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2002.04.10
4月10日(水)ホテル・オークラで猪木弁当の記者会見
来週から発売する「“1億人の舌”作戦」のアントニオ猪木さんと、安田選手、藤田選手の闘魂弁当の発表の部屋は、やはり高橋尚子選手、小出監督の時とは異なり格闘技の熱気に溢れている。机の上には今回発売予定のカレーや、蕎麦、幕の内がプレス用に並び、プロレスの控え室のような熱いスポットライトが安田選手を照らしている。12時過ぎから、アントニオ猪木さんもスケジュールうを調整して参席、やはりこの役者の登場で場内は異様な集中力に包まれた。サンクスの高橋さん、岩沢さんなど控えめな感じでてきぱきと記者に対応している。僕も昼飯の変わりに試食。3種類ともたいらげたせいで、今夜の晩飯のころもまだまだ腹は減らないのであろう。
2002.04.07
4月7日(日)雨の路上で車上泥棒に遭った。
海岸の事務所で、ボクシングのVTRに集中していたら、玄関の前に駐車していた車の助手席の窓を割られブィトンのショルダーと、アタッシュケースを盗まれた。薄暗い夕刻7時ころ、生暖かい細かな雨が海沿いのエリア独特の汐風に舞っていた。不思議なもので、車をとめる時に何かいやな予感はあったのだが、駐車違反のステッカーが貼られるか、風で飛んでくる葉っぱがフロントガラスに纏わりつく位の事だと想像していた。明らかに、僕の車を標的に狙っていた計画的犯罪で、しかもこの手口は外国人。大胆で、素早く、巧妙で、鋭い。
印鑑証明発行用のカードや、デジカメ、手帳、アドレス帳など盗まれた。僕は諦めの早い方で、助手席の散乱したガラスを見た瞬間、これらのものとは永遠にお別れだと観念した。
一番ショックなのは、デジカメの中の写真だ。あとのものは、また買えばいい・・・・そう諦めるしか方法がないくらい鮮やかな窃盗団だった。
翌朝、雨に濡れた近所の駐車場から、壊されたアタッシュ・ケースとショルダーの中身が発見された。車をヤナセにとどける途中、こんな時代でも派出所にものを届ける良心を持った人が居てくれるんだなぁと嬉しかった。
2002.04.03
4月3日(水)代官山の宮本邸(スクウェアー)にて寿司会議
長沢純さん、田岡さん、それに何人かを加えて宮本氏の豪邸のリビングで寿司を頂いている。50坪くらいの応接間の半分に5レーンのプールが流れている。カウンターに純さんなじみの職人がオーソドックスな寿司ねたを並べ、ワインと日本酒でマライヤ・キャリーの映画の話。其の後、カラオケの歌いあいになった。考えてみれば、カラオケハウスではよく歌うものの、人様の応接間でマイクを持つのは江副邸以来久しぶりの事。気恥ずかしいのだが、ゲストの義務でもあろうかと諦めて、ビリージョエルの「NEWYORK STATE ON
MY MIND」を歌った。宮本氏の奥様が、買い物から帰宅、ご挨拶の後・・・・今度はステファニー化粧品の一家社長が参加。酒席は一段と盛り上がりはじめた。
ホストサービスの一環で、寿司職人の服に着替えた宮本君がカウンターの向こうで寿司を再び握り始めた。今度は、飲食業界にでも乗り出すのだろうか?
2002.04.02
4月2日(火)四谷の裏通りで、日本酒を飲んでいる。
このメンバーは10年ぶりかなぁ。リクルート時代(この会社は時代と言う表現がなぜかふさわしくない・・・いつの日も今でも昔のままなのだが)のままに、「かもめ」の福西さん、秋に民間人第1号で公立中学校の校長先生に就任する藤原くん、思索家の横山くんと(ナナ・コーポレーション)に集合。なんとなくテーマもなく、世間話に話を弾ませた。「人形焼・元気村」という北海道の旬を材料にした皿料理に、日本酒でいい気分。同じ感性、同じくらいの知性、同じ思い出・・・この3つが揃った酒席はなにより安心感がある。一杯やって、店を出ると妙に暖かい春の風が、裏通りを走り、多分過ぎた日々の満足感で今夜はゆっくり休める気がする。組織を離れて、久々の連帯感を感じているのかも知れない。少なくとも僕は。
2002.03.30
3月30日(土)昨夜の雨で
昨夜の雨で、スモッグを含んだ雲がすっかり東京湾に流れ込んだせいか、沖縄の珊瑚に染まった海のような青い空。思いっきり春の風を吸い込んでセゴビアG・Cに出かけた。このゴルフ場には思い出がある。まず戸張捷氏の手がけたコースでも屈指の難易度、デズモンド・ミュアヘッドという白髪の名設計家がご自慢の腕を振るい、ちょっとやそっとのシングルでは対応できないホールの連続。何処かで集中力を失うとボギーやダボはあっという間に叩いてしまう。支配人の計らいで、レストランでは僕の作ったこのコースのテーマソングが流れていた。館さんも、福崎さんも、一家さんも作戦通り大叩きをしてくれた。今夜はおいしいワインが頂けそうだ。そう言えば、クラブハウスをプロデュースしたC・U・チェン君は元気でいるだろうか?
顔が紫外線で黒くなっている。左手はグローブをしていたので白いのだが腕も日焼けした。そんな“夕焼け少年”はヒルトン・ホテルの3301号で韓国映画の打ち合わせ。「シュリ」の主演女優のキム・ユン・ジンさんと色々語り合った。仕草や、表情を見ているとその自然な表現力は洗練された才女を感じるが、そうした美しさよりむしろアメリカ育ち特有の自由奔放なキャリアの方が魅力的に思える。ワールドカップをあと2ヵ月後に控えて、日韓の関係は今後大きく発展していくだろうし、このタイミングで彼女とどんなビジネスを出来るか楽しみだ。
2002.03.26
3月26日(火)桂小金治師匠の話・久能C・C
富里のインターチェンジを降りて、ゴルフ場に向かう道の両側は、桜が満開。気の早い柳の芽も吹き出して沿道の農家の垣根の薔薇が赤く開いている。
プレーが終了したパーティで久しぶりに桂小金治師匠から楽しいスピーチを2話聞かせて頂いた。
@或るコンペで2年連続の優勝候補A氏がプレーを終えて風呂に入ってきた。湯舟でA氏の噂話をしていたB氏はいつもの茶目っ気で“男らしい祝福”をしようと、洗顔中のA氏の後ろから両足の間(つまり股間)にぶら下がっている袋を思いっきり握り締めた。「おめでとう、連続優勝だって・・・・・?」
ところが後姿は似ていたものの祝福したのはA氏ではなく垢の他人。横でそれを見ていたC君曰く「おいおい“誤球」だよ。A氏、怒ったように「2ペナルティだぜ」・・・・・・。B氏「いや正確には2個だから4ペナですね」A仲の悪い兄弟が母親の乳を毎晩奪い合っていた。或る夜、兄は弟の寝ている間に母親の乳首に毒を塗った。翌朝母親の横に倒れていたのは、弟ではなく隣のおじさんだった。
久しぶりに39というスコア−。4メートル位のパットが2、3回入り満足。一家さんの誕生日コンペという事で、スクウェァーの宮本氏、キャッツの大友氏、日宅の西村氏、泉川ピート(ゴルファー)氏など懐かしい面々が勢ぞろいした。ところで、一家さんは何歳だったけなぁ。
2002.03.23
3月23日(土)徳山くんの世界戦
春雷が鳴って、海岸道りを打ち続けていた雨がやんだ。飛び石連休のせいか首都高速がひどく混雑して試合開始に間に合うかヒヤヒヤしながら第三京浜・港北インターを降りた。アルファ・オメガ・ソフトの小林くん、高橋君をも時間を気にしている。「TVの中継は7時30分からですよ」小林くんが時計を見ながらそう言った。
右手の闇の中にワールドカップの決勝戦が開催される予定の横浜スタジアムが見える。きっと2002年6月30日当日は大渋滞で車を使えないだろう。
先日ソウルを案内してくれた徳山君の弟はWBC世界スーパー・フライ級のチャンピオンだ。在日朝鮮人という自らの立場を誇りに、今日も横浜アリーナで挑戦者の柳光君を倒しにかかる。時間ぎりぎりになってしまったわれわれ3人を入り口でリングサイドのチケットを握り締めた徳山くんが迎えてくれた。ソウルで朝まであれだけ酒を飲んだ後だけに“戦友”が港に迎えにきてくれたようだ。席につくと安川(TAO)くんや(虎の穴)の辛君と挨拶。なんとTV朝日の皇氏も観戦にきている。試合は圧倒的に徳山くんの勝利。前半から一方的にスピードど手数で優勢だったチャンピオンが、ついに9R得意の右ストレートで挑戦者の顎を打ち砕いた。過去の戦績(KO率)から分析するよりかなり腕力がついて、久しぶりの痛快な一発KO劇だった。此処数試合の彼のパンチ力は充分に世界レベルの選手でもKOができるハード・パンチャーに育ってきた。WBAとの統一戦を平壌あたりでやれれば、ボクシングの歴史に彼の名前は永遠に刻まれる。
表に出ると、韓国のチョゴリを着た若い女性がたくさん輪になって踊っている。日本人も一昔前のようにこんな風に国の踊りと、英雄を誇れたらいいなぁ。
ファイティング・原田氏が今でもリングで拍手を浴びているのは、きっと日本人の記憶の熱かった時代のコンテンツだからなぁ。今は、きっと記憶より削除の時代なのだ。
2002.03.21
3月21日(木)さだまさし氏3000回コンサート
有楽町の東京国際フォーラムは、久々の満員御礼。さすがにまっさん(佐田さんのことを仲間内ではこういう)40代から60代の女性が全体の80%を占める。橘君と連れ添って入り口のさだ企画のスタッフに挨拶をすませ席に着いた。ちょっとした偶然の出会いがあってダスキンの千葉社長のご令嬢(JALの搭乗員)とも挨拶。頂いた本日興行記念のンフレットを読んで感動した。ふだんは身近過ぎて感じなかった彼の存在もこうして時系列に整理された写真や活字をしみじみ読んでみると改めて驚くもので、この3000回というのは年間100回のコンサートを30年も行ったという偉大な事業の足跡だ。これは多分ポップス界では世界記録だなぁ。例によって気の利いた話が情緒たっぷりの詩の盛り込まれ楽しいコンサートだった。
春一番なのか台風のような激しい風が吹いている。桜が今年は短命だなぁ。週末は花見でもしよう。さださんの歌を聞いたあとなのかもしれないが、増上寺の境内に無数に開いたソメイヨシノの花がいつもの春よりゆっくり揺れている気がする。
2002.03.19
3月19日(火)一家社長と「グレ」
銀座はいったい何件のクラブで「さくら祭り」と称する売上キャンペーンを展開中だろうか?ピンクの便箋や、色っぽい和服姿の写真付DM,など何通も会社に舞い込む。マンネリ化している手紙が殆どだが、中には懐かしい顔のママの写真に桜の枝が張ってあったりして思わず気持ちが傾くのだが、新年早々から今年は派手にやりすぎた。早くも接待費の枠をはるかに飛び越え、あと10ヶ月先の期末までどうしてやりくりしようか?
週末にこんな反省をしながら今週は少し控えようと強く思っていたが、夕方近く一家さん(ステファニー化粧品)から携帯の留守電に声が残っている。「どうしても聞いてほしい話が・・・・」といういつものパターンだがここのところ学生時代のように連れ化している事もあり11時に(グレ)に集合ということになった。この店はいつ来ても満席でデフレ経済何処吹く風、シャンパンが空いて、ブランデーが空いておまけに2次会開催となった。日本流通産業新聞の成田利明代表も引き連れて、(並木倶楽部)へ。明日生きていけるだろうか?の午前5時。
2002.03.16
3月16日(土)桜1分咲きの桜ヶ丘カントリー
ゴルフパートナーの館ひろし氏と多摩の桜ヶ丘カントリーで戦闘中。役者としての肉体的節制もたいした物だが、それにしても先天的に運動神経が優れている。しなる様な長身細身の体で強力なドロー・ボールを打ち、アンチックに近い“かまぼこ型”のパターが「集中できていい」とパーを拾う。本日は完全にやられた。何が原因かわからないが、途中で携帯電話が鳴ってからリズムがばらばらになった。訓示にもしているが、初めてのコースは力の半分で楽に打たないといけない。良く着慣れたズボンと履きなれた靴、見慣れたボール、始める前の練習。「いい友達だなぁ・・・・」なんて肩を組まれてしまった。がっくり。
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