DIARY:夕焼け少年漂流記

古い10件 | 新しい10件

 

2006.03.27

第14号「サンド・ベージュの河辺のオリエンタル・ホテルのバルコニーから」

タクシン首相(愛国党)の選挙での再任を拒否するデモが、バンコックのあちこちで頻発しているという新聞の記事を読んで警戒していたが、空港からホテルまでは以外にスムーズだった。

部屋のバルコニーから、300メートルほどの河岸を行き交う帆船のようなホテルの艀を見ている。
一般的に文明は水辺で育まれると言われるが、ソープラチャットの水を媒介にして伝播したのは武器や様々な海産物や染物ではなく“タイに住む人々の生きるエネルギー”。
東南アジアの河につき物の茶褐色の“水の帯”は、まるでいろいろな性格を持った人間の様に、流れる街によってイメージが異なる。この河はまるで“象の体内に流れる静かな静脈”のようだ。

ククリット氏と言う作家の名前が付いたこの部屋を担当する男性が、“両手を合わせて”ご挨拶。
あわててチップのバーツを探したが、まだ貨幣価値がピンと理解できていないので、どうも豪勢に振舞ってしまったようだ。・・・・(特に、選挙後はバーツが高騰するなぁ・・・・)

リビングのテーブルに置いてあったバナナや、オレンジや、マスカットなどの果物を少しずつ頬張ってみる。
熱帯性の果実独特の甘い樹液が、喉を潤してくれる。
飛行機で充血した目の上に、冷えたタオルを被せていると、バルコニーの下から船の汽笛が聞こえた。「ヒュー・・・ヒュー」という竹笛のようにも聞こえる。どうも夕方のラッシュが始まり河が込み合っているらしい。

バンコック(晩虚空・・・これは当て字)、携帯電話のコール数が少ないので、久し振りに耳が休んでいる。




2006.03.13

第13号「やきそば礼賛」

“焼き蕎麦”と書かれるより、やはり“焼きソバ”の文字の方が肉感的で、上手そうに見える。
しかも、ここの焼きソバは、小海老(桜海老)で風味を出し、上質の豚肉(脂身と赤身のバランスが3:7)でフライパンで滾る(たぎる)ラードとの甘みを調整し、それでも付きまとう“油のしつこさ”を歯と歯茎の間で爽快に持っていくよう、最後にキャベツともやしを加えるのだろうか?

しかし、色彩的には所詮ソースの“黒土色”である。そこで、昔懐かしい赤いウインナーを乗せる。そう小学生の頃の運動会の弁当のスター。それも8本足の蛸の数刻んでもらい、それにあわせてを8匹を植栽のように・・・・・・・。

車が隅田川を渡る頃に、座席に置いた包みの中から、仄かに“青海苔”が匂い始める。すると不思議と明日元気で起床できそうな気がするはずだ。

モルガンの清水さんとひときわ経済談義を済ませた夜は、私はいつもお土産に“焼きソバ”をお持ち帰りいただく。一方私は、堪えきれずに、朝を待たずに、寝る前に食べてしまう。




2006.03.04

第12号「この朝の桜島は、黒から緑に色を変える」

作家の司馬遼太郎は、この桜島のことを人はもちろん、歴史すらその指紋さえ残せない・・・・・と書いている。

チェックインしたのが夜になったせいか、ホテルのバルコニーから桜島の陰を懸命に捜したが漆黒の錦江湾と、墨のような曇り夜空の向こうに扇形の輪郭さえ見えなかった。
時折、煌く星を頼りに、部屋のソファーに横たわって窓の向こうの桜島を捜していたが見えなかった。
和室の布団で肘をついて、しばらく煙草を燻らしたが、しかし、窓前面に広がるはずの姿は、とうとうその夜には掴めそうになかった。

今回は、父と母と少しは話をしようと思い、目覚ましを午前5時に仕掛け、朝一番のフェリーで垂水に向かおうと思った。上手くいけば、船のデッキから朝焼けを背景に真っ赤な桜島が見えるかもしれない。
うとうとしている内に僕は夢を見ていた。

ほんの短い夢は、白いランニングシャツに、白い短パンツをはいた少年時代の私だった。渚に打ち寄せる波の高さを確かめるようにずっと身動きもしないで、足元の砂を見ていた。少年の向こうで、夕陽が落ちようとしていた。少年が、引き潮を数える度に砂の中に沈んでいく。

林檎色の空が染み出した絵の具のように、やがて流れて垂れて、海を朱に染めている。音楽が流れている。ゆったりとしたフレーニーのオペラのようにも聞こえるし、昨年創作した「記憶」という歌のワンフレーズのようにも聞こえる。誰も居ないのに、誰かの気配がしている。

うつらうつらしていると、携帯電話の目覚ましが鳴った。小刻みにしか眠れなかったせいか、朝7時を過ぎていた。カーテンの隙間をこじ開けて、真っ青な空がシーツを透明にしている。

見たことの無いような清清しい桜島のなだらかな稜線が、あの日の少年の蒼い肩のように思えた。

墓のある垂水に向かう船に乗るころに、きっと彼は若葉色に変わっているだろう。




2006.02.26

第11号「亀田三兄弟の二男大毅君のデビュー試合」

のっぺらとした“みなとみらい横浜”は、小雨模様。それでもホテルに隣接している会場に一歩入ると湯気が立っている。何かの始まりを期待している人と、事実を見届けたい人。
兄興毅に続いて、日本中の格闘技ファンとマスコミが注目している二男大毅君の下馬評は、兄貴より自由で奔放なファイター。そして早い左のフックが強い。

協栄ジムとのお付き合いは、福岡出身のテクニシャン鬼塚選手の世界タイトルマッチのプロモートをして以来、そろそろ20年近くなる。今や貫録のついてきたジム会長の金平桂一郎君は、その頃先代の影でロシア選手の発掘の為にモスクワと東京を行ったり来たりしていた。

「東さん、デビュー戦で、TBSさんがON AIRする選手なんて初めてですよ・・・・・・それにこの人・・・・・の数・・・・」

「スター不在だからね。ボクシングだけじゃないですからね。日本全体がスターに飢えてるんですね」

これから登場する大毅君は、ボクシング業界だけの人材ではなく、大袈裟に言うと、日本の若者が吸い寄せられているストーリー・メーカーに違いない。

試合は、ゴングと同時に27秒で終わった。素手に近いメキシコ製の薄い8オンスのグローブで、あのパンチがヒットしたのでは止むを得ない。この日は、日本のスポーツ・シーンがカレンダーのように一枚捲られた日でもあった。




2006.02.22

第10号「奥湯河原の旅荘 オーベルジュ湯楽」

奥湯河原の旅荘「湯楽」を訪れた。

2002年の日韓共催ワールド・カップのプロモートの仕事で、お世話になった東(あずま)氏から、湯河原の「オーベルジュ 湯楽」という老舗の旅館を購入したという手紙を頂いたので、一度は訪ねてみたいと思っていた。

湯河原温泉に出向く時は、イマジニアの神蔵社長や笹岡薬品の笹岡社長の“年納めの会議”に招待されて旅館「あしかり」に行くのが定番で、真冬の2月にこの地の別な旅館を訪ねるのは初めてのこと。
(私は、風呂から出たときに、ぼぉーと過ごすのが好きで、露天から慌てて這い出して、冷たい風から逃れるように、バタバタするのが嫌いなのでとにかく“冬の温泉”、特に露天は苦手なのだ。)

「とにかく来てよ。上手い食い物を用意するから。」東氏のいつもの強引なお誘いにのって品川から新幹線で小田原まで40分。そこからタクシーで箱根山系に向かって10分ほど川沿いの登り道を走ると、もう温泉街。少しは、景気が回復してきたのか、こころなしかカラオケ店やラーメン屋さんのネオンが綺麗になってきた気がする。・・・・・浴衣姿の温泉客がぞろぞろというには、もう少し時間がかかりそう。

「湯楽」は、部屋風呂のついた3室と16室ほどの豪勢な客室に、地元の魚と、凝った肉料理をフランスレストラン風にアレンジしたダイニングで食べられるのが自慢。
館内のあちこちに展示してある、東氏自身が趣味で集めた高価な絵画が見せ所。

葛飾育ちの奥さんが、東氏の“昔からの夢”に花を添えてくれる。
「とにかくこの人旅館が好きだったんですよ・・・・右も左も判らないので、毎日が大変なんですけどね」

“いい時間を過ごして来た夫婦の、趣味の良さが酒揃いとデザートのケーキの甘さに”しっかりサーブされていた。




2006.02.21

第9号「長嶋監督切手の発売会議」

意識してそうしているわけではないのだが不思議と誕生日の前後は、毎年“記憶に残る”事が多くなる。

今年は、私の人生の“永遠の星”である長嶋茂雄氏と、お茶を飲む機会に恵まれた。
昨年、恵比寿のレストランでお目にかかって以来である。
今回は、郵政省とのタイアップで、名誉監督の「文化勲章受賞記念切手」のプロモーションを依頼されて嬉しくてどきどきしながら引き受けた。しかも対談のお相手は、今最も注目されている郵政省の生田総裁である。

そんな訳で、玄関からの動線やら、東京プリンスの会議室のセットやら、会議のシナリオの作成やらで昨夜から、一睡もしていない。ドキドキして徹夜してしまう程の、“心の振動”なんて滅多に無い喜びでもある。

さて、名誉監督の誕生日は2月20日。ちなみに、この日は、数々の星を輩出する“黄金の日”。
アントニオ猪木氏や、サザンの桑田氏など、日本を代表するスターが生まれている。
1日遅れの僕は、この“うお座”の始まりあたりの日付に、何か運命の強さを感じてしまうのだ。




2006.02.17

第8号「アップリカの葛西社長は、息を吸うように”企業貢献”を行う」

アップリカの葛西社長から「週末のカナダ大使館には、是非来てください」とのお誘いを頂いた。


日本の企業も、1980年代後半から、経団連の3%倶楽部などを中心にフィランソロピー、メセナ、チャリティなどの用語を研究し、企業活動の延長線上に、利益をどう社会に還元するかという視点を持ち始めた。

私が以前勤めていた会社でも、この企業運営上“当たり前のモラル”に関して、宣伝部の研究マターになり、市民マラソンやゴルフ・イベントなど数々の協賛を行っていた。

どうも、最近の目立ちたがり屋さん(企業)を、拝見していると、
「うちの会社、一人で頑張りますから・・・・」的な、受験勉強の弊害を受けた、まるで子供大人のような会社が多い。・・・・・・・・経営者の小児化かなぁ????

「簡単に言うと、従業員が働いていけるのは、そもそも最初に、社会インフラ(道路や水、通勤電車)があるお陰なんだよ・・・・・・・・・」先日も、ある大手のITインフラの役員に物申した。

さて私の友人の中でも(知る限り)、アップリカの葛西社長は、チャリティ(社会還元)の第一人者である。横で笑っているサントリーの鳥井社長もたくさんの“上品な利益還元”を行っている。(詳しくはHPを)

二人の共通項は極めて、奥行きのある企業運営を目指していること。
この夜は、カナダのカンタベリー大学の中にある、「日本研究専門学科」を、育成しようという企画。
考えてみれば、今や、我が国のコンパ好きの幼稚な大学生に、日本を真面目に研究してもらうより、“海の向こうの理解者”を育てた方が、早いかもしれない。




2006.02.15

第7号「芝大門更科布屋 季節のおそば」

オフィスにしている東京プリンスから増上寺の庭を抜けて、芝の大門をくぐると旧東海道。
さらに、浜松町方面に50メートル歩いた左側に、芝大門更科布屋そばがある。

芝公園のあたりは、江戸時代の古地図を眺めていても、楽しいエリアだったことを髣髴とさせる。
増上寺の表参堂には、たくさんの露天が並んでいただろうし、街の裏側には遊郭もある。
江戸城に向かう参勤交代の大名達は、蕎麦屋の前で行列の歩を休めると、砂浜に並んだ松(浜松町)の木陰で、“芝海老”を掬う漁師を眺めたり、笊から顔を出す“江戸前のあなご”・・・。それを天麩羅にして蕎麦に浮かべたりしたのだろう。

「芝大門更科布屋そば」は創業寛政というから約200年の歴史を誇る。
此処の名物は、1年12ヶ月わたりそれぞれの月に旬のネタを主人公に取り合わせたメニューである。
今月は、「梅蕎麦」。
ざるに、盛られた薄いピンク色の蕎麦から、微かに梅の香りがする。
いつも同じ臭いのするインスタントとは違って、“今しか食べられないし、匂わないし、飲み込めない”のが嬉しい。

「春が近いな・・・・・表の風は鋭く冷たいけど」

来月は「さくらそば」、ちなみに、冬の名物(12月)は体を芯から温める「生姜そば」であった。




2006.02.04

第6号「鹿児島・天文館のラーメン 小金田」

天文館の裏手の公園の横に、タクシーの運転手さんなら誰でも“一押し”のラーメン店「小金太」がある。

実家の母に、ハンバークをおねだりするには遅すぎる時間なので、並ぶのを覚悟で天文館の「小金太」に向かった。
首都圏に進出しているラーメン店はその殆どが福岡か札幌に本陣を置いている。その為、鹿児島のラーメンの知名度は低い。鹿児島の名産から黒豚と地鳥とさつま揚げはイメージ出来ても、ラーメンを連想する人が意外と少ないのである。しかし空港あたりの薩摩のラーメン(山形屋)を時間に追われてほんの一杯かけこんでも、味は絶品である。

「小金太」のそれは濃縮豚骨ベースではあるが、鳥ガラの調合と、多分魚の骨を充分に煮出し、“シラス台地の水”でコしてあるので、見かけと異なり意外なほど、さっぱりしている。
その上に、チャーシューの黒豚(角煮)は18番、素材も量も・・・言わずと日本一に決まっている。
 
老舗の「こむらさき」や黒岩といった地元の一流店よりも、その軽妙な油の配合に”舌が懐く、絡まる、魘される”。
食べ放題の薩摩大根をかじりながら、待つこと5分、・・・・
「熱いですよ!」と言ってテーブルに並ぶ頃には、舌の裏から喉の奥まで唾が溢れている。

ついでに、チャーハンとギョーザも侮れない。




2006.02.03

第5号「沖縄から鹿児島に満席の小舟が飛んだ」

照屋林賢さんに新年の挨拶を・・・・と言うことで、ゴルフも兼ねて1ヶ月ぶりに沖縄。

この島を訪れると、いつも必ずもう一つの”島”に申し訳ない気持になる。“薩摩”。
羽田を離陸して丁度1時間を過ぎたあたりに、飛行機は鹿児島の上空にさしかかる。
12000フィートの空の上から、実家の屋根が見えるはずも無いのだが、一応窓の下を覗いてみる。
一面の分厚い雲の下に、青みがかった海が僅かに見え隠れする。
「(今回も、通り過ぎちゃったなぁ・・・・・みんな元気だろうか?)」
そんな自己嫌悪に近い感情が嫌で、バタバタするのは承知でスケジュール帳をジグザグに駆使した。ゴルフ終了後バッグを宅配便に任せ、風呂も浴びずに、タクシーに飛び乗り、夕方の便で鹿児島空港に。

那覇の35番ゲートのガラス窓の向こうに、小舟のような飛行機が見える。・・・・・嫌な感じ・・・・。
桜島のあたりで揺れそうだなぁ。でも僅か1時間のフライトだから・・・・・。

飛行機に乗り込む寸前に、濃い紫色の花びらをつけた「デンファレ」が咲いていた。
この花は蘭の一種で、儀式に登場する名花である。沖縄では結婚式や祝いの席で良く見かける。

同じ南の方角であっても沖縄と鹿児島の温度差はゆうに10度。今晩の鹿児島は真冬の寒さらしい。
大した用も無く、故郷を訪ねるのも、今の僕には大切な儀式になっている。


古い10件 | 新しい10件