DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2008.05.26

第23号 假屋崎省吾さんと“花のマーケット”の打ち合わせ

 假屋崎さんは、僕と同じ鹿児島生まれ。
 テレビのブラウン管から感じられるイメージとは異なり、感覚的な判断だけでなく、経験に裏打ちされた科学的な視野のマーケティングができるアーティストでもある。
 それになんといっても、憎めない性格である。来月開催される「洞爺湖サミット」でも、假屋崎さんの作品が世界の首脳たちの目を楽しませ、フラワーアレンジャーとしての評価も一層高まるだろう。

 とにかく、日本人がとっくのとうに忘れてしまった”花の美しさ”というものを再認識するには、假屋崎さんの力が大きくなる。

 假屋崎さんは、“花の精”なのであろう・・・・





2008.05.21

第22号 月刊「美楽」6月号

『雨学』

 車社会について予測した「クルマロジー」という本の中で、人間の肉体と文明の関係は、あたかも反比例するように、例えば高速道路の距離が伸びれば、歩行距離が縮まる、電卓が普及すれば、当然のように暗算ができなくなる・・・・と警鐘を促している。
 マクルーハンもコンピューターの普及は、社会の合理性を高める一方で、頭脳の劣化に繋がると予測していた。

・・・・・とするならば、モバイルネットワークの普及は、私たち人間社会から何を奪い去ろうとしているのだろうか。文字なのであろうか。言語なのであろうか。それとも、個々の人間に対する興味や関心なのであろうか。
 地球環境の変化の中で、今年の梅雨は早くて短いといわれる。天空から落ちてくる雨粒の大きさも、少しずつ大きくなっている気がする。本来、木に誘われ葉を青くし、大地の養分を豊かにする梅雨も舗装された地面を一気に海へと駆け抜ける。
 我々は、雨から何を学ぼうとするのか?その好奇心すら捨ててしまったのだろうか。





2008.05.17

第21号 四川地震と北京

 中国大飯店の20階は、“豪華閣酒労”といって所謂VIP用ラウンジである。ドイツからきたビジネスマンやオリンピックの打ち合わせに来たフランス人など、中国で言う高級官僚たちが宿泊するフロアである。
 
 窓の向こうに白濁とした空が低く広がり、高層ビルが視野を塞いでいる。ビルの上のネオンサインは流暢な筆記体の漢字で、ネオンの制作費は随分とお金が掛かるだろう。ビルの外壁にかけられた垂れ幕のような広告メディアも10メートルを超える巨大なものが多く、まさに面積と派手さで勝負している。


 四川大地震から90時間が経とうとしている。テレビの画面は救援隊と被害者の情報をひっきりなしに流し、志望者が2万人を超え、行方不明者が3万人・・・それに各国の救援支援がうんぬんと・・・・。 
 ラウンジでアイスティとフルーツを食べていると、格差社会などという意味のない現象の本質にある人間の不平等を感じる。
 生まれた場所、出会う人などによって、人間の人生が左右されるとするならば、チャンスは必ずしも平等ではなく、あらかじめ与えられたチャンスをいかに有効に使うか、というだけに留まる人のほうが多いのではないだろうか。

 30数年前初めて北京を訪れて以来、確かに北京は大きな変革を遂げたし、中国も経済的成長を続けているように思うが、どこか不似合いな洋服を着せられた子供がいつの間にか大きく成長し、居心地の悪い街に戸惑っている気がする。