古い10件 | 新しい10件
2006.01.31
第4号「ムツゴロウさんの動物王国は、犬と猫と馬のお勉強に最適!」
ムツゴロウさんの本を学生時代に何冊愛読しただろうか?
ムツゴロウさんと言えば、あの頃毎晩のように酒を酌み交わした友人の中でも、ぷっつり縁遠くなってしまったカマヤツ君(本名:森祐二氏)を思い出す。
カマヤツ君はムツゴロウさんの本に、すっかり魅せられ在籍していた理学部から突然畜産医学部に転部した。無論肩まで伸びた長髪で、フォークギターを柔らかく弾いていた。
当時(1973年頃)は、学生運動もほぼ収まり、その分散した革命志向の支流の中にヒッピーのような原始的な生活に憧れる“自然回帰”派が登場していた。
厳寒の北海道に動物の楽園を創設したムツゴロウ氏は、そんな若者達の憧れでもあった。
P&Sの横井さんからムツゴロウ動物王国のプロモーションを依頼されて、中央高速を八王子方面に向かっている。調布インターを過ぎて学生時代を過ごした小金井のあたりを横目で見ながらそんなことをボォーと考えていた。
動物王国は、犬や猫や馬(ドサンコ)が、我々人類との柵も無く、のびのびと個性的にふらふらと集い共生するエリア(動物園というよりは、広場)である。チケットブースで石川園長(写真)が出迎えてくれて、
「犬ちゃんにとって、飼い主以外の人に紐を持たれて散歩されるのが一番屈辱なんですよ」
「老犬は可哀想じゃないんですよ・・・・老化したって感情が無いので自然に横たわってるだけなんですよ」
早くもいろいろな知識を披露してくれる。
春になると桜で一面総ピンクに染める丘に向かう途中、梅雨明けは蛍が舞い飛ぶ小川が流れている。
あちこちに灰皿があるのが嬉しい。ムツゴロウさんは愛煙家なのである。
ドサンコ(馬)に乗って、八王子の丘陵を歩くコースが大人気、カフェやカラオケに飽きた恋人達にはお薦めのデート・スポットでもある。
さて、人気の動物園にするには、どうやって脚色しようか?人工的なセットがお好きなマーケットを説得するのにはムツゴロウさんの本を読んでもらうのが早いのだが・・・・・・・・・・
2006.01.29
第3号「杉並区の和田中の藤原校長は、僕の“人生の栄養源”」
昨年の秋から、僕はこの日を手帳に赤くマークして楽しみにしていた。
30年来の友人の藤原氏から
「絶対に見てください!中学校に来てください!凄く面白い演劇ですよ!」と何度も念を押されていた。
和田中にお邪魔するのは、2回目。
生徒達に“生の社会や大人”を学ばせる「よのなか科」(藤原校長が設置)の講師として何故か?ギター演奏を頼まれて以来。
それは、大橋さんという女性プロデューサーが演出する彼女自身の半生記のミュージカルだった。
肌寒い校舎を抜けて、和田中の体育館に一歩足を踏み入れると、季節が違うのではないかと思うほど熱かった。
腰痛持ちの僕は、床に座り込んで既に始まっていた目の前の女性ダンサーたちの躍動を見上げた。
「誰が、どのタイミングで、指揮をしてるんだろうね?」
「東さん、“心の繋がり”がひとつひとつの合図なんですよ」
リハーサルの合間に、プロデューサーの大橋さんを紹介された。ダンスで鍛え上げた健康的な筋肉体に、愛らしい笑顔。
藤原氏が僕の紹介をすると、広報の加藤さんの手話を介して
「是非とも、私たちのミュージカルを応援してください」とニッコリ頼まれた。
どうして耳の不自由な何十人ものダンサー達が、あんなにも際だったタイミングで踊れるのか?壮絶な練習方法、密度の高いリハの時間、それに個々のダンサーの能力・・・・
きっと僕たちが失っている特殊なセンスが、あのチームワークを創りあげているんだなぁ。
大橋さんの肩越しに体育館の窓が見える。
「何事も活発積極、和田中生」というスローガンが貼ってある。
藤原氏と会うと、いつも“人生の芯とはずれている自分”に気がつかされる。
久し振りにいい日曜日である。
2006.01.14
第2号「ケニーG氏東京公演でのハプニングというより、サプライズ!」
そもそもこの写真で何処か不思議な発見がありませんか??!!青いステージライト・・・・!
そうなんです、安倍官房長官やソフトバンクの孫会長の向こうに見える舞台のライティングは、公演まであと5分のスタンバイ状態なのです。
スポンサーでもある日本テレコムの富村副社長(彼はリクルート以来からの大親友)との打ち合わせで本来はコンサート終了後に楽屋で挨拶をするはずだったのです。
「ケニー・・・・、開演が近いのですが、スポンサーでもある日本のビル・ゲイツと言われる孫会長と、阿部官房長官が見に来てますよ」
「え?本当、じゃぁご挨拶に行きますよ」
と言うことで、舞台に上がる寸前のアーティストが客席に顔を出し記念写真。これ、本当に珍しい事。
会場は思わぬところからのケニーGの登場に満場の拍手。
「良かったんじゃない!みんなが喜んだから」
入院中の病院からわざわざ現場にお見えになった、キョードー東京の嵐田さんらしいスポンサー配慮であった。
2006.01.13
第1号「男のロマン・・・・千葉ちゃんのラーメンは、世界一!・・・これ本当!」
葛西のロッテ・ゴルフ場の帰りに、新年のご挨拶に「ちばき屋」を覗いた。
千葉ちゃんとの、お付き合いはかれこれ20年以上。
赤坂にある当時行きつけの「楽屋」という、スナックで・・あの頃は確か松山千春を唄っていた。
僕は、夜な夜なリクルートの販売部のメンバーを集めては、朝になるまで“のど自慢”(と言うよりはコンサート)。この楽屋の客の歌唱力の高さは抜群で、まかり間違って接待のお客様などを連れて行くと、逆効果。唄を唄いにお連れした大切なお客様が、すっかり萎縮してしまい、かえってマイクから遠ざかり、聞き手に回ってしまい、ストレスをためて、深夜まで引きずり回しの接待は失敗と言うことになる。
千葉ちゃんはこの中でも群を抜く“喉の持ち主で”、僕は彼のまじめ“唄いまわし”が大好きだった。
或る夜の朝方、少し酒が回ってカウンターでうつ伏せになっていた僕の横に座り、
「ヒガシちゃん、今度ラーメン屋をやろうと思ってるんだ、やるなら日本で一番の店を作るよ、自信あっから・・・・」
当時、一応サラリーマンでもだった僕は、この自由な英断(転職・投資)に驚き、うらやましく思った。(・・・腕に職ってやっぱり強いな)
ちばき屋の麺は、細めんである。独特の山吹色のちじみ麺を、その周辺のスープを適当に巻き添えにして舌に乗せる。流行の濃いとんこつでも無く、醤油でもなく、鶏がらと、豚骨と、何かを???コシにコシた淡白なスープ。具は、豚骨ばら肉にのりを入れてもらうのがお薦め(僕は、好き)。
味は、絶対。というのも、あるCVSチェーンが「ちばき屋」ブランドで、販売して、リピーターを集めこの種のコラボ商品としては記録的な売り上げを残している。
千葉ちゃんに会うなら・・・・・・・・ちばき屋 葛西店 03−3675−3300、
近場なら、・・・・・・・・・・・・・・・・お台場店 03−3599−1067
船橋、仙台、大阪にも出店している。
2005.12.28
第18号「沖縄の林賢バンドは、僕の・・・・・・心の薬」
ここ数年、年末になると、特に大晦日のあたりは雑多なイベントに追われるので林賢さんへの挨拶は、クリスマス明けが恒例になっている。
那覇は、鹿児島に次いで僕の二番目の故郷である。飛行機の窓から青い珊瑚の海が見えると、動脈ばかりが騒がしい東京の生活から、ゆっくりと静脈が流れ始める。すると、決まって林賢バンドの「満天の星」が聞こえ始める。
林賢さんとの付き合いは、かれこれ20年近くになる。お互い南の暖かい風に育てられたということもあり、お目にかかったその日から“何百年も一緒に遊んできた友人”のように思えた。
それ以来、アジアの各国からアーティストを集めた音楽祭を開催したり、僕自身のレコーディングで彼のスタジオをお借りしたり・・・・・音楽を“ネタ”にたくさんお世話になっている。
沖縄の真ん中辺りに北谷という新しい商業エリアがある。林賢さんはこの海沿いの一番良い場所を陣取ってスタジオを創設した。
“あの風靡な林賢サウンド”をひらめいた時に録音し、となりのライブハウスでその新曲を発表し、世界中のファンたちとレストランで日夜語り合っている。アーティストとしては、まさにこれ以上ない理想郷。
東京が凍える4度だというのに、今日は20度。
みゅんちーさん(林賢バンドのボーカリスト)にお付き合いいただき、琉球カントリーに出かけた。スコアーより、強い風の中で大きな声でやり合う彼との会話が楽しみなのだ。
このコースの名物はあの「ソーキそば」。5分でテーブルに来るので、赤い生姜を一杯入れて、3分でたいらげる。
僕のようなそそっかしい奴でも、受け入れてくれる沖縄。
2005.12.20
第17号「湯河原の小料理「かまりゅう」は、絶対に秘密の“おもちゃ箱”」
ヤフーの川邊氏のお誘いがあって、湯河原の小料理屋に・・・・出かけた。
湯河原といえば、年末になるとイマジニアの神蔵氏と、ブレストの為に何度も訪れている「あしかり」に行くのが習慣になっている。
新幹線を使うと1時間以内、小田原で伊豆急行に乗換えるあたりには、すっかり旅行気分にしてくれる手軽な癒しのエリアである。
「湯河原に行きませんか?予約をしなければ、入れてくれない変わった料理屋がありますよ。何か、面白い人生を送っている料理人がいるって話もありますし」
川邊氏は、IT系(ヤフー)の寵児という安易な紹介では申し訳けない程、アナログ・センスの持ち主。
PCや携帯一辺倒になりがちな生活感覚のIT業界人が多い中でも、リアル(生の現実)のバランスがとれた常識人でもある。従って、彼の話はいつも、義理や人情があり、何より事実であり“血が通っている”。
だから、いつも彼の誘いにつられる。そして乗る。
というわけで、駅から湾に向かって徒歩10分。「かまりゅう」は湯河原の普通の住宅街の中のある。それも二階はアパート風。料亭のイメージを描いている人なら確実に通り過ぎる。しかし不思議なことに地元のタクシーなら、誰でもこの迷路の中の一軒を知っているらしい。それほど“上手い”のである。
カウンターの向こうから、丹前を着た蒲田氏がどんどん料理を提供してくれる。地元物の鯵、烏賊の刺身から始まって日本酒で酔わせた蝦の踊り食い、何を創作しているかと思いきやカサゴと思われる揚げ物。・・・・。30種類ほどの豊富な材を、或る時はアジアン・テイストに、ものによってはフレンチに、それはまるで子供が次々に自慢のおもちゃを客人に披露しているかのように。グルメおもちゃのライブ・ショーである。
8畳ほどの店内の柱と壁に、見事な筆で書かれた品書きや、能書きや、一筆らしき絵が張ってある。
つまり蒲田さんは筆の達人でも或るのだ。そしてフルコース3500円。飲料持込可。
“男の人生とは披露(技)できるものが多い人ほど、素敵”なのである。
最後に登場した白身魚満載の鍋をつつきながら、すっかり満腹の僕は、川邊君とその仲間の将来に乾杯をしていた。
*この店に是非行きたいと思っている方は、電話番号を紹介します。・・・・・当たり前ですが、ホームページなんかありませんし、要りません。
2005.11.26
第16号「摩娑斗氏の美しきオーラ」
写真集プロデュースの仕事で三軒茶屋にある魔娑斗氏のジムを訪れた。
人間が“肉を食べる動物”である限り、雄も雌も、強くて美しいものに憧れる。
ローマのコロッセウムで猛獣と戦った筋肉兵士も、スクリーンでアオーと叫んだターザンも我等人類の食欲が闘争化したシンボル商品であり、“飢餓感の象徴”であり、根源的には“倒して食べるという胃袋”のニーズから発生している。
したがって彼らの象徴的イメージは“強いものは残忍で醜いもの”とうのが歴然たる事実。
特に、昨今視聴率競争を展開している格闘技や人気底のプロレスや国際化してしまった相撲などが作り出したヒット・ストーリーのツボは、“嫌われるほど醜いキャラととても勝てそうでない繊細で知的な美男子が”が繰り広げる大一番での演出次第である。
しかし、市場は別の要素でも変化する。それは、雄と雌の支持率によるものが大きい。”美しき猛獣”の誕生である。多分、アントニオ猪木氏の登場以来、貴乃花そしてミルコ・クロコップあたりまで、最近では“美しく強いキャラ”でなければ客が来ない。
彼らがリングの上で冷酷な野獣に変身する劇画を楽しみにしている客が増えている。
その中で、魔娑斗氏の放つオーラには何処か“ひと昔まえのヒーロー”の色を感じるのだ。
それは、武士道にも共通する潔さとやさしさ、人を倒すことへの照れ、恐怖、恥じらいなのではなかろうか。
2005.11.20
第15号「迷信」
極秘来日したスティービーワンダー氏にお目にかかった。
「どんな音楽を聴いているの?」と聞かれたので
「思春期に映画『卒業』にぞっこん魅せられてから、現在に至るまでサイモンとガーファンクルの音楽が僕の聖書なんです」と答えたら、
「あれはいい詩だね、音楽は何億人もの人生を支えているんだよ・・・・今もね」
「それから、若い頃にあなたの『迷信』も、良く聴かせてもらいました」「そうですか、メロディーはどんな人にも通じるからね」
スティービー氏があまりにも尊厳な存在で、おそろしく柔らかなハートなので僕の言葉が蚤のように小さく感じた。
アルバル・タイトル通りスティービーを人生の鍵としている人(「KEY OF LIFE」)は、何億人いるのだろう?
2005.11.06
第14号「リアルタイム韓国放送の意義」
韓国のMBCの範社長に招かれてソウルでランチ・ミーティング
日本の在日韓国人の数は約70万人、韓国からのビジネス・ユースも含めた滞日韓国人の数は230万人。映画「シュリ」が火付け役になった韓国ブームはワールドカップの共同開催で“我が国に完全に根を張り”・・・・今や、ヨン様、グォン様、ビョンホン様、ウォン様、ピー様と何やら大名行列の様である。
最初に放映したNHKの友人も「正直、砂山から金でした」などと唖然驚愕抱腹万歳なのである。
一方で不思議なことに、飛行機で僅か2時間の韓国のTV番組をリアルタイムで見る事は先方の法律で不可、つまり放映禁止(地上波は)となっている。(コンナ不便なことはナイ!)と思っていた矢先に、ソウルに本社を置くKBS、MBC、SBSなどの各局から、「日本でも放映したい・・・・・」との問い合わせがあった。
これ以上は、企業秘密。2006年はみなさんのご自宅や、ホテルでいつでも”旬の韓流”がオンエアーされることになった。
そういえば、ハワイに住む友人が紅白歌合戦を見たいと言ってたっけ!
2005.11.05
第13号「中内さんは、永遠の教科書」
中内会長のご葬儀は神戸の流通科学大学で、しめやかに、しめやかに・・・・・・・
僕の人生で、会長という役職名がピッタリ似合うのは、ダイエー・グループ創業者の中内功さん一人であろう。大きな鼻で繊細に人を読み、カスタマーの中を早足で歩くまさに巨像であった。
日刊ゲンダイの川鍋代表のご紹介で初めてお目にかかったのは、1992年の春。
芝公園にあったダイエー本社の会長室で、インスタント・コーヒーを紙コップで頂いて以来、福岡、沖縄、上海、アメリカと視察兼ストレス解消(今思えば)の旅に付き添わせて頂いた。
10数年、ずぅぅぅぅぅ・・・ぅぅぅっと”人生の先を走り続けた先生”の背後で、”この偉大な事業家”を恋人のように慕い続けてきた。
「東さんは、いつも元気やねぇ」
お目にかかるときの第一声はいつもこうだった。
その言葉で僕は、もっと元気になった。
「功会長との仕事はやがて思い出に変わり、今日も、いつでも紐解ける僕の大切な教科書になっている」
古い10件 | 新しい10件