DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2011.01.24

第4号 高層ビルの職人芸

 高層ビルの職人芸。オフィスの窓から富士山を、口をあけて見ていたら
突然屋上の方から、揺れるようにゴンドラが下りてきて、僕の目の前に止まった。
 すると、体を半分乗り出して、左手でロープを掴みながら、窓の掃除を始めた。命綱が長くドローリとビルの下に向って垂れ下がっている。

「今日は、ロープが4本だから、揺れませんよ」
「2本だと、揺れるんですか」
「揺れても、落ちませんから・・・・」

聞いてみると、リーマンショック以降、日給がダウンし一日8000円程度との事。職業だから、やがて練れてくるとは言うものの、強い風の日もあれば、冷たい雨の日もあるし、高いビルもあれば、古いビルもある。

 日本は、いつの日からか、職人さんという言葉を使わなくなった。「職人さん」という言葉の響きの中には、「技術者」という言葉では、表現できない”生身の手の動きと経験”を感じる。

 日本は、いつの日からか、”楽をして、お金を稼ぐ人たち”を評価し、汗水たらして仕事をする人たちを、貶すようになった。

若者は、ずるがしこく算盤の早い金融系の人たちに憧れ、人生を掛けて手に職をつける職人さんを、”下目目線”で見下ろす様になった。

「楽をすると言うことは、何も学ばないこと。人生は、とことん苦しんで見えてくる世界や景色がある」

 ふと見ると、ピアピカに透き通った窓の向こうに、富士山が見えた。
職人は、日本の誇りであり、象徴でもある。

 




2011.01.22

第3号 銀座アカデミー賞

 銀座らしくない夜。
 買い物をする人の影もない。
 首筋の冷える夜が続けざまに1月を通りすぎている。
 冬眠すら安心して出来ない夜が続いている。
 シャッターの降りた松坂屋の前で僕は車の窓を下ろして耳を傾けた。

 サックスの美しい音が銀座の中央通りに流れている。
 歩道を歩く人が、何人か足を留めてしまう。音。
 何年前から吹いている錆つきそうなそうなサックスで、「ムーン・リバ  ー」を奏でている老人。
 チョコレート色の、サックスケースには、楽しげに穴があいている。
 まだまだ、東京は捨てたもんじゃない。
 凄いミュージシャンが、ふらりと、音を出せるじゃないか。
 


 こんなライブが聴けるなんて、今夜は昔の事でも思い出そうかな。

 「風に吹かれて、気持ちよく歌っていた頃の事」 





2011.01.12

第2号 ハウステンボスの沢田さんと築地吉兆新年会

 ハウステンボスの沢田さんと築地吉兆で新年会。澤田さんと
ゆっくり食事をするのは、何年振りだろうか。

 1995年あたりは、まだ中国が発展途上というよりは、後進国の扱いを受けていたように思う。政府の特使とやらで、田中角栄さんが「中国にお返しする金魚」を返却に、特別機で北京に向かった。僕は、さしたる目的も無く選別されたメンバーの顔ぶれに、惹かれ北京に向かった。

 釣魚台(迎賓館)のパーティの後、広大な池に新潟から持ち帰った?金魚を108匹ゆっくりと、流しこんだ。放流というより池に、そっと浮かして泳がせた。

 ソフトバンクの孫さんや、パソナの南部さん、大徳寺の岡本さん、そして親友の神蔵くんに、澤田さん・・・・そうそう大阪北浜の橋本先生も。

 あれから20年も、たって澤田さんはHISを見事な旅行会社に育て上げ、
いま新しい夢に、向かって必至に、仕事を楽しんでいる。

 ”金魚”を池に放した夜、何人かの仲間で、北京の繁華街の裏道にあるレストランで晩飯を食べた。

「人は、出会った縁と、死ぬまで繋がっている」





2011.01.08

第1号 いつもの週末、正月気分はさておいて。

 いつもの週末。
 正月気分はさておいて、一応一年の計は元旦に在った筈。
「一年の計」とは、多分、この一年に起る全ての事象は元旦の
心のあり方、気分の引き締め方にあるということだろうか?

 僕の場合は、やはりこの場合の「計」とは時間の過ごし方では・・、と思う。
 
 朝靄のかかるアクアラインを今週も、ゴルフ場に向って、走っている。
房総の山並みの向こうから、午前6時42分の朝日が、うっすらと顔を出し始めた。少し眠気が覚めてきた。

 一体、昨年は何ラウンド、プレーしただろうか?・・・・意外と少ないかも・・・・45ラウンドくらいかな。
 一ラウンドに掛かる時間は、約5時間、すると年間225時間もフェアーウェイに、居た事になる。なんと、日数に直すと46日も・・・一ヵ月半。
 この数字を、もったいないと捉えるか、どうかはこの時間の人生に齎す、利点にもよる。

 同様に、睡眠時間から、食事の時間、読書時間などなど、日日の数に換算すると、まさに一年の人生に費やした時間の配分が、明確になる。

 今年は、少し芸術的に、生きようと、決心の朝である