2006.12.10
第45号「銀杏の穴」
事務所の代わりにお邪魔している東京プリンスの本館から、プリンスタワー新館まで歩いて7、8分。日比谷通り沿いの芝公園の一角を遠回りしながら散歩していると、UVサングラスをかけているように、空全体が黄色い。銀杏の落ち葉に覆い隠されてしまった枯芝の上に午後の太陽が反射して、まるで金の粉をかけられたように公園全体がピカピカと光っている。
ここ数年、これほどの黄金に輝いた冬は記憶に無い。落ち葉はそれぞれの葉が一枚一枚個性を持って、色も異なれば地面に散るタイミングも違うし、よく見ると葉の厚さも大きさも異なる。
ところが今年の落葉は、まるで機械仕掛けの様に組織的で一貫性もあり、まるで全員が北朝鮮の誰かの指導者のもとに演じられる軍隊の行進のように乱れがない。
今年も色々な会社とめぐり逢い、人と話し、仕事もほどほどに恵まれた年だった。ただ個人的な反省として、この日の落ち葉のような大胆で思い切りの良い集合的な企画は生まれなかったように思う。
公園の芝生に落ちた葉っぱを2,3枚拾って見ると、どの1枚にも小さな虫に食われた傷穴があった。
やはり大雑把に仕事をすることで、お客様に嫌な思いをさせるより、どんなに小さな仕事も、不本意なミスが無かった事を良しとしよう。
「大きな夢より、小さな実績!」東
2006.12.08
第44号「胃の咆哮、入舟町にて」
行きつけのスポーツ・ジムで、毎日お目にかかる減量のライバル、TMI総合法律事務所の遠山先生との決戦の日まであと2週間をきった。・・・・・・というより、2週間しかないので半分この戦いは双方とも減量の目標値に届かずいたみ分けの様相。元旦に向かってどんどん顔の色を土気色にしながら餓死寸前で減量計に乗ることも無さそうである。
しかし、最後の望みをつなぎ、実は少しでも睡眠時の無駄な体重増を控えるために晩御飯を6時頃の早い時間に取るか、万が一遅くなったとしたら炭水化物の摂取を控えるようにしている。
今夜も苦しい。私の人生の大半をかけて肥大化した胃の大きさがわずか一週間や2週間で欲望を抑えられるはずがない。23時を回る頃から、唾液が食道を通って胃液を刺激し始めると、闇の中に光るコンビニエンスのネオンや、閉店間際の居酒屋の提灯や赤い暖簾から漏れる屋台の電球の黄色がより一層その輝きを増し始める。
「人生には限りがある。だから今夜は食べよう。」
と思い、深夜の銀座にハンドルを向けた。メニューに迷いながら、低カロリーを探しながら、そして意思無き自分に怒りながら夜食を求めていると、入船2丁目の信号近くで僕の胃は喜びに震えた。
「凄い数のうどんの見本」
「しかも歴史的に由緒あるうどん屋だ」
素うどん程度ならたいして胃に負担にならないと、木戸を開け、中に入ってメニューを開けた。
「情けない。結局食べたのは、うどんだけではなくすき焼き定食という晩御飯並みの立派なメニューとなってしまった」
明治屋というこのうどん屋は、減量中の僕にとって不幸中の幸いとも言える。
2006.12.02
第43号「K-1 WORLD GP2006 決勝戦 in 東京ドーム」
毎年、年の暮れになるとウインター・スポーツでもないのに格闘技がスポーツ・マスコミの主流になる。いつからこんなに格闘技がブームになったのか定かではないが、それは20世紀の後半、1997年辺りからであろう。
一方、K-1(キックボクシング)やPRIDE(総合格闘技)などいわゆる本格的な格闘技に主役の座を奪われ衰退していったのがプロレスだろう。
私が小学生のころは力道山率いるプロレスリングが、カラーテレビの普及と共に圧倒的な人気を誇り、やがてそれがアントニオ猪木さんやジャイアント馬場さんを輩出し、今日の格闘技ブームの礎を作った。
こうした、いわゆるコンテンツが社会に受け入れられる前提になるのがメディアの発達である。エルビス・プレスリーを支えたのはラジオであり、蓄音機であり、普及し始めて間もないテレビである。ビートルズの世界的なヒット曲の向こう側にもLPレコードやステレオと共に、人工衛星による映像配信があった。
東京ドームのアリーナは、写真撮影禁止というのは名ばかりで、携帯電話のカメラを使ってリングで戦う選手を撮影している若者が多数見られた。ここ数年でパーソナルなメディアとして突然普及した携帯電話やパソコンは、巨大な百科事典として作用し、又、形を変えたコミュニケーションツールとしても定着した。
しかしながらこれらのITメディアが新しいコンテンツを生み出し始める、という気配は今のところない。