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2001.01.26
最終便で鹿児島へ。
最終便で鹿児島へ。サン・ロイヤルHにCI.。13階のラウンジのカウンターごしに窓の向こうの桜島を探した。隣では、加世田から吉見君と、元さんがいつもの穏やかな表情でビールを飲んでいる。天文館にでようと、タクシーに乗り込むと窓から南国の冬の風が心地よい。
「鳥を食べよう」という話になって、宮崎の地鶏で有名な「丸万」でもも1羽分たいらげた。300グラムはあるなぁ。天文館の路地は範囲が狭いわりに複雑猥雑。区画は整理されているのに店の場所は分かりずらい。多分、高層ビルがなく、5階6階の小さなビルがひしめいているからに違いない。
飛び込みで入った「マリー099・226・3317」には、”父の痕跡”がここにもあった。西島さんというママがわざわざ挨拶に・・・父とはかれがマスコミ時代から30年もの付き合いだったそうで。
翌日、ホテルの風呂で正面の桜島にうっとり。父が創ったホテルなので自宅の風呂に入って、たくさんの客を招待しているようだ。塩泉濃度の温泉で、一枚ガラスの向こうには桜島が窓の90パーセントを覆うように張り付いている。目の回りの疲れがゆっくりと遠のいていくのを感じながら、錦江湾の右手に広がる大隈半島を眺めている。今から、母の朝食にありつける。
2001.01.24
冬らしい日々が続いている。
冬らしい日々が続いている。愛車のベンツV280はスペイン製造らしく、走行距離15、000kなのに、ハンドルがギシギシいい始め、加えてバッテリー・ランプが点きっぱなしだ。冬は苦手の”国”だから?SLの方は、倉庫に冬眠中、春になったらルーフを開けて解放する予定。ということで、車のエンジンをつけたまま駐車し、片方の鍵でロック。ゴルフ道具やら、喪服やらでロッカーにしているため故障すると大変な事になる。やはり日本車が一番気を使わないという当たり前の結論。女もそんなものかもしれない。
”生まれてくるのは難解で、・・・生きていくのは苦痛だし、・・・かといって死ぬのはもっと厄介だ”
なんて句を聴いた事があるがたんたんと生きていくのが大変に難しい。日本のあちらこちらで滅びるものと、生まれるものの同時多発現象。だからなおさら変化を感じない。秋山先生(気能法)が新年会でそう言っていた。感じすぎると、考えすぎて、迷いすぎては、自分の場所が見えなくなる・・・・そんな”砂丘の旅人”たちが増えている。
そう言えば、昨晩久しぶりに松永 真理氏(I・モードのプロデューサー)と食事。リクルートの凄さ、愉快さ、歴史感などで数時間に及ぶ大企画会議。途中から藤原 和博君も合流、くわえて、橘 茂昌氏の4人。母校の思い出を話しながら、僕はこの4人でロック・バンドを作ったらいいなどと考えていた。
迷わなかった時代の”よき日々”をツマミにして。
2001.01.20
深夜にかけて雪。
深夜にかけて雪。目黒の宮本邸でアントニオ猪木氏やら、長沢氏やら、大友氏らとパーティ。リビングにプールがある豪邸の披露も兼ねての会で、加えてジャイアンツの鹿取コーチのアメリカ壮行会でもある。流行のオープン形式のキッチンで宮本氏が肉を焼き、気ままに猪木氏と泳いでいたら表は、大雪になった。ステファニーの一家氏と僕だけが背広で飛び込んこんだので、帰りの空気が冷たい。
それにしても、宮本氏の商才には感嘆。
最近、年明けから飛ばしたせいか疲れが出てきた。東京プリンスの駐車場には積もりたての白い雪がもう解け始めている。弱くなったガス焜炉のように、点火用のマッチを使わないと詩が書けない。だんだんいわゆるロマンチックな心情風景が、造りずらくなっている。
2001.01.14
4度、カメリア・ヒルズ・カントリーはマイナス2度。
4度、カメリア・ヒルズ・カントリーはマイナス2度。長沢純氏、ステファニー化粧品・一家社長、キャッツ・大友社長、今年の初打ち。木更津まで、アクアラインを使って小一時間。東京湾の挟んで風向きはまともに北風。寒さの為、集中力が自足しない、いくつかバーディのチャンス、それもことごとく1メートル程度のパットが入らない。
E・ゲートの和泉社長が新年の挨拶で来社。衛星DTVに賭けているという。所詮、ビジネスの勝利は3つ。
@ いいものを安く、販売する。
A ブランド力で売る。
B 商品情報の徹底 と教えてくれた。
Y倉庫のK君と、ゼロ・ワン企画の件で頻繁に会合。お弁当のキャラクター戦略についての“格闘技版”商品化。コムサの田村代表、DパンのY常務とのスキーム、それに才能爆発クリエイターの寿嬢、元女子プロレスのリング・アナウンサーの沖田君…・楽しみな事になってきた。
先週から、橘君との銀座放浪のため睡眠時間が極貧。3時間ペース。冬の芝ゴルフの空は済みきっている。駐車場の車も今晩は少ない。1週間が1日の様に早く過ぎていく。今年は、何が起きるか判らない…・・なんて新年気分が少しは残っている。
2001.01.08
昨晩、今世紀始めての雪。2cm程度のミゾレ雪。東京プリンスでてんぷら。
昨晩、今世紀始めての雪。2cm程度のミゾレ雪。東京プリンスでてんぷら。雪と、てんぷらは何故かお似合いなのである。
開高 健先生が、何かのエッセイで「知者は、海を愛し、賢者は山を愛する」と書いていた。解る様でなかなか深い例えである。「賑やかな鬱。淋しげな躁。」二つの相反の真中で、どちらか一つをチョイスするのは難しい。
芝のサウナが3月一杯で閉鎖される。ゴルフ場も8月末でクローズ。2005年にオープンする芝プリンスホテルの工事がいよいよ始まるそうだ。東尾監督、加藤茶、目黒さん(80歳の画商)、稲葉さん(寿司)、杉山会長〈旅行〉、新谷氏(寺)九連山さん(金融)、朝霞さん、みんな一体何処に行くのかなぁ。世代を超えて、裸で世間話をしてきた言ってみれば“灼熱の暇つぶし仲間”は、ボクの日常の一角を形成していたのに。屋外に気軽に駐車して、風呂の後に満月や、星を仰げるあのホットした瞬間が、どれだけ大切だったことか。残念なニュースだ。
2001.01.01
2001年元旦、青く澄みきった空を見ていると、IT時代とは一体なんだろうと考える。
2001年元旦、青く澄みきった空を見ていると、IT時代とは一体なんだろうと考える。今年は、全体の構造を探求してみよう。僕の今ある全てについて。
時代の遅れを取り戻そうと、懸命になってIT関連の人脈をもがく様にひろげ、新しい会社を起こし、書籍や雑誌を読み漁り、少ないながらの現在のインフラとそれらの“新しい予兆”をミックスさせた。そんな2000年が新聞のコピー同様まさしく“ドッグ・イヤー”として僕の中を過ぎて行った。しかし、このわずか1年を振り返って見ると、このITと言う波は果たしてどんな経過を経てこの国を変えていくのか、この先にこの日本と言う国家はどんな変貌を遂げるのか誰も計り知れない。
秀才だった父の兄は海軍士官学校に進学し、エリートという軍事的評価を勲章に戦艦「陸奥」とともに南方洋で戦死したと聞いた。あれは中学生の頃だった様に記憶している。今ボクがあるのは、その第2次世界大戦で粉々に散ったこの国が、自然現象の如く立ち直った甚く簡単な復興の成長過程の中での“甘え”と“欧米化”と“興廃”の産物の様にも思える。
ヤカンが沸点に達し、暴発した。再び、国民はヤカンに水を満たし火を炒れた。それほどの苦労もなく水は100度に達した。ここから、コーヒーにするか、お茶にするか…・・それがボクたちの責任と生き甲斐なのかもしれない。だって、ゼロからの出発、白紙の画用紙、種のない畑、何の規則もルールも無かったのだから。
2000.12.29
沖縄で恒例の年末挨拶。
沖縄で恒例の年末挨拶。リンケン氏のアジマァ・スタジオを仮の宿に“感性の取り戻し”。温度24度、快晴。半ズボンにTシャツで海岸線を朝の散歩。
夕べは、「マリブハウス」の砂浜のすぐ横にテント小屋をかまえライブハウス(ココナッツ・ムーン、965−3601)を営む比嘉 清正氏、リンケンとアトランチック系のブラコン・ライブを聴いた。比嘉氏は、「紫」という伝説のロック・バンドのギタリスト。一見、ブラジル人風、あのサンタナに似た色男。リンケン氏と中学時代の同級生。こんな夜更けにわいわい一杯やってる所が、なんとなく沖縄時間を感じて嬉しい、羨ましい。僕の若い時間を分け合った友人たちは、別の空間で暮らし、二度と会えないのだろう。外に出ると、東京では9月あたりの夏の終わりの風が吹いている。海鳴りを背中にレンタカーのキーを回した。誤って動き出した
ワイパーを止めると、フロントガラス一杯に南国の星空が広がった。
2000.11.09
航空会社のマイル・ポイントが貯まったまま消化できない。
航空会社のマイル・ポイントが貯まったまま消化できない。今のままだと、ざっと世界一周分が今年の末で、無くなってしまう。そんな事を考えているうちに、あのロバート・ケネディJRが来日。アップリカの葛西氏と夜の東京は、渋谷に出かけた。
久しぶりのミーハー気分。イベントを長くやっていると、新鮮な“ドキドキ”が無くなり不感症になる。生きていく、年齢を重ねていくという事は不感症が重たくなっていく事かなぁ。以前は、メデイァの虚構を現実の場面に置き換える瞬間の“緊張”のような心の動きが、胸の鼓動を激しくしたものだが・・・。このR・K・JRは、2008年あたりのアメリカ大統領候補という事も有り、加えて、ファミリーのドラマ性、歴史などを考えても、今までのタレント?の中でも群を抜いてスターだ。
浅草ロイアル・パーク・ホテルは、アップリカ主催の「子供たちの未来を・・・」のパーティで一杯。JRの講演を目当てに中国から、アメリカまでざっと1000人の聞き手。あのJOHN・F・KENEDDY(叔父さん)を彷彿とさせる講演。僕自身の勉強にもなるが、あるテーマを主張しては、具体的な例を挙げる・・という解り易い弁論。
身振り手振りを織り交ぜた“舞台の振り”はさすがDNAか大衆を釘付けにする。
10時に帝国ホテルに集合。そこにはなんと25年ぶりに民主党の管さんも登場。小池ゆりこ、樽床君らと談話。翌日は森総理など日本の政治家もミーハー気分というのもさすがJR。さておいて、われわれは、手配の渋谷のORへ。JRは疲れから、タクシーで寝付いてしまう。歴史の一角を担う確率のあるな男が東京の首都高速の、しかもタクシーの中でうたた寝をしている。なんとも不思議な風景。非現実的な時間と東京という都会のもつ幻想が僕にとってはあの初めてマイケル・ジャクソンを呼んだ福岡の夜のように新鮮な“イベント”鼓動を打った。
2000.10.09
神谷町森ビルの周辺はツツジが多く植えられている。
神谷町森ビルの周辺はツツジが多く植えられている。
午後城山ヒルズのジムにサウナ。久留米ツツジ、を始め九州を舞台にしたツツジが冬の訪れさえ感じる秋のオフィスガ街に肌寒く植え込まれている。
3日程前、持ち歩いていたノート・パソコンの電源と共に中の「巡り会う人びと」が消えた。幸いにも、2、3日分の日記が消滅しただけで済んだが、定期的に本体に貯えないと事故に弱い。
この1週間、小山田君と六本木のゴルフに通い、3勝1敗とついている。橘君に言わせると博打は"負け方が大切"。負けが込むとつい掛け金が大きくなる。止め時が解らなくなる。との事。確かに、ついてないときは、何をやってもつかない。人に便乗しても勝てない。その内に、短期が起こる。"しょせんは博打だ・・・イチカバチカだ・・こうなると負ける。しかも悪い打ち方が身についていく。香港のステファン君は勝負に強い。咥え煙草で冷静にしかも思い切り打ち込む。そんな彼は∞億円の株式を売却した。日本の未来は悪くなるそうだ。
2000.09.27
小金井カントリー51・49・46。ドライバーを余ほど練習しないとこんな風になる。
小金井カントリー51・49・46。ドライバーを余ほど練習しないとこんな風になる。今日は、まるで暴落にあった株式の用に220点の負け。特にバンカーとドライバーに泣かされた。海外旅行や、スーツ、同じ道楽でもこの敗北は最低。取り戻そう等と思っては行けない。こんなときは"身にしみて、反省し、同じ過ちを2度と犯さないようにしなければ"。鞭の様にたたかれ、高い授業料を払ったのだ。つまり金銭感覚の(とくにここの所の、ITカブレの・・・)麻痺を神様が戒めた。
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