DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2010.05.31

第24号 月刊「美楽」6月号

『和紙人形』

 ある日、蝶々が家の中に舞い込んだ。ちゃぶ台の上の和紙人形を花びらと勘違いしたのだろうか。2匹の蝶は気まずくなったように、家の中を飛び回り、やがてうつろに消えてしまった。

 人も時に、さ迷いながら歩いてはいけない場所や入り込んではならない路地に迷い込む。
人生は、直線の道でもなく、曲線の道でもなく、限られた時間の中で、点と点が瞬間的に描く無数の足跡のような気がする。
 
しかし、振り返ると、それは、曲がりくねった線のようにも見えてくる。


 私は今でも、あの蝶が無事に表に飛び出して、花畑の上を舞っているかどうか心配になることがある。





2010.05.26

第23号 戸張捷さんの築地うなぎや「丸静」

 戸張捷さんから、I・PADについての電話を、頂いた。たまたま昼前の電話だったので、ふいに以前ご馳走になった築地にある「丸静」のうなぎが食べたくなった。昼前から行列になるほど”知る人ぞ知る”絶品の蒲焼である。
 築地うなぎや「丸静」は、築地商店街でも老舗中の老舗。剣道7段と柔道5段の兄弟が、図太い腕で、デリケートにうなぎを焼いてくれる。メニューは「連」から「臣」ときて「王」まで、うなぎの大きさと量でお重の値段が分かれている。

 晴海通りから、右折して、ちょっとした路地を入ると、早くも蒲焼の甘い香りが漂っている。うなぎは、くどくなく、決して甘すぎず、歯ごたえがやさしく、身がさくりと、舌にのる。

 20年前は、2、5匹を載せた「王」を食べた。それでも足りなくてお新香とお茶で食欲を抑えた。今日は、一番小さい「連」にしようか、迷ってしまった。勢いで、食事をしていた頃が、懐かしい。

 そう言えば、昨年、戸張さんと我孫子でゴルフの指導をして頂いた。あの時も、昼ご飯は、「うなぎ」を食べたのを思い出した。





2010.05.16

第22号 さぼうる(御茶ノ水・神保町)の匂い

 「さぼうる(お茶の水・神保町)」で、コーヒーを飲んでいる。とにかく、神保町に行きつけの飯塚歯科があるので、久し振りに顔を出そうと思っていた。
 今日は、安くて速い印刷会社があるので、パンフレットの見本が出来上がるまでの時間に、”ついに30年振り”に、足を入れた。創業(開店)50年位かな・・・店内は、以前のように鬱蒼と暗く、床は”昭和の匂いプンプン”の地べたが、浮き出している。

 お茶の水は、学生の町である。日本に残された最後の活字の街である。一昔前、この町で、精神を高揚させ、思想を学び、血の美しい学生たちは、”連帯”し、日本の将来を考えた。そして、彼らが憂い、危惧したように日本は変貌した。

 いつもは、ミルクティーを飲むのだが、今日はコーヒーを飲んでいる。
久し振りの「さぼうる」では、そんな気分になっていた。椅子の裏側にある
壁は、タバコの脂で焦げ茶色に変色している。
ふと、額にはみ出した小さな写真を、覗き込むと、若き日の筑紫哲也先生が
笑っている。









2010.05.06

第21号 PGAゴルフの「藤」

PGA(千葉・君津市)で、早朝から苦戦のゴルフ。このコース専属のA君は、大分出身の高校野球あがりの飛ばし屋で、僕も、必要以上に、力む力む・・・いい年をして・・・・。

「ドライバーショットは、過剰意識が筋肉や体のバランスに与える影響が大きい・・・・要は、力が入るほど、玉がばらける」

12番ホールで、玉は、大きく左に曲がり、山間の谷底にOBを打った。気分転換に一応玉を捜しに行くと、群生する「しだれ藤」が、山の腹のあちこちで、紫色の水の玉のように茂っている。藤棚に整理されてかしこまり、枝垂れる藤を、以前別のコースで見たこともあるが、やはり、藤の蔦の強さを象徴するのは、野生の藤である。

 僕の玉は、大きくフック(左に曲がった)したが、野生の藤の蔦は、”左巻き”。一般に観賞用とされる藤は何故は”スライス(右巻き)である。

 5月下旬まで、藤は花を咲かせるだろうが、僕の左巻きの玉も、この藤の花が閉じる頃までには、収まってくれるとありがたいが。