DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2010.01.23

第4号 安藤勇寿先生の栃木県はゴルフ場・・・・

安藤先生の美術館の周辺には、一体幾つゴルフ場があるんだろう。この写真の山の麓に美術館があって、皐月ゴルフ倶楽部をはじめ、20や30のゴルフ場が殆どの山の中腹に寝そべっている。
高速の出口の看板には、まるでスーパーの価格表のようにずらりとコースの表示板。

山肌を、水平になるまで削り、東京に砂と岩を運び、売り、私たちはビルと住宅を作る。栃木の山と緑は、まるで、血液を売って生きていく切ない人間のようにも思えるし、高度経済成長時代の被害者でもあり、バブルの不動産の為の売血という名の応援者でもある。

道のあちこちに友人でもある、地元出身の茂木敏光氏の選挙ポスターが目に付いた。セメント工場は三井、三菱を始め旧財閥系の巨大なものが目立ち、煙突からは、不況とは思えない程の噴煙がアルプスに向かって流れていた。

 




2010.01.20

第3号 月刊「美楽」2月号

『そり作り』

 なんでも手に入るようで、実は何でも手に入るとは限らない。鉛筆は、シャープ・ペンシルに変わり、シャープ・ペンシルは、キーボードに変わった。早くて便利だが、丁寧に文字を書くという精神はどこにも見当たらない。

 物置から、去年の冬に使ったかんじきやそりを持ち出して、縄を絞めなおしている。白い雪が降り始め、外の温度が指先を凍らせる。指先に息を吹きかけながら、体中を走る暖かい血の流れを感じている。





2010.01.17

第2号 リクルート時代の思い出が燃え上がった。

リクルート時代の思い出が燃え上がった。ゴルフに向かう早朝7時。いつものように、天気のチェックに、東の空から北の空に目を流して行くと、丁度銀座、新橋辺りに、物々しい雲?煙かな。車の窓を明けると、煙からは遠く離れている日比谷通りにも、何か焦げ臭い匂いが、漂っている。
不思議な感覚だが、匂いにも焚火の様な燃え盛る勢いの新しい匂いと、昨夜の疲れ果てたサラリーマンの愚痴のような匂いがある。この匂いの力は、今そこで、燃え盛る鬼の棒の様な火柱すら感じられる。

車を、西新橋の方に走らせると、元リクルートの裏道に、数台の消防車と、数台のパトカー・・・・それに、外堀通りまで浸み出した放水車の水。走り回るカメラマン・・・・?まだ午前7時・・・・。空には、ヘリコプターと、住人らしきカラスが飛び回っている。

リクルートに入社したのは、このビルの時代。まだワープロもパソコンが無かった。まだカセットで音楽を聴いていた。スニーカーという言葉がはやり出し、ブランドというマークも無かった。薄型テレビは勿論HVもEVも、存在していない。

昼飯の時間になると、ビルの裏道をゆっくり散歩しながら、喫茶店に入り、本を読んでいた。西新橋ビルの裏道は民家すら点々とし、路地はさらに2メートル程しかなかった。

火の消化は手間どったらしく4時間も掛ったと夕刊に書いてあった。
何処か、寒い風が、僕の首の後ろを、吹いている。




2010.01.01

第1号 魔裟斗去りさだまさしで新年が明けて

魔裟斗氏がリングを去り、さだまさしさんが国技館で、ファンと一緒に年を明けて,僕の足元は、ゴルフシューズのままで、埼玉アリーナと両国国技館を、走り回っていた。

ドリームとSRCのコラボで、大晦日の埼玉アリーナは、満杯。お目当ての試合は、さておいて、オペラ歌手の佐野さんに急遽国歌「君が代」を歌ってもらう話になった。
佐野さんとは、以前まったくの冗談で、ステージをご一緒させてもらったことがある。そして、佐野さんは今や、日本を代表するテノールとして大活躍中。今晩1月3日も、NHKで、ニューイヤー・フェスティバルで熱唱する。

 その佐野さんは、大のさだまさしファンで、”まっさん”は、佐野さんが国歌を歌う時間に、国技館でカウントダウンをスタートする。

3年前、魔裟斗選手の写真集を、プロヂュースしか関係で、彼の最後の花道も、見ておきたかった。アンディ・サワーが相手なだけに、リングサイドから動けない。

 大晦日は、いつもこうなる。
仕事の裏側に、ドラマと人間関係が、入り乱れ。

車でうとうとして、ふと気がつくと、東京タワーが、2010の文字を、照らし出してる。
NHKで、放送されたせいか、増上寺は、人人人・・・・・・・人。

 たくさんの人が、集まる空間を、ループしながら、スパイク・シューズで走り廻る。
大晦日は、365分の1に過ぎないのに、そこで人が動くと、僕も動かされる。


*(2010年も言い訳)
だから、誰もいない森の中での、ゴルフが欠かせない。


「待ってろよ、遼君!」