DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2012.06.26

第26号 ベトナムの自転車

 ベトナムの自転車は、川のように、雪崩れのように、僕を襲い掛かった。
 洪水のように、押し寄せるオートバイに目を取られていると、背後から色とりどりの商売品を満載した高齢の女性が、声をかけてくる。

「ニッポン…トウキョウ……ゲンキデスカ」

 僕は思わず、
「ホーチミンほど、元気じゃないよ」
と、呟いた。

 国家が高度に文明化し発展していくことで、そこに住む人間の具体的エネルギーは、反比例して劣化していく。加えて、情報が発展し、ありとあらゆる全身の五感を刺激すればするほど、知的エネルギーも疲弊する。
 
 ホーチミンは、まだまだ都市のエネルギーと敗北しない人間たちが生命という名のペダルを漕いでいる。







2012.06.20

第25号 月刊「美楽」2012-7月号

『紅い空』
 自然が奏でる無限の色彩のどれか一つの色に、心を浸透させていく。すると、まだらで猥雑化した自らの心模様も極限の原色に返っていく。
 少年は、夕焼けの紅を思い切り吸い込むと、肺の中が真紅になるのを感じた。
すると、日没前のオリーブ色の山並みがまるで花びらのように刻々と開き、うっすらと浮かんだ幾つかの星が花弁の中に吸い取られていく。

 我々人間は、心の中に無数の色鉛筆を持っている。





2012.06.15

第24号 パーコー麺


ザ・キャピトルホテル東急『ORIGAMI』


支那麺『はしご』

最後に、
瀬佐味亭 虎ノ門店






2012.06.08

第23号 ホーチミンの誇り

 ホーチミンの誇りは、どこの国でもあるような歴史や文化やましてやノーベル賞受賞者の数ではなく、20世紀に入ってから津波のように押し寄せてきたフランスや中国や日本やアメリカなどの外的を、農民の知恵と工夫で粘り強く排除したその理性と体力である。

 延々と街を占領する無数のオートバイの川や、粘り強く何時間もの工芸品を生みだす指先。テレビの観光ガイドは、薄っぺらな紙のように表面的な映像を垂れ流しているが、戦争証跡博物館に張り出されたベトナム戦争の写真の数々が”悲しい誇り”となってベトナムの底辺を支えている。

 麦の穂のようなたおやかな肢体をオアザイで包み込みながら、タマリンドの花が濡れる歩道を歩いていく。彼女たちがこの国のエネルギーとなっている20歳代だとすると、彼らの両親のほとんどはあのベトナム戦争の砲弾の下を潜り抜けた戦争経験者である。

 1975年に独立して早くも40年が過ぎた。日本の場合、1945年の敗戦から40年過ぎた辺り、つまり、1985年に経済はバブルの頂点を迎えたとするならば、あと数年後にこの国も中国が散布する巨大なマネーによってバブルを迎えることになるのではなかろうか。

 しかし、日本との根本的な違いは、「ベト民」が自らの力で勝ち取った独立という誇りを今も現実のものとして持ち合わせていることである。






2012.06.05

第22号 アイ・ジョージさんの「夜霧のジョーニー」を聴こう

 アイ・ジョージさんに久しぶりにお目にかかった。
 数年前に何度かミーティングをしたときは、世界の子供たちを救うためのチャリティーソングを企画されていた。その企画は、莫大な予算と共にスティービー・ワンダーを始めとするビッグアーティストが多数登場するために、かなりの時間がかかり、現在もその企画は続行中とのこと。

 
 昭和20年代の後半にラジオとテレビがメディアとして普及し始めた頃の歌手は、現在の歌手と違い、歌もうまかったし、声も良かった。
 レコーディング段階で当然デジタルやコンピューターなどは存在していなかっただけに、音感もリズム感もしっかりした歌手でなければレコード会社のほうも評価しなかったのであろう。
 そんな本物の歌手しか存在しなかった時代に、中でもアイ・ジョージさんは群を抜いて声も良かったし、歌唱技術も素晴しかった。
 「最近になって、以前よりまして喉の調子がいいんですよ」
 と言いながら、録音したばかりのデモCDを、聴かせてくれた。
 確かに、以前より喉の奥が開き、鼻から吸う息もリズミカルだし、何よりあの頃の低音にさらに磨きがかかっている。
 こういう本物の歌手を評価する国でなけでば、日本の文化も評価されない。

 アイ・ジョージさん。79歳。世界で通用する日本の歌手として、一層元気である。