DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.09.09

9月9日(月)久しぶりに京都を訪ねた。盆地特有の釜で蒸したような残暑が街全体を被い、サウナで着替えたばかりのワイシャツがもう汗を吸っている。

西本願寺は、法然、親鸞をはじめとした創業者のエネルギーを未だに継承し、日本の歴史の随所に宗教を越えたドラマを演じてきた。建物のところどころにはこの宗教という空気的メディアが発散した痕跡が残り、絵画から柱の隅々には時代の権力者の指紋が息をしている。今回、NHKエンタープライズとラリスの松岡さんの提案で“あるPR”プロジェクトを進行中。これが実施可能になれば日本の世界的立場が大きく変わり、今の日本人の生活や物の考え方にも多少の変化が起こるはずだ。

21世紀の始まりにふさわしい判断が、多々提案されているにもかかわらず政治から経済、文化、宗教に至るまで実行段階に入れずに間誤付いたままで停滞している。それが、企業はもちろん庶民の生活をも混乱させ、迷走させ、加害者と被害者を増加させる。こうして未来への不透明な恐怖感はやがて隣人との信頼関係にひびを入れ、正しかったものや、まともだったものを喪失する。正直者が馬鹿を見る獰猛な支配の論理が優先される。



帰りの新幹線が静岡を通り過ぎるころ、レールを雨が濡らし始めた。雨の粒子が意外と長い時間窓に貼りついている。「のぞみ」はその雨雲を一気に追い越して東京に向かっている。

本願寺の唐門は、豊臣秀吉の贅沢を象徴しているが、あのシーサーのような置物は沖縄と同じように守り神の一つなのだろうか?秀吉は権力を守るためになぜ宗教と組んだのだろうか?南能舞台の庭の石は、音響板の役割をしていたのだが、当時の床を打つ音は今でも同じ音がするだろうか?国境を越えた浄土真宗は世界の人々にどんな風に解釈されているのだろうか?



僕もやがて神様を信じるようになるのだろうか?

もしそうなるとしたら何が切掛けになるのだろうか?

答えは、もう出ているのかもしれない。