DIARY:夕焼け少年漂流記

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2000.01.04

何かいやな予感、台風来襲。晴れ。AM5時起床。

何かいやな予感、台風来襲。晴れ。AM5時起床。

 午前4時起床。冬の朝の清々しさで、さほど睡眠不足は感じない。まだ薄暗いので、何か其のほうがうしろめたさを感じる。習慣的罪悪感と言うのか、すっかり酔ってしまい時間を忘れてしまって、朝帰りをしてしまった空の明度に似ている。左斜めに傾いた下弦の月が東の星を支えるように、群青に敷き詰められた夜明けの空にアップリケのように浮かんでいる。

 モーニング・ムーンの制作室に戻ると、昇りかけの太陽の照射に東京湾はオレンジ色に輝いている。得意の染め物屋が18番の帯を、海に流しているようだ。成田空港に向かい車を走らせる。いつものグレンモア・カントリーに行く時間とほとんど同じ、このままゴルフをしてしまいそうだ。帰り道の混雑を気にしながら、空港内の食堂で朝の洋定食を食べた。窓の向こうに客人が乗るであろうJAL947便がタラップに横ずけされ、眩しいくらいの朝日がレストランのテーブルにあたっている。右手の指輪が、睡眠不足のせいできつく感じる。

 帰りの高速は、仕事始めの日にしては全くガラガラ、1時間でGに帰社。貯まってしまった日記をゆっくりタタイタ。銀行で残高のチェックをする。株がやられているせいか、随分減ってるなぁ。

 芝のレストランで円卓を囲む、その後は、早朝の予感的中で台風来襲。本当に信じられないほどの罵詈雑言が部屋中を竜巻のように引っ掻き回し、僕は、今晩も歯と歯の間に楽観的ネガティブな結論を秘めている。誰にも迷惑が掛からない方法で、将来を見据えながら、ここは辛抱しか無いのだから・・・・。



2000.01.03

徐々に街に人が帰ってきた。晴れ。

徐々に街に人が帰ってきた。晴れ。

「亀有派出所・・・・」のアニメ、ゆっくり芝ゴルフ。夜、ガG会議。



2000.01.02

ゆっくり運動。のんびり。健康に感謝。晴れ。よる雨1時間。

ゆっくり運動。のんびり。健康に感謝。晴れ。よる雨1時間。



2000.01.01

10?歩いた。晴れ。◎安比

10?歩いた。晴れ。◎安比

 問題のY2Kも何も起こらなかった。いつもより長い紅白歌合戦、と世界各地のミレニアムの模様がテレビで放送されている。なんと言ってもロンドンが、凄い。日本は不況色がありありで、本当に地味な大晦日だった。



1999.12.31

大晦日、例年この辺りはスケジュールの調整が大変。



大晦日、例年この辺りはスケジュールの調整が大変。

◎安比へ

今年は大きな変化の年だった。判断の分かれ目がいくつかあった。その一つ一つが、人生の後半に幾らかは影響するだろう・・そんな気がするのも呑気な話だが25年ぶりぐらいかな?後になってみると"運命の分かれ道"の付け根であったには在ったのだろうが、岡田さんが常ずね言うように「おっとりしすぎよね」。若い頃はポイントもわからずに無意識のうちに過ぎていった。基本的には浮世離れも甚だしい、これは自らの性格の変革をして今年(1999年)限りにするよ・・宣誓。取り返しのつかないことは無いが、時間が無駄だから。
 ということで、今年のポイントは、



@ やはりリクルートを退社したこと。但し、92年の春のダイエー・プロジェクト以来精神的には徐々に離陸してきたので、転職ショックは無い。坂本健さんに感謝をしている。



A 神蔵君とガマG立。長年の親友と事業を始めるのは、もしものことを考えると友情と業績の天秤になりそうで躊躇したのだが、我が身の上昇とIT革命を視野に入れるとGOなのだろう。



B 母の病気と父の献身。正確には昨年から続いていたのだが、正直今年は覚悟をさせられた。一方あの小さな部屋で寝泊りを繰り返す父には、共に老いた夫婦の"やりきれない助け合い"と、やはり何処かで家の事はそっちのけで出歩いていた父が懐かしかった。



C 音楽から文学へ、僕のサブカルチャーが変わってきている。自分自身の年齢の変化もあるだろうが、文学界に身を置く人の安心感、厚味に、深さに体が流れていく。といってもそれほど音楽漬けになってた訳でもないのだが。ガマG学の接点も在るしな。



D 宣弘社の小林副社長、協栄ジムの金平会長、ネクサスの景山さんみんな積極的なネットワーカーだった。合掌・・・・・・・・


1999.12.30

今日も晴れ。神谷町の周辺もさすがに人が減ってきた。

今日も晴れ。神谷町の周辺もさすがに人が減ってきた。

 大井町の、イトーヨーカ堂は凄い賑わい。ビジネス街と商店街の違いを、まざまざと肌で感じている。芝のゴルフ場のレストランで、グレッグ・ノーマンのワインを仕込んで、城山ヒルズで忘年会。M君と3人、やはりこの人は素晴らしいと品田先生も直感のいいところで分析。鴨鍋、海老、でワインを5本。昼間の酒は良く回る。珍しく、僕も寝てしまった、それにひとさまのお家で風呂まで浴びて・・・。ギターを弾いて、今年の総決算。

 その後六本木で、JANDCの忘年会。ぎな君と、大森君、金山氏にタレント3人。清水さん、菊地さんが当面の商品価値。品田さんとの契約を前提に僕はこの会社と動いている。来年、4月から何とか契約を結びたい。昼間のワインが寝る前まで、残っている。◎安比へ




1999.12.29

年末のチケットの件でバタバタ。晴れ。

年末のチケットの件でバタバタ。晴れ。

年末の、ユーミンとラルクのコンサートチケットの余りの販売で本当に、いやになっている。手間がかかる割に、信用を失うし、儲からない。計画的に仕入、必要以上には受けない。これが、絶対のルール。誓う誓う。

 ローソン・チケットに挨拶。中山社長、岡田常務と神蔵、西澤、今村。坂本氏のセット。以前より、岡田氏とは、組みやすいと思った。少なくとも、"裏"が無いので、ストレスが溜まらない。関西弁で、歯切れ良く、頭脳明晰、回転速い、岡田氏。やるなぁ。しかし、このグループと何を共有し、どう組んで行くのか・・・。よーく、仕組みを検討したい。やはり坂本氏の力を借りて、取材をしてみたい。

 和気藹々の中で、ここでも色々な思惑が動いている。要は、来年の始めに持ち越された。

 9時、さだまさし氏と、ニュウ大谷の「カプリ」で打ち合わせ。Gの進行報告と、新しい企画の話。小林 幸子、都 はるみとのユニットでLPを作り、着信システムでの販売と、ローソンでの限定販売をやろうか?途中で、日高君が参席、これも来年に持ち越した。外堀通りの虎ノ門の信号のてまえに車をとめて、日高君と2時間も話をした。業界の話、裏の絡み・・・。師走の静けさが、街じゅうに"居直り"、時々パトカーの音が近くで聞こえる。不況で、犯罪、自殺、結局経済の破綻は庶民に負担を強いるのだろう。<



1999.12.28

本当に雨が降らない。体内乾燥注意報。

本当に雨が降らない。体内乾燥注意報。

 つらい。やはり、夕べの日本酒が頭を重くしている。憧れとしては酒で酩酊し、文学的に沈思している姿は良いのだが、僕の体やライフスタイルとは本質的に違う。たぶん青年時代の文学ミーハーの残党が伊集院氏のエッセイで、蘇ってたに違いない。すこし生活を立て直そう。



1999.12.27

朝から軽快。冷たい冷気が青空を透かしている。

朝から軽快。冷たい冷気が青空を透かしている。

 神蔵君は、まだ沖縄に滞在中。街は、年の瀬の仕事納めで大渋滞。夕方、「菊川」のうなぎ。その後、向井さんと中田君を連れて忘年会。赤坂の神社の境内にある「うさぎ」から鮨辰へ。"竹"という僕が命名した冷酒を八号、久しぶりの酔い。

その後今年初めての「キャロンドール」。ママもマスターも元気だ。マスターの気が完全にグレーになっていた。この商売はストレスが貯まるのかなぁ。それとも体質なのか?明日は、まず確実に二日酔いだろう。日本酒はとにかく体を重たくする。午前3時。ガG駐車場、といっても玄関口で仮眠。外気が冷たいので、クライスラーのヒーターをつけて、喉がからから。



1999.12.26

ブセナの入り江の朝。よく寝た。今年一番深く寝た。深呼吸をすると、海の香りが部屋中に入り込んでくる。晴れ。

ブセナの入り江の朝。よく寝た。今年一番深く寝た。深呼吸をすると、海の香りが部屋中に入り込んでくる。晴れ。

 高級リゾートなので、60?位の部屋に6畳位のバス・ルームがついて一泊5万円也。クラブメンバーのフロア-なのでサービスは行き届いているが、それにしても高い。夕べは、今年隋分銀座で奢って貰ったので鉄板焼きをご馳走した。

 朝の、レストランはどこも満員でやむなくクラブのラウンジで簡単なコンチネンタルを取った。出発の際、入り口にたくさんのマスコミ。サミットの下見をするために稲峰知事がホテルを訪れているところに丁度我々が出くはした。ドキッ。空港まで2時間位の所要時間を計算すると、10時にホテルを発たなくては。思ったより、早く新装の那覇空港に到着。飛行機の中の昼食が期待できないので4階のレストランでハンバーグ定食をたいらげた。この空港はなんだか馬鹿にひろい。窓の向こうに、青い海と白いリーフが静に波を立てている。ゴルフ・バッグをホテルに預けてきたのに、もうしばらくこの島に帰ってくる気がしない。鹿児島の母親のところにお見舞いに行ってあげなければ・・・。

いつもより強く感じた。

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