DIARY:夕焼け少年漂流記

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2002.02.28

2月28日(木)誕生会

東京湾に船を出して誕生会。普段毎日顔を合わせている仲間と冬の海に浮かびながら北風の名残を惜しんでいる。


2002.02.27

2月27日(水)新会社設立飲み会

アクセス・クロッシングの新会社設立飲み会。荒川社長、金子くん、小田島君など水道橋のスペイン居酒屋で飲んでいる。考えてみればアクセスのコンテンツ系の子会社の中枢はほとんど僕の友人で構成されている。荒川氏の世話で飯を食っているとも言える。みな一応のキャリアの持ち主なので見ていて安心だ。リクルート時代は学生達のようにこうして居酒屋でメンバーと語り合った。懐かしい気分の夜だった。



2002.02.21

2月21日(木)49回目の誕生日

川奈ホテルの窓の向こうに、橙色の伊豆の海が輝いて見える。東京より地面の温度が高いせいかプールサイドの薄いピンクの桜が咲き始めている。河津桜は桜仲間の中で一番先に春を感じるのだろう。朝陽が上るのを風呂上りのバスタオル姿で眺めている。何だか想像力が働きそうな(距離感や風向きやショットのイメージだが・・・)ゴルフになりそうだ。一日分の元気エネルギーを昇っていく太陽からもらって朝食にありついた。焼きたての鯵がおいしい。この一週間はステファニー化粧品の一家社長さんとよく飲んでいる。
ロマンチック中年同士気が合うのだ。川奈は久しぶりでひどいスコア−になると思ったが意外とまとまった。それらしく海風も吹いて、グリーンも速く難易度が高いのだが満足なプレーだった。銀座にもどり「シエール」に立ち寄った。店が引けてから再び一家氏と三柴氏と「福留」でそばを食べる。深夜4時体がだるい。なんだかポイントの無い誕生日だった。



2001.09.01

協栄ジムの金平会長は、天国でもチャレンジャーを探しているのかなぁー

協栄ジムの金平会長は、天国でもチャレンジャーを探しているのかなぁー

横浜アリーナに向かう首都高速道路は、土曜日だと言うのにガラガラ。自宅からわずか30分で港北インターに着いた。いつも格闘技の会場に向かう時は、右脳が動く。試合の展開を予想しながら“思い出のマッチ”になるよう、心の何処かが番狂わせを期待している。

今日は、日本では珍しく、ダブル世界タイトルマッチだ。いつものように、近くのコンビにエンスの前に車を止め(会場内の駐車場は退場の時にものすごく混雑する)、意外と閑散としたロビーを抜け、リングサイドの席についた。

PandSの横井社長が相変わらずダブルのスーツに薄いサングラスをかけて観戦中。リング上では、日本フェザー級タイトルマッチが行われ、番狂わせでハードパンチャーのユージ・ゴメスがKO負け。カシアス内藤以来続く黒人系のハーフボクサーはなかなか完成しない。彼らは共通して、何処か甘えん坊が多い気がする。自我確認がボクサーに一番必要な要素・・・・・・つまり、『俺は、チャンピオンだ。俺は誰にも負けない。俺しかいない』といった、つまりコンクリートのような自身がかけている気がするのだ。

僕が、多分ボクシング業界に始めて持ち込んだ派手な演出。音響・照明、吹奏による音楽コンサートのような雰囲気の中で、世界バンタム級タイトルマッチ「西岡 VS ウィラポン」と、世界スーパーフライ級タイトルマッチ「小林 VS ロハス」が行われた。2つとも凡戦で、特に日本人のパンチ力の低下が試合をダメにしている。それに輪をかけたように何か“負けん気”が感じられない。「自分が壊れても、相手をこなごなに破壊してやる・・・」といった“殺気”が感じられない。やはりこの国は、豊になってしまったのだろうか?少なくとも、食べるのに苦労するような若者は何処にも居ない。2つの試合は、予想した通り判定で、しかも引き分けとなる結果であった。

7.8年前、故金平会長と、鬼塚選手が世界タイトルを奪取した夜、二人で新宿で祝い酒を飲んだ。『世の中が変わっても、ボクシングは変わりゃせんよ・・・。結局、死ぬか生きるかしかありゃせんから・・・』世界チャンピオン作りのプロは、淡々とそう言っていた。

天国では、格闘技があるのだろうか?

天国にも、貧富の差はあるのだろうか?

天国にも、ハングリー精神はあるのだろうか?<



2001.08.30

築地の「宮川本店」は、20坪ぐらいの土地に建てられた、筆のように細長いビルだ。

築地の「宮川本店」は、20坪ぐらいの土地に建てられた、筆のように細長いビルだ。並木通りの加藤氏と、この夏最後の「うなぎ」を食べている。この近辺は電通村とも言われ、あちこちの曲がり角に電通の看板が目に付く。今日の株価は10,000円を割れそうな勢いで、我が国の不況を反映している。このままだと、間違いなく円高に向かい、一定の時期に急反発するだろう。

武道館は、昨年のエリック・クラプトン以来だ。北の丸公園は秋の気配に変わり、闇の中、あちらこちらから虫の声が聞こえてくる。橋本真也選手の試合は多分9時ごろからだ。プロレスファンは、試合数から簡単に、お目当ての選手の出向時間を割り出し、それまで煙草を吸ったり、弁当を食べたり、またある人は館内に入らずに表で携帯電話のメールを楽しんでいる。この光景はボクシングも同じで、メインイベンターの時の席は満杯に埋まるのだが、前座の時はパRと空席が目立つ。本当は前座の試合の方が面白い。ハプニングが起きやすいので・・・。

ホットスパーの佐々木社長、中谷彰宏事務所の浅野氏、それにイキ共栄ジムの金平会長、久し振りにユーリ(元世界フライ級チャンピオン)も来ている。相変わらずの仲間たちにひと安心。リングサイドは僕の第三の故郷だ。

大仁田厚志氏は、参議院議員とは思えない凄み・姿で、ZERO・ONEの太田に選手を血祭りにしてしまった。役者だねー。

昨晩、TAKUMIの近藤社長や、SIN CORPORATIONの深澤社長と朝方まで飲んだせいか、後頭部が痛い。考えて見れば、その前も晩もRのS社長と「小泉総理弁当」の打ち合わせで朝帰り。この3日間で、5時間程度しか寝ていない。頭全体に血液がキチンと流れていない。

今日、中谷彰宏氏と橋本真也氏の対談集「破壊から始めよう」の発売日。冒頭にシンガーソング・プロレスラーとして、僕のことが紹介されている。中谷君も、出版業界のライター・プロレスラーとして載っている。

武道館のロビーの人ごみを避けて、北の丸公園から銀座に向かった。本当に盆明けから並木通りも不況風が吹いている。タクシーがすいすい走っているのが、気味悪い。

加藤氏は「東さんって、変な人ですね。訳がわからない人ですね。」と言った。そりゃそうだ、メイン・イベントの前に銀座に帰ってきたのだから・・・。

八丁目の木屋のうどんのビルの真上に、満月が浮かんでいる。



2001.08.24

昨夜は天文館(鹿児島)の文化通りを往来していた。

昨夜は天文館(鹿児島)の文化通りを往来していた。多分大学生らしい二人組みの、ギターの路上ライブをボーっと聞いていた。僕も十代の終わり、こんな風に仲間とギターを弾いていた。

少し前、名古屋の栄公園の芝生で、当時僕が座っていたあたりの小さなベンチを、出張の合間に探しに出かけた。図書館も、テレビ塔も、中日タウンも当時のままで、このまま夜になると、あの頃のように無数の聞き手が集まり、反戦歌を唄い、ベトナムを語り、警察に囲まれ・・・  公園の芝生は、30年経った今も夏の湿度を含み、僕は居心地のいい開放感を思い出した。

ヴィトンの財布の中に、小銭が無かったので、近所の花屋で両替をし、ギターの二人組みにチップを渡した。若人、特に芸術を志している二人にお札を渡すのは気が引ける。路上の芸術家にもプライドと見栄があるはずだ。過去という思い出へのチケットを買わせてもらったお礼に、500円玉をギターケースの中に入れさせてもらった。

リヒテンシュタイン銀行日本代表の奥山君と、東田君。それに十勝大福の駒野君、コムサの田村君の4人が2つの班に分かれて、天文館を飲み歩いている。僕はそれぞれに顔を出して、行きつけの『マリー』に顔を出したのは、午前0時を回っていた。

父は猛暑のゴルフ場でも快調で、特にアプローチが上達していた。78歳にもなるのに、49でまわった。こちら若者?3人組は汗でグシャグシャになりながら、息を切らして毎ホールのグリーンに辿り着いた。それもそのはず、父はキャディーさんのゴルフバッグ運搬用のバイクを借りて、少年のようにフェアウェイを移動しているのだから。

シャンクが出始めたのは、昨夜、天文館で飲みすぎたせいだ。



2001.08.12

何処か一ヶ所でも居心地のいい場所があれば、人生はなんとかやっていける。

何処か一ヶ所でも居心地のいい場所があれば、人生はなんとかやっていける。

東京プリンスの「ピカケ」で、こうして原稿を書いている。今の僕は、この喫茶店で、増上寺の緑を見ながら、スポーツ新聞を読んでいるのがとても好きだ。

ホテルの機能は上手くお願いできれば、気を使うオフィスよりずっと素晴らしい。
 @まず疲れたらすぐに寝れる。
 Aコーヒー、紅茶の類いは勿論OK。
 B気がつくと、朝・昼・晩と3食ともホテルで飯を食べている。(和・洋・中・仏・そばまで・・・)
 Cマネジメントの必要がない。みんな優しい。
 DFAXサービス。宅配サービス。
 Eシークレット・バンクがあり、多少の現金はその箱の中へ。
 F駐車場付き、タクシーもいつでもOK。
 G冷暖房完備、おまけにプールまで。

ところで、昨夜の花火大会は、みんな満足しただろうか?<



2001.08.03

『一の宮さんは、相変わらず素敵ですよ。特に今でも長靴でお見えになります。』

『一の宮さんは、相変わらず素敵ですよ。特に今でも長靴でお見えになります。』
安比高原ゴルフクラブのキャディーさんが、岩手山の方を見ながら目を細めて言った。

今日は、色々な意味で自分を確認する日だ。

安比高原ゴルフクラブは、今から20年前にデビュー。当時は素人娘のようなはじらいを、コースのあちこちでに見せていた。早朝、八幡平の連山から迷って出てきたツキノワグマが足跡を残している横にボールが落ちて、びっくりしたりもした。

サラリーマンの新人時代、リクルート・グループで最も僕が憧れていたのが一の宮さんだ。岩手県出身で、知的バーバリアンと自らを呼び、その通り百姓とビジネスマンの2つの局を、大きくゆれながら色んな話をしてくれた。飲みすぎて、深夜の小山屋の扉を開けると、宮沢賢治の愛した夜空が森林を飲み込み、コオロギと鈴虫に合わせるようにあちこちで星が流れたいた。

----- 「まっとうな感性」を持ち合わせた先輩と、それ以来会っていないかもしれない-----。

東京という巨大なスケールに飲み込まれないようにと、必要以上に身構えているうちに、僕は何時の間にか人生の目盛を細かくし過ぎたのかもしれない。

27ホールプレーしたあと、十勝大福の駒野君とコムサの田村君がJR安比高原から帰っていった。

赤とんぼが無数のカップルになって交尾している。

あの頃も、夕焼けの中で、赤とんぼが異常発生し、グリーンの上でパットができない位だった。

僕はいぜんよりゴルフの腕を上げたようで、クラブの進化のせいか飛距離も20ヤード位伸びている。

一の宮さんと久々にプレーをしたいなぁ・・・。

赤とんぼを見ると、一の宮さんを思い出す。



2001.07.20

日航アリビラから船を出して、残波岬のみえる沖合いでイカ釣りをしている。

日航アリビラから船を出して、残波岬のみえる沖合いでイカ釣りをしている。

東京を始め、日本列島を猛暑が被い、例年並なのはここ沖縄だけのようだ。入道雲は、坊さんの歌のような高層雲を、誰かがその形になぞらえてネーミングしたものだが、東シナ海の今日の雲は、まるでティッシュペーパーのように薄く、形にならない雲が、ゆっくりと日本海の方に流れている。

傍らの祖祖父は、趣味でイカ釣りの名人だったらしく、松の木を削り、エビの形そっくりにして、ガラス製の眼を取り付け、それをルアーにして釣っていた。それぞれのエビ(ルアー)には、「半月」「十五夜」など、良く釣れた夜の月の名前を付けていて、それが鹿児島の実家の倉庫に何百も残っている。

いわゆる小麦色に焼けた少年が、透色度70%の海に飛び込んで、”ヒトデ”を取ってきてくれた。

イカは皿に飾られた状態を想像する方が多いいと思うが、船の上からは、まるで黒い藻のように見える。それがルアーを狙ってすばやく左右に揺れながら船を追いかける。しかも頭脳的。一度危険を察すると、グループはしばらく船の周りには近づかない。

小麦色の船頭と、残波岬の磯釣り仲間の話をしているうちに、体全体が軽い火傷。今夜は水風呂になりそうだ。



2001.07.15

今朝も暑い!!歩道の照り返しで、車の中がサウナの様だ。

今朝も暑い!!歩道の照り返しで、車の中がサウナの様だ。

テレビ東京の裏側の城山ヒルズの横のこじんまりした公園で、上半身裸になって、煙草を吸っている。午前中、自転車に乗って200カロリー、ベンチ・プレスなどジムで汗を流した。このジムは、小田和正氏や、白石氏(テレビ東京)、などマスコミ系の友人が多い。ジムの裏側には、昔、神蔵君が間借りしていた。まだ2年前の話だ。

世紀末を迎えた1999年には、僕自身にも色々なことが起こった。それと同時に僕の友人にも大きな変化を味わった連中が多い。その中でも、実は一番大きな変化の波を受けたのは僕自身だったのかもしれない。

煙草の吸殻を捨てに、灰皿を探しながら、付近を歩いた。日曜日の昼下がり、誰一人とも会わない。太陽が頭上にあり、たまにビルの間を吹きぬける熱風で、人工的に創られた池の水もなまぬるい。

ジムに戻って、風呂を浴びるまで、1時間近くも炎天下でボォーッとしていた。こんな重たい休日も、かえって右脳が動いていいかもしれない。

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