DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2009.03.20

第9号 月刊「美楽」4月号

「ビー玉」

 桜が美しいのは、極めて動物的にその花の命を終えるからであろうか、それとも空の青さが見えなくなるほど、風も雲も、時には地面さえも桜色に染めてしまうからであろうか。或いは、決して朽ち果てることなく、栄華を誇ったままで散ってしまうからであろうか。それとも、私自身が儚い人の命を感じるからであろうか。


 永遠に続くものなどこの世にあるはずがないのに、私たちは美しく散ることを忘れて呼吸している。





2009.03.06

第8号 照屋林賢氏と深夜の再会

照屋林賢氏は、いつも季節風のように現れる。現れるときは毎度、なんの前触れも無く、突然沖縄から、東京の僕の目の前に登場する。

「東さんは、今何処ですか?」
「沖縄の、天気はどう?」
「いや、今東さんのところに、向かっています・・・・」

こんな具合なのだ。
すると僕は、どんな予定があろうと、会議中であろうと、サウナの中であろうと(ちなみにリンケンさんは、風呂が嫌いなのだが)、彼を待つ体勢に入る。

 1995年の夏から数年の間、僕は当時のダイエーの中内会長のご指名で、「アジア音楽祭」という大規模なコンサートを沖縄でプロデュースさせてもらった。リンケン・バンドをホストに設定したコンサートは、アジアの各国の音楽家を迎えて、数万人のお客様を集めた歴史的なイベントに成長した。


 リンケンさんは、写真のプロでもある。撮影した写真は20万30万枚にも及ぶ。彼の好意もあって、「月刊美楽」で毎号掲載中。
 しかし、中内会長の写真が、無いのは、寂しい気もする。