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2002.06.06
6月6日(木)東京プリンスの窓から白いレースのカーテンを揺らしながら夜明けの風が吹き込んでいる
朝の4時前だが東京湾の方向の工事中の高層ビルのクレーンの注意灯が赤く点滅している。さっきまで銀座の「シエール」で野中君たちと飲んでいた。芝浦のあたりに「モーニング・ムーン」社の名刺と同じような薄く赤い三日月が浮かんでいる。何年ぶりだろう・・・小さな音でギターを鳴らした。
昨夜から殆ど寝ていない状態で「スペシャルオリンピック」のコンペに参加した。細川総理夫人の主催なので横浜の戸塚カントリーまで少し早めに出発した。昼間は今年一番の暑さだろう、グリーン場は40度近い。おまけにこの所5キロぐらい減量したせいかドライバーが曲がって、しかも距離が落ちた。フェアウェイを走ってみると体はやけに軽いのだが。ゴルフを終了して顔の汗を拭ったら鏡の中に別人の僕がいた。目が充血して、顔全体が日焼けした上にどす黒い。パーティを失礼して大急ぎでホテルに帰ってきた。1時間ほど仮眠をして日本・ロシアのチケットを届けに「シエール」に出かけた。M・S氏とはかれこれ10年近い付き合いになる。昔は六本木を仕事場にしていたが昨年暮れから銀座に再び突然現れた。この何年間の間にどんな人生を刻んだのだろう。チケットを片手に喜んでいる横顔に、忙しい生活から解放された様な、ほっと安堵の表情が浮かんでいた。
2002.06.04
6月4日(火)何が起こるか解らないので3時間前に芝のホテルを出て埼玉の日本、ベルギー戦に向かっている
高速のアクセスが良くなって東北自動車道の浦和までものの40分。埼玉サッカースタジアムまで多少渋滞したものすんなり到着。プレステージ・ゴールドのVIPテントで試合開始を待っている。さすがに食事をサービスするスタッフは手馴れているが、それ以外の受付や場口のアルバイトは緊張しているせいか表情が硬い。冷淡で機械的で乱暴にすら感じる。6万人という観戦客の数は別に特別多いわけでもないだろうがなんといってもそれぞれのサポーターの胸にある巨大な勝利への期待感が異常な殺気となってぞろぞろとゲートに向かっている。こんな熱気を受け止めるのは経験でしかないだろう。
ほんの数年前まで農村地帯だったようなエリアに突然WC用の競技場が作られたようで、先程までスタジアムの上空を田園風景の方がマッチしそうな薄い朱の夕焼けが頬紅のように染めていたが、試合開始が近づくにつれ、少しずつ群青色にかわり、美しいスタジアムのスポットライトが大きな蛍のように宙を照らしている。
満腹になって、どきどきしながら早足で、テントからゲートまでそれなりの何重ものチェックを受け数百メートル歩いただろうか、席につくと日本代表、ベルギー代表各選手がウォームアップの為の練習をしている。或る者はリフティングをしたり、2人でキャッチボールをしたり、突然走り出したりしているのだが、日本代表の青いユニフォームと反対のピッチで練習するベルギー代表の赤が緑の芝生に鮮やかに生え、スタジアムライトの燭光の中でまるでゲームの中に入り込んだような錯覚を覚える。この現象は目の前の現実を脳が理解できないでいるのだ。いわゆるバーチャル・リアリティが全ての感情を押さえ込んでしまった状態だ。
ゲームの話はさておいてとなりの岡田氏と君が代を聞くのは何回目なんだろう。そして、このワールドカップで最後に国家を聞くのは何処の国なんだろう。僕は、試合開始までにすっかり疲れてしまったせいか、途中でうつらうつらやってしまった。不謹慎であるが。
2002.05.24
5月24日(金)WC直前、日韓共にお祭り前夜
今世紀最初で最後と言うマスコミがいる、アジアの夜明けと言う人がいる、日本初戦敗退と冷淡な評論家がいる。阪神戦の成績が一番と言う人がいる。東京で試合が行われないせいか開催地の方が熱い。新聞やTVは、お祭り前夜の緊迫感と大衆を煽るのに必死の形相になってきた。FIFAの不手際でチケットの到着が遅れ、お客さまようにVIP席を買い込んだ僕は、やや放心状態。イタリア人の仕事は時間が大雑把だ。
東京プリンスを根城にしている日本代表がいよいよ明日の7時、最後の調整のためスウェーデン代表と戦う。そのころ窓の向こうの東京タワーは日本代表のチームカラーの青に輝く。
2002.05.15
5月15日(水)UA881便の機内の丸い窓の向こうに夕焼けの朱が溶け出したように雲の海が拡がっている。
まるで大陸がその下にあるとは思えないほどの量感、悲しくなるほど切ない朱色だ。ソウルの仁川空港が近づくにつれて、何だかセンチメンタルな気分になるのは、多分韓国を何回か訪れて、この国の人や文化を知れば知るほど自分の薄学が身に抓まされて来るからに違いない。
2階席のキムさんに挨拶をし、チョー社長の車に乗り込んだ。さっきの夕焼けの下はおそらく何重もの厚い雨雲だったのだろうか。ソウルでは初めて経験する土砂降りの雨。その為、空港から市内までいつもの倍の時間を要した。チョー社長は僕に気を使って桑田啓佑の「ホワイトラブ」をかけてくれている。睡眠不足のせいか車のエンジン音と雨音とがサザン・サウンドに上手くミックスして僕は、「ゼックス東京」から見下ろす東京の夜景の夢を見ていた。
2002.05.12
5月12日(日)久能カントリーは五月晴れ。駐車場のツツジが眩しいくらいにすがすがしい空気だ
携帯電話がなってキム・ユンジンさんと夕食をする事になった。東京湾に船でも出して夜景を楽しんでもらおうと思ったが、ゴルフのスタートが迫っているので急いで玄関に飛び込んだ。このコースは「一家さんの誕生日コンペ」で30台でまわり、昼食に日本酒を飲んだら後半ハーフは50台を乱打してしまった因縁のコース。全体的にフェアウェイが狭くて距離が短かく、グリーンの周りの罠がある。3番アイアンで220ヤード、5番アイアンで190ヤードの繰り返しが一番の攻略法だ。館ひろしさんと、福崎さんの一騎打ちになって漁夫の利を得たいと思っていたが、利は久しぶりに一家さんに採られてしまい、僕は撒餌の役になってしまった。
愛宕ヒルズのゼックス東京のフレンチを摘みながら、エリック・クラプトンの「ワンダフル・ナイト」を聞いている。社長とマネージャーがワインを美味しそうに飲んでいる。これでソウルのお返しが出来た。・・・・・・キムさんが、横で「例の歌がまた流れてるわね・・・・」微笑みながらそう言った。
2002.05.09
5月9日(木)新宿ヒルトンの窓の下にボランティアをしている新宿西口公園の闇が拡がっている。
ホームレスの連中は今ごろ何の夢を見ているのだろう。キム・ユンジンさんと日本のコンテンツ業界の話や、お互いの生い立ちの話、彼女と僕のの人生論など意見交換している。藤原紀香さんとカネボウのCMが進み、ワールドカップの日韓親善大使としての活動も忙しくなり、あれやこれやで今後大きな彼女は飛躍をしていくことだろう。それにしても英会話をもっと勉強しなきゃ、ニューヨーク育ちの彼女に表現したい事が山ほどあるのに、微妙なニュアンスの半分も表現出来ない。帰り際に彼女ともう一度ゆっくり議論をする機会も持った上で、韓国のコンテンツビジネスのビジョンを企画化する事になった。
ワールドカップに関しては、賛否両論あるものの今世紀最大のイベントがいきなりアジアで開催されて、正直なところ政治からマスコミまでどう対応していいか解からない無い状況。あらゆる関連マーケットも様子見を決め込んでいる。僕の経験では、こんなストレスを溜め込んだイベントは始まった瞬間手の付けようも無いほど大爆発するものだ。まるで堪えていた恋の炎が祭りの夜に凄い温度で燃え始めるように。
何年かしてアジアの交流がもっとスムーズになった頃、ひょっとしてこのイベントがきっかけになったと総括する日がくるに違いない。このところ数回ソウルに足を運んだが確かに日韓はいい関係になってきている。
そういう意味でWCは、何年か後の僕にとっても思いで深い行事なるだろう。
2002.04.30
4月30日(火)ワールドカップが目前に迫り、久しぶりの人たちとよく会う日だ。
こういう大きな祭りがあると、まるで雨上がりの校庭のように一気に人が一箇所に集まる。東京プリンスのロビーで以前「3大テノール」を一緒に興行した加藤さんと再会。今や、Jリーグの強化部長としてマスコミに引っ張りだこ。当然のようにトルシエ日本代表監督とご一緒。昨日から、スロバキア戦のためこのホテルに滞在中。戦いの為両名ともやや疲労気味。HP用の写真を撮影し昔話に花を咲かせた。加藤氏は、日商岩井時代は社長室長を務めたエリートで、ソフトな語りで当時から品のいい、人格者。考えてみれば、こんな上品な、しかも素敵な紳士は最近滅多にお目にかかれない。久しぶりに“飲みたい先輩”に逢ったようで嬉しかった。
午後、電通本社の3階でリクルートの宣伝部の時にお世話になった清水勝男サッカー事業局長と会議。局長室の壁に壮大なスケジュール表が貼ってある。2000年から3年間のワールドカップ閉会までのこと細かな計画表だ。お台場の東京博覧会やオリンピックなど世界相手のプロジェクトでは第一人者。10数年前六本木で夜を明かして、カラオケを歌ったこの先輩は、未だにセクシーで少し白髪が増えたところが一段と素敵だ。・・・・・・ある件で99%のお墨付きをもらい胸をなでおろした。
2002.04.25
4月25日(木)ソウルのコンテンツ界は複雑に絡み合い、まるで日本と同じ模様。
夕方5時のインターコンチネンタルホテルのロビーは、結婚式で大賑わい。日本語の上手なコンセルジュが部屋に案内してくれた。2部屋の続き部屋の向こうで高橋君がネットの接続をしている。ADSLが普及して、ネットカフェが人を集めているが、そこから各家庭への回線の普及状態はわが国の方が進んでいる。FTTHに至っては世界で一番のネット網になるのは間違いない。
今回は、「パワーM」のチョー社長、キムユンジンさんの勉強会が目的。意外とシンプルな日本の芸能界の状況を、部屋のリビングに黒板を用意してまるで教室の講義のように説明した。シンプルな構造ほど、その中の人間関係や利権が複雑に絡み合う。此処のところは、韓国も同じで“生徒さん”はよく理解できたようだ。3時間ほど熱弁を振るった後、通訳が本当にお腹が空いていたらしく、回りも気を使い始め、プルコギの有名な店でご馳走になる話になった。このあたりからいわゆる韓国風接待になり、カラオケから今流行の深夜カフェまで浴びるように深酒の夜。エルトン・ジョンの「YOUR SONG」が翌朝まで耳に残り、通訳の高橋くんは気を使いすぎて乾杯をくりかえし、隣の部屋で酩酊している。
空港に向かうタクシーの両側に再び錆色の入り江が拡がっている。今夜の銀座は、体力勝負になりそうだ・・・。
2002.04.16
4月16日(火)代々木の越智病院のロビー。
人生には3人の医者と、3人の弁護士、3人の宗教家が必要。その意味で、越智先生は僕にとって大切な医者の一人だ。一般的に医者のネットワークは、学校の先生や、弁護士などある権利を持った免許団体の個人的集合体である。つまり、特権意識をもって同業界の中で情報のやり取りを行っているといわれている。しかし、越智先生はその中でも社会的に多いな窓口を持ったネットワーカーで、患者の顔ぶれも野球選手から、歌手、政治家から実業家まで多岐に至っている。
代々木の山手通りから裏に入った、一見一戸建て風の「コウジン・クリニック」が先生の拠点。患者同士の関わりを病院以外でも広げて行きたいと言う先生の夢を企画化する事にした。病と言う切符を持った入場者が、越智遊園地村に入ると、いろいろな健康に関するテーマ・パークが点々と設置してある。やがて、この村の住民となった入場者は楽しみな企画に参加し、本来持っていた重い病も消えうせる。こんな設定かしらん。
2002.04.11
4月11日(木)今朝のソウルの空は、いつもよりレンガ色の茶が強い
中国から流れてきた黄砂の影響だな。夜9時過ぎからキムユンジンさん等スタッフとリッツ・カールトンで会議。通訳のマイカル君が居るので、僕の韓国とのコンテンツ・ビジネスに対する考え方はよく伝わったように思う。車を飛ばしてウォーカー・ヒルのカジノへ。この賭博場は何か勝てる気がしない。しかも、ラスベガスのように、ディーラーに愛嬌があるわけでなく、冷酷なカード捌きの中にも冷酷な眼光。野中くんと徹夜でやってしまった。考えてみれば、徹夜なんて本当に久しぶりだ。ポーカー・フェイスのお姉さん達の顔は、同じアジア人としても驚くぐらい無表情だ。通勤ラッシュの車を避けながらホテルに戻った。1泊10万円以上もするスウィートに滞在したのはわずか3時間くらい、贅沢と言うより非常識な消費と反省するのだが・・・。
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