DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2001.08.30

築地の「宮川本店」は、20坪ぐらいの土地に建てられた、筆のように細長いビルだ。

築地の「宮川本店」は、20坪ぐらいの土地に建てられた、筆のように細長いビルだ。並木通りの加藤氏と、この夏最後の「うなぎ」を食べている。この近辺は電通村とも言われ、あちこちの曲がり角に電通の看板が目に付く。今日の株価は10,000円を割れそうな勢いで、我が国の不況を反映している。このままだと、間違いなく円高に向かい、一定の時期に急反発するだろう。

武道館は、昨年のエリック・クラプトン以来だ。北の丸公園は秋の気配に変わり、闇の中、あちらこちらから虫の声が聞こえてくる。橋本真也選手の試合は多分9時ごろからだ。プロレスファンは、試合数から簡単に、お目当ての選手の出向時間を割り出し、それまで煙草を吸ったり、弁当を食べたり、またある人は館内に入らずに表で携帯電話のメールを楽しんでいる。この光景はボクシングも同じで、メインイベンターの時の席は満杯に埋まるのだが、前座の時はパRと空席が目立つ。本当は前座の試合の方が面白い。ハプニングが起きやすいので・・・。

ホットスパーの佐々木社長、中谷彰宏事務所の浅野氏、それにイキ共栄ジムの金平会長、久し振りにユーリ(元世界フライ級チャンピオン)も来ている。相変わらずの仲間たちにひと安心。リングサイドは僕の第三の故郷だ。

大仁田厚志氏は、参議院議員とは思えない凄み・姿で、ZERO・ONEの太田に選手を血祭りにしてしまった。役者だねー。

昨晩、TAKUMIの近藤社長や、SIN CORPORATIONの深澤社長と朝方まで飲んだせいか、後頭部が痛い。考えて見れば、その前も晩もRのS社長と「小泉総理弁当」の打ち合わせで朝帰り。この3日間で、5時間程度しか寝ていない。頭全体に血液がキチンと流れていない。

今日、中谷彰宏氏と橋本真也氏の対談集「破壊から始めよう」の発売日。冒頭にシンガーソング・プロレスラーとして、僕のことが紹介されている。中谷君も、出版業界のライター・プロレスラーとして載っている。

武道館のロビーの人ごみを避けて、北の丸公園から銀座に向かった。本当に盆明けから並木通りも不況風が吹いている。タクシーがすいすい走っているのが、気味悪い。

加藤氏は「東さんって、変な人ですね。訳がわからない人ですね。」と言った。そりゃそうだ、メイン・イベントの前に銀座に帰ってきたのだから・・・。

八丁目の木屋のうどんのビルの真上に、満月が浮かんでいる。



2001.08.24

昨夜は天文館(鹿児島)の文化通りを往来していた。

昨夜は天文館(鹿児島)の文化通りを往来していた。多分大学生らしい二人組みの、ギターの路上ライブをボーっと聞いていた。僕も十代の終わり、こんな風に仲間とギターを弾いていた。

少し前、名古屋の栄公園の芝生で、当時僕が座っていたあたりの小さなベンチを、出張の合間に探しに出かけた。図書館も、テレビ塔も、中日タウンも当時のままで、このまま夜になると、あの頃のように無数の聞き手が集まり、反戦歌を唄い、ベトナムを語り、警察に囲まれ・・・  公園の芝生は、30年経った今も夏の湿度を含み、僕は居心地のいい開放感を思い出した。

ヴィトンの財布の中に、小銭が無かったので、近所の花屋で両替をし、ギターの二人組みにチップを渡した。若人、特に芸術を志している二人にお札を渡すのは気が引ける。路上の芸術家にもプライドと見栄があるはずだ。過去という思い出へのチケットを買わせてもらったお礼に、500円玉をギターケースの中に入れさせてもらった。

リヒテンシュタイン銀行日本代表の奥山君と、東田君。それに十勝大福の駒野君、コムサの田村君の4人が2つの班に分かれて、天文館を飲み歩いている。僕はそれぞれに顔を出して、行きつけの『マリー』に顔を出したのは、午前0時を回っていた。

父は猛暑のゴルフ場でも快調で、特にアプローチが上達していた。78歳にもなるのに、49でまわった。こちら若者?3人組は汗でグシャグシャになりながら、息を切らして毎ホールのグリーンに辿り着いた。それもそのはず、父はキャディーさんのゴルフバッグ運搬用のバイクを借りて、少年のようにフェアウェイを移動しているのだから。

シャンクが出始めたのは、昨夜、天文館で飲みすぎたせいだ。



2001.08.12

何処か一ヶ所でも居心地のいい場所があれば、人生はなんとかやっていける。

何処か一ヶ所でも居心地のいい場所があれば、人生はなんとかやっていける。

東京プリンスの「ピカケ」で、こうして原稿を書いている。今の僕は、この喫茶店で、増上寺の緑を見ながら、スポーツ新聞を読んでいるのがとても好きだ。

ホテルの機能は上手くお願いできれば、気を使うオフィスよりずっと素晴らしい。
 @まず疲れたらすぐに寝れる。
 Aコーヒー、紅茶の類いは勿論OK。
 B気がつくと、朝・昼・晩と3食ともホテルで飯を食べている。(和・洋・中・仏・そばまで・・・)
 Cマネジメントの必要がない。みんな優しい。
 DFAXサービス。宅配サービス。
 Eシークレット・バンクがあり、多少の現金はその箱の中へ。
 F駐車場付き、タクシーもいつでもOK。
 G冷暖房完備、おまけにプールまで。

ところで、昨夜の花火大会は、みんな満足しただろうか?<



2001.08.03

『一の宮さんは、相変わらず素敵ですよ。特に今でも長靴でお見えになります。』

『一の宮さんは、相変わらず素敵ですよ。特に今でも長靴でお見えになります。』
安比高原ゴルフクラブのキャディーさんが、岩手山の方を見ながら目を細めて言った。

今日は、色々な意味で自分を確認する日だ。

安比高原ゴルフクラブは、今から20年前にデビュー。当時は素人娘のようなはじらいを、コースのあちこちでに見せていた。早朝、八幡平の連山から迷って出てきたツキノワグマが足跡を残している横にボールが落ちて、びっくりしたりもした。

サラリーマンの新人時代、リクルート・グループで最も僕が憧れていたのが一の宮さんだ。岩手県出身で、知的バーバリアンと自らを呼び、その通り百姓とビジネスマンの2つの局を、大きくゆれながら色んな話をしてくれた。飲みすぎて、深夜の小山屋の扉を開けると、宮沢賢治の愛した夜空が森林を飲み込み、コオロギと鈴虫に合わせるようにあちこちで星が流れたいた。

----- 「まっとうな感性」を持ち合わせた先輩と、それ以来会っていないかもしれない-----。

東京という巨大なスケールに飲み込まれないようにと、必要以上に身構えているうちに、僕は何時の間にか人生の目盛を細かくし過ぎたのかもしれない。

27ホールプレーしたあと、十勝大福の駒野君とコムサの田村君がJR安比高原から帰っていった。

赤とんぼが無数のカップルになって交尾している。

あの頃も、夕焼けの中で、赤とんぼが異常発生し、グリーンの上でパットができない位だった。

僕はいぜんよりゴルフの腕を上げたようで、クラブの進化のせいか飛距離も20ヤード位伸びている。

一の宮さんと久々にプレーをしたいなぁ・・・。

赤とんぼを見ると、一の宮さんを思い出す。