DIARY:夕焼け少年漂流記

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2000.01.14

プライス・ウォーターの前田氏と「七面草」へ。

プライス・ウォーターの前田氏と「七面草」へ。何かの期待を感じたのだが連日の疲れで気力が出ない。年を取るというにはこういう現象をいうのかなぁ。



2000.01.13

種まきで正月早々忙しい

種まきで正月早々忙しい

何が起こるかわからないが、徳洲会のIT化を進めることで、仕事ができそうだ。徳田先生の長女、能宗さんとIRI宮川、西澤氏の会議。この巨大なシステムに取り組む事は5年がかりの大仕事。選挙と医療の一体化作戦スタート。



2000.01.12

日高君と兄弟仁義の大酒により頭痛

日高君と兄弟仁義の大酒により頭痛

ワインと、シャンパンで大騒ぎは良いのだが、考えてみれば僕が一番長老。もう少し違うのみ方を提案していれば良かったが、後の祭り。教訓「若い人に会わせて飲むと、足元を取られるぞ。加えて、ただのおっさんに評価もなってしまう」。

さておいて、今夜もJAND Cのメンバーと新年会が入っている。楽しみだが、体が持つかなぁ・・・と不安。夕方には中内会長と会議。



2000.01.11

"ちょい"いい日

"ちょい"いい日

羅漢寺へ。貫主の日高宗敏氏も健在。あいかわずの迫力、雰囲気に安心。このブローカー的なムードと、豪華な和服がマッチして難とも言えないような重量感。

5ヶ月間も仕込んできた案件の結論が今日。いろいろ心配事もあったが、とにかく結果的には良かった。このプロジェクトの反省、総括は是非のちほど・・・とくに仕事の初めに係わり合いの部分でやるべきこと、チェックすべき事、確認すべき事も一度自分に叩き込んでおきたい。

「こすが」は新年のこの種の目的には場所だ。おかみさんも、じゅんこさんも元気で何より。そういえば、この場所はEさんと数々の思う出を作った場所。こんな所でお酒をのめるのもEさんのお陰、感謝をしなければならない。



2000.01.10

成人の日。晴れ。風が冷たい銀座。

成人の日。晴れ。風が冷たい銀座。

 東京タワーの展望台のあたりに、"2000"の文字がくっきり浮かび上がって、何時もの柚子色のデコレーションとは違い、なにか商店街のアーケイドのような庶民的な雰囲気をかもし出している。サウナから出て、いつものように深く深呼吸をする、芝公園の木々の呼吸から生成された酸素を感じながら夜の空を眺める。振り向いて仰ぐ東京タワーいつもの静かな安定感とは異なり、なにかから騒ぎの日本を象徴しているようだ。バブルが崩壊して10年、庶民の不安とあせりと政治家の嘘と、事業家の誇張がこの国を一層混迷の闇に陥れ、正直のところ成人式などという行事を人生の大切な区切りとして位置ずけている家庭や青年などいないだろう。そう言えば、僕は20歳の誕生日を、スイスのベルンで迎えた。エルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリックロード」をゆーす・ほステルのジュ^ク・ボックスで流しながら、全く先の見えない人生をどうして生きていくのか毎日、とめどない不安の中で考えていた。今思うと、その時間が長すぎたようにも思えるし、ただのモラトリアムだった気がしてならない。つまり、"なんでも、かんでも、やってやる"ことの気が付いたのはつい最近、失敗を恐れるのも若さの特徴かもしれない。<



2000.01.09

◎鹿児島へ。

◎鹿児島へ。

 YWBの人ごみの中で、読書。伊集院静氏の「水の器」文庫版。昔から、人の喧騒の中に身をおいて周辺の人の会話や、歩く姿、衣服の様子から何となくその人の生活を想像するのが好きだった。この習慣は、いつから始まったのだろうと考えると多分子供の頃からだったように思う。今でも鹿児島の祖父の家に集まった親戚の様子を遠くから神経質に観察していた自分自身の光景が写真のように記憶されている。この性格を発展的に濃くしたのは、父の都合で転勤が多かったせいだろう。転校生は、新しい学校に移るたびにクラスの様子や、同級生の力関係を一歩引いた所から観察する。状況を理解しないで安易に自分を主張すると、とんでもない"村八分"になり、とり返そうとして倍の苦労しても一旦孤立した生徒はなかなか浮け入れられないのが、面倒だった。

 家族から離れてねている主人、3人の子供の手を取って日頃のイメージ・アップの回復に努めるパパ、初めてのデートなのであろう二人の歩き方に何処となく初々しさのあるアベック。正月休暇がYtoKの影響で1週間伸びているのか集団として不慣れを感じさせる人の群れに、騒々しさを感じながら昼寝をしてしまった。



2000.01.08

晴れ。初七日を終え、そろそろ今年の目標を立てよう。

晴れ。初七日を終え、そろそろ今年の目標を立てよう。

 馬喰町の紳士呉服店の広告に目を惹かれた。もう何年も前から一度尋ねてみようと思っていた「坂善」に車を走らせた。新聞広告の地図によると浅草の東3キロ地点。江戸川沿いの街だったはずだが、実は浅草橋から徒歩3分。江戸時代は浅草の一体が随分広かったんだろう。ウエストとヒップがまた一回り緩んだのだろう、狙い目のダンヒルのスーツはサイズが無くアクアスキュータムとダックスの2着を購入した。Gの今年の仕事を考えると、きっとスーツを着る機会が増え、しかもある程度は格好を良くした方が新しい会社だし評価も上がるだろうとの考え。12時の約束でANAホテルに竪山と、センコウシャの小林JRと宮田君を呼んである。春のフィランソロピーの打ち合わせ。竪山くんとは彼が新入社員時代からの関係でそろそろ20年近くになる。以前文春を賑わした「ロス疑獄」の三浦さんにの2枚目に男の色気が加わり本当に色男になった。ビールを静に飲んでいたあの懐かしい販売部の時代が蘇る。I・R・Iの藤原さんと新会社の打ち合わせ、豊田君とTBSのラジオの打ち合わせをこなし、成田空港に品田先生のお迎え。夕方のAゲートは、厳つい顔の若い衆が数人、見たことのある顔だと思ったら福田(銀座)さんのお迎えらしい。東京は狭いなぁ、というより、ここでも友達の多さを我ながら感心した。



2000.01.07

睡眠不足の朝。晴れ。

睡眠不足の朝。晴れ。

新年会でダイエー・グループの松岡会長、宮島氏常務、情報センターの佐野専務と東京プリンスの「清水」で会合。9時からの打ち合わせを、IRIでやっていた成果のとうり、R株、L株の話もスムーズ。考えてみれば、藤原さんのような技術者とのプロジェクトも初めてだし、IT革命のような時代だからこその取り合わせなのかもしれない。ひょっとして大変なことが起きるかもしれない。

 今日からアライアンスを急ぎたいこともあり、午前中久しぶりにインデックスの落合君が来社、HIPの林社長、サッカーのチケットの件で打ち合わせ。マライヤ・キャリーの利権をHIPが獲得したと聞いて驚いた。一方格闘技も落合君の経験を生かしてGにメリットが期待できそうだ。ポニー・キャニオンの稲葉社長に新年のご挨拶。日比谷のスケートリンクで、衛星放送との会合。岡田氏と「鉄五郎」(虎ノ門)でうなぎ。昼間サラリーマンでごった返すこの店も、夜の7時を過ぎると居酒屋らしくメニューが様様。芝ゴルフに行くと、セクストン氏が黙々と7番アイアンの練習。声優の彼は年が同じせいもあって、しかも元大リーガーというスポーツマン気質。とてもいい関係。男友達として長く付きおあうようになるだろう。去年から、そんな風に感じる男友達が増えている。「この年になると、女より男のほうが気楽でいいよねぇ」離婚暦4回の彼は、ゴルフ場230ヤード先のネットを見つめて明るく笑った。9時にホテル大蔵の「ハイランダ-・バー」でアントニオ猪木氏と、長沢純氏にIRIの藤原氏以下でミーティング。新日本プロレスのナスダックの話。その後、RのS氏と「クラージュ」。奄美大島の石堂氏を紹介される。その後「はずき」で豪華日本料理。この瞬間も男二人のいい酒になった。S氏少し寂しそうに見える、何かあったのかなぁ。<



2000.01.06

晴れ。

晴れ。

新宿のイマジニアで、役員会。いよいよ街は、動き出した。東和の件で朝からばたばた、首都高速をとばしてぎりぎりで到着。1月の目標の確認をし、全体会議。午後から、デザイン"F"の長期プラン。大谷社長、大滝さん両美人に、金山社長を加え、インターネットの業務に話は集中した。今日までが正念場、台風が漸く過ぎて行きそうだ。

久しぶりに、ゆっくりサウナに入り、疲れているせいか30分ほど仮眠。ANAホテルに置いてあるベンツのSLが気になるにので、夕食をかねてチェックに行った。しかし、晩飯の蟹定食はひどくまずかった。蟹の身が、甲羅について離れない。神蔵君からプッシュの電話が入って、銀座の「麻衣子」にYちゃんの店移転の記念に顔を出す。麻衣子ママと久しぶりに話したが、申し訳ないが年を取ったなぁ。口元の皺が気になった。僕の歯の掃除も急がなくては。天井の低さと、席の密度と、客の数で酸素が薄い。12時を過ぎた頃に、予定どうりに「エルザ」へ。笹岡社長と、Mさんが合流して午前3時。神蔵さんを見送って床についたのは4時30分。帝国ホテルの前で1時間ほどミーティング、笹岡さんとは感性のレベルが近いな。瀬名氏と久しぶりに会った。東京に久しぶりに雨が降った。小降りだったが、クライスラーのフロントのワイパーを1ヶ月ぶりに動かした。



2000.01.05

暖かい冬の一日、スーツを一応着込んだ。初日らしいので。

暖かい冬の一日、スーツを一応着込んだ。初日らしいので。

 朝、新宿のイマジニアの会議室で役員会。神蔵君とも久しぶり。去年毎日のように会っていてので、4日も会わないと新鮮で、思わず握手をしてしまった。

 本日から、役員会様に簡単な企画書を渡すことにした。宣伝部の鈴木君を何故か思い出した。ワープロが珍しかった頃、彼は毎回企画書を打ってきた。まめな男だったが今考えてみると、(いい練習をしていたな。)それが羨ましかったのを、思い出した。

 横浜アリーナで、ジャニーズのV6のコンサートあり、その近所で夕飯を食べるため店探しの散歩した。新横浜の駅周辺は、新しいオフィス街なので見るべきもには何も無い。コンビにと、紳士服の青木と、ビジネス・ホテルと大きな幅の道路が走っているだけの街。東京よりも温度も寒く感じられる。ラーメン博物館と言うのが名所ぐらいで、そのせいかラーメンが食べたくなった。人の流れも無い大きな交差点の角に屋台のラーメン屋があったので、暖簾をくぐった。柱に「マリモ」と言うスナックのチラシ張ってあったので、

 「この店、美人が多そうですね。友達の経営ですか?」

「私がやってるんですが、女房が癌で死んじまったモンでね。大変なんっす

よ。」

 いきなりまずい事を聞いてしまった。のだが、客の質問には達観したように、麺を茹で始めた。おじさんの後ろのベニヤの壁に"網走刑務所"記念の小さな暖簾が画鋲でとめてある。

 「この網走の暖簾なんですか?」聞くほうも聞くほうだが、

 「女房が、北海道なんです。「マリモ」ってのも女房がつけたんですよ。」期待に反して、昔の勇壮な過去や、武勇伝はさらさら関係なく愛妻家の屋台のおじさんだった。何でも、韓国の人が多く住む町に、内装の高くついた居酒屋をだして、"つけだおし"に会ったそうだ。その後、長距離の運転手で800万近い借金を返し、この屋台を開いたらしい。いろんな人生の局面で、きっと彼の北海道産の奥さんは屋台骨になっていたんだろうなぁ。麺の量がやや多く、スープは甘く感じたが、足元の風が冷たかったせいか一気にたいらげた。横浜アリーナに来る時の楽しみが増えたのが嬉しかった。見知らぬ街で、知り合いや、もう一度寄ってみたい店が出来ると、犬が柱に小便をつけるように嬉しくなるのかもしれない。衛星放送@も満足そうだったし、

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