DIARY:夕焼け少年漂流記

古い10件 | 新しい10件

 

2007.11.12

第9号 「PRIDE」榊原さんの夢は、マーケットを揺らし驚かし楽しませる。

 榊原さんにリクルートの旧友でもあるトランスコスモスの会長の船津康次さんを紹介する縁に恵まれた。榊原さんは言うまでもなく、総合格闘技のパイオニアで、10年前は果たして定着するかどうかとも疑問視された『PRIDE』を見事な商品に育て上げた。

 今日の昼ご飯の”おかず”は、いづれこのHPでお話することになるだろうが、いづれにしても僕と榊原さんと船津さんが南の島で楽しい仕事をすることで、アジアの注目を浴びることになれば・・・・・と期待に燃えてます




2007.11.09

第8号 中国を代表する書画家 婁 正綱氏

 婁 正綱さんは、いまや中国を代表する書画家の一人である。昨年には『中国近代書家10人』に推薦された。
 1994年、まだオープンしたばかりの福岡ドームのロビーに掲げる巨大な作品の打ち合わせだった。亡くなられたダイエーグループの中内功会長は、
「この女性は、やがて歴史に残る芸術家になるよ」
と最高の賛辞で私に紹介した。

 彼女の行動半径は、ニューヨーク、北京、東京を基点に目覚しい。繊細な発想力と、何時間も筆をとり続ける肉体のバランスは、まさに一級品のアスリートを思わせる。

 毎朝連載される産経新聞の『きょうの言葉』の打ち合わせで、一ヶ月ぶりにお目にかかった。
 この1週間は、電通の成田元会長をはじめ、たくさんの財界人やメディアとのプロジェクトをエネルギッシュにこなしている、との話であった。

来年の北京五輪も彼女とっては、大きなPRの機会になるだろう。





2007.11.01

第7号 御礼

 月曜日から1000名近い人たちに、このホームページリニューアルの葉書を出しました。
そのせいか、今日の夕焼け少年ホームページにはたくさんの来訪者をお迎えしています。
特に、連載中の日刊ゲンダイ『数字のホンネ』が皆さんの参考になっているようです。

 今後ともよろしくお願い致します。


東 正任




2007.10.11

第6号 康先生、平野啓一郎氏 in有明コロシアム

 講談社の月刊誌『KING』などの連載や、mixiや書籍の出版などで、この人に再びスポットライトがあたっている。康先生の見直しと再評価が始まっていると思えるのは僕だけではないように思う。

 この夜は、芥川賞作家の平野啓一郎氏と3人で朝が来るまで舌戦となることは確実。

 ちょっと亀田大毅くんには早い気もする世界挑戦だが、試合前の有明コロシアムは何か予感に満ちている。




2007.10.06

第5号 取材の達人、田原総一郎先生

 田原総一郎さんは、テレビでもお馴染みの鋭敏な取材者(インタビュアー)・・・・・無論作家としても時代を抉ってきたが・・・。

 口元は、油断するほど柔和だが・・「なるほど。」と相槌をうったあと、寸前突然、「ということは・・・」と突っ込まれ真実を問われるとフェイントを掛けられたボクサーのように、思わずぎょっとして本音を吐いてしまう。
マイペースな様で、相手のペースに合わせている。
聞かれているうちに、蛇口が緩み「水が流れるように、ホンネの洪水」。

すべてを見透かされているようで、内閣が解散したこともあったっけ。

 偽者だらけの日本では、もっと田原先生のような取材技術を持ったジャーナリストが育たなければならない。





2007.09.10

第4号 MKタクシー

 プロデュースをしている月刊誌『美楽』が、今月号から東京MKタクシーのお客様用(乗客用)本として、後部座席のポケットに並べて貰うこととなった。

 どんなに良い商品でも流通してお客様の目に留まり、認めて貰わなければ何の意味も持たない。その意味で、1日250台のタクシーに平均15人のお客様が乗車するとして、1ヶ月に10万人を超える読者と接触できる。
 
 ご英断を下さった青木社長には、本当にありがたいと思っている。





2007.09.06

第3号 横綱・白鵬

 192センチ、160キロの白鵬は、生まれたときから逆算すると1年間に約9センチ身長を伸ばして、1年間に約8キロ肉を付けたことになる。
 さらに、その圧倒的な勉強量で日本語を学び、相撲界の歴史を学び、さらに22歳とは思えない風格を身に付けた。

 ホテルオークラの鉄板焼を7人で3.5s。
 白鵬の誕生年でもある、1985年生まれのボルドーを2本。

 二日後、9月場所の初日があるからと言って、颯爽と席を立った白鵬君に何故かスキのない青年だな、と感心した。




2007.08.09

第2号 チンギス・ハーンの祭り

 何となく”流行風”(トレンド)を感じて、モンゴルのウランバートルへ出掛けた。
 仕事はもちろんのこと、芸術にしてもスポーツにしてもたった一人で実践するよりは専門家やその分野に詳しい経験者が必要である。

 初めはいつものように旅行会社でチケットを購入して、現地で宿を決めるという、いつものフウテン旅行のつもりでいたが、たまたまインターFMの小笠原社長の紹介で、通訳のアンゲル氏と実業家のブヤン氏とウランバートルのチンギス・ハーンホテルで落ち合った。
 皮膚の色も、髪の太さも、眼球の動きも、何の抵抗もない同じ人種である。

 翌朝、アンゲル氏の案内でチンギス・ハーンの生誕800周年記念イベントへ出掛けた。
白骨化した山羊の頭骸骨と、まだ肉片の付いた牛の肋骨と、馬の糞のような土の塊が草原に点々と散らばっている他、生命の命の気配すら感じられない。
 時速15キロで空を泳ぐ羊雲を見ながら、僕は大きく鼻から息を吸ってゴビ砂漠に向かって口笛を吹いた。
 
 「日本では既に絶滅している、神様たちがこの土地には何千人も住み着いている。」





2007.01.13

第1号「空を飛ばない蛇、魚」

 名古屋の冬は、東京に比べると2℃から3℃くらい温度も低く、また脊髄に染み入るような底冷えがするのは、十分承知なのだが常宿の東急ホテルから栄町まで朝の散歩に出掛けた。

 あの頃は、この噴水の周りに何千人もの学生が屯し、マルクスを読み、毛沢東に没頭し、ボブ・ディランを聴き、岡林信康を敬い、交番にいる警官に心無い言葉を連発し、そして破れたリーバイスのジーパンの穴から見え隠れする膝小僧を自慢していた。

 昨晩は当時(1971年)の栄公演の仲間が集まって、何もなかった様に過ぎた30年を忘れ、お互いの現在を話した。人間と言うのは不思議なもので、年齢を重ねても話し方や声はあまり変化しないものらしい。
その意味で我々人間のコンテンツとは、やはり「永遠」であり。「思想」であり。「哲学」であり「心情」であり、その時の「気分」なのであろうか。

 今年も自分というコンテンツを見失い、探せない日本人が、政治や経済や文化やそして三面記事を賑やかにするのであろう。

 こんなことを考えているうちに僕の体はすっかり冷え切ってしまい、早足でホテルに帰りついた。ホテルの玄関に続くスロープの壁に12の星座のオブジェが季節ごとに造作してあった。
日本では猪年にあたるのだろうが、西洋では年毎に星座をわけることをしないで、月ごとに分配したのは何故なんだろう。僕は、蛇年の魚座である。初占いによると、今年は大きな飛躍の年と書いてある。

 しかし蛇も魚も空を飛ぶ動物ではないだけに、やはり昼飯は名古屋コーチンの鳥丼にしようかなぁ。

 『今年のスローガン』

 「5cmづつ飛ぶヒヨコに見習い、決して高望みせずに基本動作にかえろう!」




2006.12.10

第45号「銀杏の穴」

 事務所の代わりにお邪魔している東京プリンスの本館から、プリンスタワー新館まで歩いて7、8分。日比谷通り沿いの芝公園の一角を遠回りしながら散歩していると、UVサングラスをかけているように、空全体が黄色い。銀杏の落ち葉に覆い隠されてしまった枯芝の上に午後の太陽が反射して、まるで金の粉をかけられたように公園全体がピカピカと光っている。

 ここ数年、これほどの黄金に輝いた冬は記憶に無い。落ち葉はそれぞれの葉が一枚一枚個性を持って、色も異なれば地面に散るタイミングも違うし、よく見ると葉の厚さも大きさも異なる。
ところが今年の落葉は、まるで機械仕掛けの様に組織的で一貫性もあり、まるで全員が北朝鮮の誰かの指導者のもとに演じられる軍隊の行進のように乱れがない。

 今年も色々な会社とめぐり逢い、人と話し、仕事もほどほどに恵まれた年だった。ただ個人的な反省として、この日の落ち葉のような大胆で思い切りの良い集合的な企画は生まれなかったように思う。

 公園の芝生に落ちた葉っぱを2,3枚拾って見ると、どの1枚にも小さな虫に食われた傷穴があった。

 やはり大雑把に仕事をすることで、お客様に嫌な思いをさせるより、どんなに小さな仕事も、不本意なミスが無かった事を良しとしよう。

 「大きな夢より、小さな実績!」東

古い10件 | 新しい10件