりしていた。
窓からまだ冷たさの残る3月の風を入れて、ベッドに横になっていると、睡眠不足のせいかうつらうつらし始めて、気が付くと3時近くになっていた。
そう言えば、17日の昼食も、食べ過ぎた。S社のバイヤーさんのプロモーション会議に4月から売り出す商品のお披露目と商品説明を兼ねてボブ・サップ氏が招聘された。
舞台上で細かな仕掛けがあるために、昼食前に集合。控え室での事前の打ち合わせに用意されたイタリア料理が美味しかった。気が着くと、身長2m、体重170Kのボブ氏より食べてしまった。ボブ氏はきちんと野菜と肉のバランスを考えながら食べている様子だったが、僕はパンにバターをたっぷり塗っただけでは満足できず、ジャムをさらに上塗りし、さらに炭水化物系のパスタまでお変わりしている。
何かの反動かも知れないが、とにかく食欲優先で胃袋を始めとした臓器の健康を考えようという意思がまったく働かない。おまけにボブ氏の為にせっかく室内禁煙にしてあるのに、トイレに続く廊下の裏に灰皿を見つけ、食後のタバコをあっという間に2,3本吸い込んでしまった。
4月が近づいて桜の季節になってから、凄く腹が減る。少年時代のように目につく物、手に届くものは、タバコと食器以外、何でも際限なく口に入れてしまう。特に事務所にしているホテルのレストランでのブッフェ形式の食事を取ると、食後にはゆうに1、5`は増えている。おまけに、1日中何か飲み物を飲んでいるため、あの恐るべき80`のラインにどんどん近づいている。
年頭に今年は72`を目標にしようと思ったのに。最初の仕事が、“フーズ・プロデュース”だから仕方がないよね・・・・・・・?ボブ?
2003.03.10
3月10日(月)東京国際フォーラムで、1960年代のスーパー・スタークリフ・リチャード(以下クリフ)のコンサート観賞。(写真参照)
三瓶氏のお誘いもあって、実はこの興行には僅かばかり「夕焼け創造研究所」からも出資をしている。というのは、クリフには一昔前に縁(思い)があって、リクルートの宣伝部の時代に「週刊B−ING」のラジオCMで彼の「EARLY IN THE MORNING」をBGMに使わせてもらったことがある。
ウォールト・ディズニー氏や、フォード氏の若い日の挑戦的な仕事への姿勢を文章にしたコピーの向こうに、クリフの透明で説得力のある声、ドラマチックな弦とピアノがよく似合って、抜群の効果を発揮していた。このCMを聞いた人はきっと励まされる。そんな風に自画自賛していた作品で、今考えても僕が今まで携わった広告の中で、一番のお気に入りである。
62歳という高齢のせいではないのだが、コンサートは2部制になっていて、後半に入り鳥肌が立つような往年のヒット曲が続き始めた。「YOUNG MAN」を歌い始めた時は驚いた。会場の何処にいらっしゃったのだろうかクリフと同年代のご婦人方がおのおのの手に花束や、プレゼントを持って舞台に殺到したのだ。この光景はジャニーズも真っ青・・・・・・・だろう。だってキム拓が30年後にこれだけのファンを引っ張っていくなんて奇跡に近いだろうから。
最近の広告を見ていて、自分(会社、宣伝部、CFプランナーなど)の言いたい事ばかり、会社や商品の主張ばかりに工夫して、お金をかけているのは解かるのだが、気分の良くなる作品が少ない。もう一度見たくなる様なCFには殆どお目にかかれない。しかも、BGMや、サウンド・ロゴに至っては騒音に近い“音量の競争”だ。
見る側、聞く側の気持ちが不在のままの一方的なクリエイティブが、制作担当者の直情のままに放映されている。
TVのスポットCFなどのその品のなさには、涙か出てくる。心を打たないばかりか、見ていて不愉快なCMは広告効果も少ないし、その企業や商品に嫌悪感さえもたれる。(署名つきCMなんかも、いいんじゃないかなぁ・・・・・?)
クリフの今回のコンサートはカメラも花束も、プレゼントも持ち込み自由。
したがって、東京国際フォーラムの5000人収容の大ホールは、小さな町のライブハウスという感じで、何処となく暖かく、ステージとの精神的距離も意外なほど近かった。
聞き手(お客様)を大切にしたクリフの“大人のサービス”に若い日の思い出にたっぷりと浸った女性もたくさんいらっしゃった。
2003.03.05
3月5日(水)M氏が確定申告の相談にホテルの部屋を訪ねてきた。3日ほど前に、「1年分の伝票を整理したので・・・・・領収書をゴムでとめて・・・・」
と困り果てて電話があった。こうした相談を受けると、得意でもないのに何とかしなければと思ってしまう。僕がFPをお願いしている田中君に作業を依頼してみることにする。10日後に迫っている自分の作業には一切手をつけていないのに。
窓から琉球さくらや、河津さくらが薄くピンクや白い花をつけ始め、増上寺に続くプールサイドのあたりに春の陽だまりがゆらゆらとゆれて、思わず“本気で散歩”に行きたい気分。
冬はどんなに乾燥していても、冬空の寒さから来るイメージからどうしても気分が湿っぽくなるのに比べ、3月があけた頃に登場し、徐々に暖かくなる春の始まりはあらゆる生命の活力が辺りに立ち込めて清清しい。
写真つきの携帯電話に交換して、植え込みのスミレや沈丁花を撮影しては、あちこちにメールを飛ばしている。
小学校からの季節の流れが体に染み付いているせいか、僕は今でも1年の終わりは3月31日だと思っている。会社の決算期や、プロ野球の開幕、など4月1日から新しい暦を始めるところも多いが、・・・・・・目を閉じるとソメイヨシノの桜並木の下をピカピカの学生服に、まだ形のなじんでいない硬くて大きなランドセルを背負った自分の姿が浮かんでしまう。
「桜って、女性の性格に例えたら最悪ですね」
「一人で盛り上がって、しかも誰よりも派手で目立ちたがり屋。たくさんの男たちの目を釘づけにした挙句、みんなが大騒ぎし始めたとたん、今度は勝手に去っていく」
「私は、梅のような奥ゆかしい女性の方が上品で素敵だと思うの」
「誰にも言わないでひっそりと咲いて、よく見ると一つ一つが可憐で責任感にあふれてる」
確かにその通りなのだが、残念ながら最近のこの国の女性は、「さくらタイプ」が圧倒的に多いような気がする。表面的な美しさと、セックスまでのスピードばかりを男性が追いかけるからなのだろうか。・・・・とすると「梅タイプ」の男の数もどんどん減少していることになる。
2003.03.03
3月3日(月)藤原和博君と久々にお茶を飲んだ。リクルートに入社してから約30年、何時でも彼は僕の心の何処かに存在してくれている。
ある時にはやさしく励まし、あるときは激しく非難し、早合点の僕の思いを遠まわしに修正し、・・・・・・彼と会えたことが、僕の小さな人生の収穫の一つでもある。(本人がこのHPを読んだら一笑するだろうが)。と言うと何か彼が遠くに行ってしまった様でもあるが、今でも毎朝のように電話で話したり、時にはメールでやり取りをしている。
しかしお互い退職をしてからは、顔を合わせて話をする機会は意外と年1,2回の“祭り”のような行事になってしまっている。昔は会社の近所であっという間のランチをしたり、朝が来るまで銀座の飲み屋で歌い話し合い、コンサートに出かけ、映画を見たりと兄弟のようにたくさんの時間を共有していた。
嘘のような本当の話だが、歴史の変わり目にも必ず藤原君が横にいた。ベルリンの壁が壊れた直後に壁の一片を拾いに出かけた。エジプトのサハラの砂漠で凧と駱駝の交換が可能かどうか物々交換の実験に行ったのも彼からの誘いだった。神戸が地震に見舞われた翌日、僕たちは古着を持って関西新空港から埃のためにまだ薄茶色の空に曇る神戸港に向かう船に乗っていた。ワイン・ブームを生んだボルドーで「世界ワイン博覧会」という万博のような催し物にも藤原君の招待で出かけた。
TBSラジオの番組で僕のことを取り上げてくれるというので、ウキウキした気分で彼を待っていた。いつものように僕たちは軽い冗談を交えながら世間話に花を咲かせた。
ふと、彼の右手を見ると40年前のセイコー・オートマチック(腕時計)をはめていた。(素敵だなぁ、本当のアンティックって)。
大量消費社会の仕組みの中で、個人の才能が埋没していくことを一番嘆き、今ある経済の仕組みや其処から生まれた流行に溺れずに、“個性を復活すること”こそ人生の幸福であり、そのための幾つかの“処世訓”を主張する藤原君の言行一致は、今でも僕にとって鏡になっている。
藤原君を送った帰り道、世田谷区のある裏道で車を止めて深呼吸をしていると、窓の外に僕の好きな沈丁花の匂いがした。春が近づくと、いつもこの香りに引かれる。沈丁花は一見花びらのように見える部分が、たくさんの額が膨らんで開いているのだそうだ。
藤原君の頭脳の構成も、一見主張に思える“感性の額”が集合して同時多発的に開花し、あちこちで美しい香りを発散している。