DIARY:夕焼け少年漂流記

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2001.03.26

実のところ、今日は4月20日。芝公園の桜は今年も1万人に”花見客”を集め、日本は本当に不況なのかと思わせる。

実のところ、今日は4月20日。芝公園の桜は今年も1万人に”花見客”を集め、日本は本当に不況なのかと思わせる。さだ まさしさんからお礼のTeLを頂いた。・・・・というのは、3月26日は久し振りの鹿児島コンサート。母は、足の具合を跳ね除けていそいそと会場へ足を運んだ。「楽屋を尋ねて何か差し入れをって考えてるんだけど、あなた何がいいかしら・・・・?」そんな相談を当日の朝受けた。

母の得意は卵焼き(上品な甘さと酒の香りのバランスがいい)とハンバーグ(僕は30年間これを食べつづけている)。それを是非まさし氏に味わって欲しかったので、鹿児島の焼酎と一緒に土産に届けてもらった。宮崎に向かう、おそらく日南海岸沿いの高速から「お母さんの卵焼き・・・本当においしかったよ」・・・・・わざわざこんな言葉の為にTeLしてくれたさだ氏にかえって恐縮。彼の、”詩”のテーマの心に何か久し振りに心が揺さぶられた。

数年前、加世田(鹿児島の日本海よりの海岸)で「砂の祭典」というイベントの仕事を手伝った。あの日は、大きな台風が薩南地方に上陸し、日本海に面した海岸線は冬の嵐のように黒い群青色に変わり、砂をあしらったビルのような巨大な作品はいずれも今にも作品ごと海の底に引きずりこまれそうになっていた。”向かい風をうけたライオン”は、僕のリクエストの為にマイクに入る強い砂交じりの風を両手で避けながら熱唱していた。あの日も、さださんの心に感動した。横にいる父が、誇り高そうにサングラスを拭いていたのを思い出した。


2001.03.16

あっという間に、春欄間。

あっという間に、春欄間。東京プリンスから増正寺に繋がる側道のトウキョウハザクラを筆頭に、2週間後に境内の空の上を覆うソメイヨシノまで僕の一番ドキドキする瞬間がやってきた。冬をやっとの体力で乗り越えてきた老人たちが、この時期ゆっくりこの場所で花見をし、生をかみ締める。

コスモスライフの入村社長(さん)に久し振りに会った。リクルートの時代からそのジェントルで、クールなキャラは尊敬していたが、4年ぶりに目の前で穏やかに金子君の”Gの会社案内”に耳を傾けるその姿が懐かしかった。「東・・・、まっとうにやれよ・・・・。」帰り際にオフイスの奥から僕に叫んでくれたのが有り難い。・・・・まっとうとは、きっと飲みすぎるな・・・という事じゃないだろうなぁ・・・・。もっと、僕に対する経営的な注文かしら・・・。

アミューズ・ピクチャーの宮下社長と、第一パンの柳井常務と打ち合わせ。映画は金融業である。との宮下さんの話にアメリカの映画娯楽ビジネスと我が国の映画市場とのスケールの違いを感じ、また台本一つで投資する”感・勘”の勝負に”コンテンツ・ビジネスの本質を垣間見た。

アントニオ猪木さんからお誘いのTEL.アメリカから帰国されると必ずワインをやる。朝まで。カストロ首相直伝の葉巻の香りに、南米育ちの”永遠少年”は静かにゆっくり夢を語る。僕は、その圧倒的な包容力と男らしさに”自分の幼さ”を痛感している。



2001.03.12

サントリー・ホールの前をワインでほろ酔い乍ら、全日空ホテルに向かっていくと、この冬一番の北風に向かって1組の中年夫婦があるいてくる。

サントリー・ホールの前をワインでほろ酔い乍ら、全日空ホテルに向かっていくと、この冬一番の北風に向かって1組の中年夫婦があるいてくる。いかにも品のあるウインター・ファションをよくよく眺めながらすれ違うと「よぉ、寒いね・・・。東君どちらへ」森ビルの森 稔社長だ。スウィットの広瀬君は頭を下げながら「こんにちは」を連発。あまりに偉い大家さんに恐縮している。この瞬間、風がとまった気がした。

東京プリンスの松田さんと、銀座の「並木倶楽部」へ、喉の調子が生まれては初めてここ3週間悪い。一説によると花粉症が声帯を壊していく過程で、風邪と扁桃腺炎を併発したのかもしれない。首都圏中こんな症状の人が一杯。僕は、通勤電車のラッシュもないし、感染するとしたらサウナか、イマジニアの役員会のメンバーか、ホテルのラウンジしかない。それとも、銀座の「ながよ」か?・・・・・・・。

アミューズの映画「C」の販促策で、第一パンの柳井常務と秘策を練っている。もともと松岡会長との柏ゴルフがきっかけで橋本真也君のサンクス「格闘技」弁当に企画が発展し、それがいまやビジネス・モデルとして、あるいはコンビニ弁当媒体作戦として楽しみになってきた。

昨日の鹿児島は満月、完璧な円形ではなかったが桜島の右肩に黄橙の堂々とした存在感。鹿児島空港は、ラスベガスで見た夕焼けのようにオレンジ色に染まり、砂漠の灰塵のかわりにセメント色の滑走路がひろがっている。天文館の「マリー」で吉見君と一杯。翌日父と一緒に「湯の浦カントリー」で16H。父も僕のドライバー(横井さんに創ってもらった)があっているらしく飛距離も60代の頃を取り戻し180Y平均で上機嫌。78歳とは思えないショットを連発。僕は、驚くなかれ前半40.特に最終18番は547ヤードを2オン。午後の16番でも、池越え260Yを超えてグリーンまで70Yまで白球豪打。1ヶ月ぶりにクラブを持ったにしては上出来。

母のハンバーグを6個たいらげ、薩摩に浸った。



2001.03.06

夕方、1週間ぶりに”歩く時間”ができたので芝公園から、神谷町の「G」まで10分。

夕方、1週間ぶりに”歩く時間”ができたので芝公園から、神谷町の「G」まで10分。この1年の間に、慈恵医大が高層化し、桜田通りの寺院が60階急のビルになり、聞く所によると13階から墓地にする予定だという。一体このマンションの13階以下に誰が住みたいと思うのか?森ビルは、どんどん街をオフィスに変えていく。住む人のスタイルも否応なくIT化し、高層ビルの上から景色として日常を眺めているような”あいまいな判断”が都市に溢れている。

昨日久しぶりに大兄貴の戸張捷さんからTel。
「日本は戦後の役割は終わったんだよ。これから、20年はダメだね。東京タワーも役割を終え、その周辺のビルも老巧化し、立て直すパワーも将来はなくなるよ。」歯切れのいい声が、TVのゴルフ解説同様に客観的なだけに説得力を増し心地よかった。僕が最初に憧れた先輩でもあり、日本人ばなれした地球的価値観に圧倒される。会いたいので、来週一杯やる事になった。

久しぶりに「金田中」(築地)に呼ばれた。諏訪さんの演奏でE氏と2人コンサート。さだまさし氏の歌シリーズ。京都からの千代里さんもこれまた久しぶりの美形。上方言葉に三味の音。林 真理子さんお勧めの芸者さんらしく知性的。同志社大卒の彼女の価値観もこれまた興味あり。

夜、中丸 美千絵さんからTEL.。実家が強盗に遭って宝石類からパスポートまで”やられた”と元気が無い。茨城の実家にかえる常磐道で突然僕の携帯番号を思い出したらしい。オペラ人生そのものの彼女はいつも誰かに見られているのか・・・。



2001.03.01

すっかり春の風が吹き始め、東京プリンスの玄関の女性のユニフォームも重たいコートから普通のスーツだけに変わった。

すっかり春の風が吹き始め、東京プリンスの玄関の女性のユニフォームも重たいコートから普通のスーツだけに変わった。


吉行淳之介の「驟雨」にもあったが、この次期の雨は短時間に荒らしのように降る雨と、1日中だらだら降る雨の2種類あるそうだ。温帯性低気圧の卵が日本列島を北上し、丁度関東地方に停滞し、暖かい雨が終末この駐車場にも現れる。


進退の判断の醜い人間は、それまでのどんな業績も、勲章もすべて台無しにする。今の、政治家はそんな連中で一杯。人生の美学よりも、経済つまり利権にしがみついて祖先にまで迷惑を掛ける。


3月に入り、ガマ号は再び嵐の中へ。そして、例年のように僕は種まきの種を探している。橋本真也君のゼロワンが明日国技館で”旗揚げだ。細川総理夫人のスペシャル ・オリンピクスもローソンのい松岡会長の暖かい配慮を頂けそうだ。



2001.02.21

誕生日。春の風が吹き始め、今ごろ、沖縄のリンケン君の庭にはそろそろ桜だよりが到着する。

誕生日。春の風が吹き始め、今ごろ、沖縄のリンケン君の庭にはそろそろ桜だよりが到着する。
本日は、朝から大騒ぎ・・。免許証の期限が本日で切れる。鮫洲の試験場にTELして

まずは免許証の更新手続きの確認、講習の有無、そして来週へと延期の申請。
青い空に、12度と言う温度、散歩日和にもかかわらずばたばたしている。誕生日と言う意識は殆ど無く、僕の周辺がお祝いムードなのに、いつものように僕は今日も3年先をみて夢遊病状態。従って、体全体で”お祝いの声”にお答えできない。天の邪鬼は少年時代からの事で、昔から誕生日は照れくさいか、ピンとこないかのどちらかだ。

夕方に掛けてなんと橘君と木更津の「竜宮城」なる温泉スパへ・・・。といっても車で30分、アクアラインを抜けてあっという間のドライブ。東京湾は横からの西風が12Mも吹いていて、露天風呂は震えるほどに寒い。体全身に塩を塗りたくり、ついでに顔も白くなるぐらい岩塩を塗ったせいで流れ出る汗が濃度80パーセントの塩水とかし、目が開けられない。しかい浸透圧のおかげで全身がツルツルになり、楊貴妃のようだ。

昔、よく通っていた東京温泉のオーナーと会食。久しぶりに三井アーバンホテルの棟方にお邪魔した。スポーツ選手をたくさん契約しているサイトがあるというので来週紹介して頂く事になった。1日が慌ただしく過ぎた事もあり、銀座の喧燥を逃げるように東京プリンスのウィンザーでグリーン茶を一杯。「NTT対KDDI」なる本を突然開いている。ほんの20分の休息の後さだまさし君と打ち合わせ。「精霊ながし」という本を執筆中、そのあたりの周辺の事業を”脳みそあらし”。さださんとの夜は長くて、楽しい、右脳が全開の午前4時。



2001.02.16

カナダ大使館のパーティ会場にて細川総理夫人主催のスペシャル・オリンピクスの日本招聘会議。

カナダ大使館のパーティ会場にて細川総理夫人主催のスペシャル・オリンピクスの日本招聘会議。人口の1%は出現するという彼らのオリンピクスを、2005年にどうしても長野で実施したい。国際的にも”やさしさ、豊かさ”などの社会共存性が低く、加えて文化のレベルも劣り始めた日本が少しでも、グローバル・スタンダード(経済的な意味ではなく)の刺激を受けるチャンスになる。長沢純さん風に味付けされた進行は、アントニオ猪木氏、大リーグ第1号の村上氏らの参加もありとても暖かい雰囲気。これ位の規模のパーティは、アメリカ留学時代もあちらこちらで開かれていた。考えてみれば、ホテルで何千人なんて形だけのイベントが異常なんだ。日本は“質から、数の時代”を卒業し、”血の通った個人”の時代に早急に移らなければ・・・。

朝の新宿は津田さんを始め、味噌汁を作る人の活気に溢れている。ダイエーで買ったうどんと賞味期限の切れたコーン・フレークスをもってみんなの輪の中にいる。向こうに見える東京都庁のビルはせっかくの日光を完全に遮り、職を失った人々は甲州街道の冷たい排気ガスと、昨晩の汚物の匂いを混入させたような路地裏の空気が充満している。耳たぶが寒い。
公園にわずかに残った日だまりで、猫が3匹遊んでいる。少しだけ柔らかな気分でいられるのは、そんな動物にも”分け前”の魚の骨が残っているからなのか。



2001.02.06

朝の冷え込みが一段と厳しく、TVや週刊誌ではこのところ富士山の低周波地震が頻発し、270年ぶりの大噴火が近いと騒いでいる。

朝の冷え込みが一段と厳しく、TVや週刊誌ではこのところ富士山の低周波地震が頻発し、270年ぶりの大噴火が近いと騒いでいる。人間というには、解っちゃいるけど今どうする?という答えが不正確な場合、決して動かない。僕の煙草がガンの確率を高くし、あまり感じないストレスがホルモンのバランスを怖し、夜の酒が睡眠不足を招き、それが内臓やら血管やらの清浄化をいたく遅らせ、記憶力を鈍らせ、イマジネーションを奪い、・・・そんな事は分かっているのに繰り返す。

1月末のロ・セイコーさんの新年会で西村会長(日拓)と隣り合わせた。西村会長はあちらこちら集会で良くお目にかかる。その無駄の無い、”芯”を捉えた事業ノウハウは20代の頃から抜群で、例の東映フライヤーズ球団を購入したのが26歳の時だったらしい。

「東君、成功の秘訣はバリューだよ。珍しい、他に無い商品(unique value)、それから継続してある事(value system)、value identitiyによる価格定・・・・この3点。」
「論語の思いやり、思助。孫子の自然でぶれない姿勢。韓非子の対応力・・・・・それから宮本武蔵の”戦わずして勝つ”のもいいね・・・・・」 今年は、会長にいろいろ教えてもらおう。やはり、先輩はたくさんの知恵をお持ちだ。針木先生、今村 節子さん(一針時計)、なかにし 礼氏、「春節晩餐会」はノウハウと刺激に溢れていた。



2001.02.01

最近の東京の空は、週末になると雪を含むそうだ。

最近の東京の空は、週末になると雪を含むそうだ。平日の、オフィス街が吐き出す暖房機の排気や、走りまわる車のガスが少なくなるため上空の温度が冷えるそうだ。凄いというより、ここまで人間や、都市の影響が自らの生活に及び始めている。

新子安のマリノスのグランドは、冷え込んでいる。サッカー教室の子供たちの声はあの夏の海岸や、蝉取りをした公園のはしゃぎ声とさほど変わらず、いつでもどこでも突き抜けて高い、鋭い。

久しぶりに、HISの沢田さんと会議。相変わらず、テンポ早く、歯切れ良く、無駄が無い。この大柄な経営者の内側のマグマは、世界旅行の価格破壊から、日本の旧構造の革新へと繋がっていくのか。楽しみなトップだ。



2001.01.27

こんな記憶は30年ぶり、1日に2回、母の創る食事を食べた。

こんな記憶は30年ぶり、1日に2回、母の創る食事を食べた。鹿児島の”めし”は何かうまい。シラス台地が育んだ水のせいか、武士と農民の味の葛藤がその微妙な塩気を作り出したのか、はたまた胃が体中にひろがって、校庭から食卓に駆け込んだ少年時代の記憶が中年の舌を懐かしくさせているのか・・・。夕方食べた、薩摩の黒豚のしゃぶしゃぶは思わず父の分までたいらげてしまった。

鹿児島カントリーで、薄暮プレー。9ホール風の中で、父のセットを借り手て43。まあまあの出来。東京の羽田は何年ぶりの雪で、飛行機は全便欠航。こんなことは、過去の僕の記憶の中でも珍しい。関西空港に降りて、笹岡社長と一杯やるか、福岡に飛んで小園君とラーメンを食うか、名古屋の小牧空港から”味噌カツ”担いで新幹線で帰京するか、頭の中で友人と、名産物の大葛藤。要は、ラジオの気象情報を聞きながらまだ見ぬ東京の”雪嵐”を不思議な気持ちで想像していた。鹿児島は近くて、やはり遠い街遠い街なんだぁ・・・。

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