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2008.12.21
【第48号 香港にて】
2週間前の香港は、半袖では震え上がるほど寒かったのに・・・・考えてみれば沖縄より緯度的には、うんと赤道に近い?はず。香港文化会館から湾沿いに造られた遊歩道(シネマストリート)を歩いていると、小春日和を感じさせる生暖かい風が、ゆらりゆらり身体を過ぎていく。
インターコンチネンタルで、美味しそうに朝食を食べている人も、まだ7時過ぎなので、ままばらだ。
昨夜、深センの繁華街あるチェンさんの店「来櫻(こはる)」で、季節を感じないほど、日本各地から集まったたくさんの魚を御馳走になった。中でも、駿河湾の鯛の塩焼きと、熊本から届いた馬刺しは絶品で、中国にいることをすっかり忘れてしまった。
シェラトンの路地裏で、日本人を呼び込む花屋さんを覗いてみると、さくらの切り枝を売っていた。何処から運んできたんだろう?
12月なのに、此の町でも異常気象の影響で、”小春日和”。
世界中が、異常経済、異常経営、異常政治、異常国家、正常なのは、今日一日を懸命に生きるために必至で働く、中国人のエネルギーだけのように思えてくる。
”先のことは、考えない”・・・・実は、生きる真理とはそういうことなのかも知れない。
2008.12.20
【第47号 「美楽」1月号】
「羽子板」
羽子板は、室町時代に我が国に伝わってきたと言われているのだが、現在では東京の浅草寺「歳の市」などで売られているように、スポーツと言うよりは、縁起物としてしかその存在を留めていない。
少年の頃、かすかに羽子板をした記憶はあるものの、何故か手毬などと同様に女性的な遊びのような気がして、少年たちには人気がなかったように思う。西洋のスポーツであるテニスや中国の卓球とは異なり、羽子板は鳥の羽を上手に重力に合わせながら、相手の羽子板の拾いやすいところに落とす、思いやりのスポーツでもある。決して、相手の隙をついたり、目にも留まらぬ速さで打ち返したりしてはならないところが実に品と格を感じられるのである。
私の耳の奥で今でも元気のいい、木の板の響きが鳴っているのは、僅かに残された本来あるべき日本人の姿をまだ期待しているからかもしれない。
2008.12.03
第46号 アントニオ・古賀さんと「音魂不思議ツアー」の打ち合わせ
「やはり音楽は、詩なんですよね」
故・古賀政男先生の一番弟子でもあるアントニオ・古賀さんは日本を代表するギターの名演奏家でもある。その彼が意外にも言葉に拘り、今の日本を嘆いているのは、日本の流行歌の現状がかなりの低レベルにあるからに他ならない。
「テレビやパソコンなどの影響で自分を表現するチャンスが少ないんですよね。きっと・・・・」
音楽を通してメッセージを発し、より言葉を人々の心の中に通りやすくするのが流行歌の定めである。しかし、どの歌を聴いても愛だの恋だの(それも悪くないのだが)。しかも、独りよがりのロマンの切り売りばかりが今の流行歌となっている。
アントニオ・古賀さんは来年2月から日本の隅々まで、古賀メロディーを届ける旅に出る。ある場所では老人を元気づけ、あるところでは若者に、日本の心を学んで欲しいとおっしゃっている。
コンサートの1曲目は、「荒城の月」。荒城とは、滅び行く日本の現状であり、月とは、それを悲しく縁取る母親の心なのだと・・・・。
2008.11.30
第45号 電子煙草の工場見学
エコスモーカーの工場見学にシンセンに。週末の金曜日の羽田発のJALで、香港着は深夜の1時。考えてみれば、この便を使えば、週末の土曜日を有効に使って、香港(シンセン)とのコミュニケーションが取りやすくなる。・・・・但し、日曜日の深夜2時に帰国するという、過酷な体力が必要だが。
サブプライムの影響で、中国の経済は、壊滅的な状況になりつつある。
「街中での、窃盗やすりが多いですので、・・・・・」
通訳のチェンさんが念を押した。
香港と中国の国境で、出国許可をもらい、50メートル先の中国の入管で入国許可証をもらう。ヨーロッパでは、当たり前のこの光景は、やはり僕達日本人にはもの珍しい。・・・・・電車でシンセンに行かなくて良かった。車での移動が、時間も神経も楽にしてくれる。
電子煙草の工場は、400人以上のスタッフが、ベルト・ラインの両サイドに並び、バッテリーのチェックから、点灯のチェック、フィルター液の混入、箱詰め・・・・・人件費の安い中国ならではのファクトリー!!!びっくり。
香港に戻って、インターコンチネンタルで、時間調整。
「今年のイルミネーションは、少なめですよ」
香港在住25年の森山さんが、香港島を眺めている。
テレビでは、タイの空港閉鎖を革命前夜と報道している。CNNはインドのムンバイの爆発テロで、国際経済の影響が深刻になると、・・・・・アジアが揺れている。中国がその”心臓”であることは、間違いない。
2008.11.20
【第44号 「美楽」12月号】
『零の雪』
突然身包みを剥がされるような強い突風が吹いて、その凍てつくような北風は、地球の回転を止め、軸を凍らせ、先進国から後進国まで巻き込んで凍てつくような世界を創ってしまった。
「サブプライムショック」とカタカナで表現しているところに尚更その欺瞞性(ぎまんせい)が高くなった。これは言い換えてみれば、「不動産債権の世界な詐欺商法」。
宇宙の果てから舞い降りてきたような、雪の結晶を手の平に受け止めて、皮膚の体温で溶けるのをじっと眺めている。指先が冷え切るのも忘れ、その美しさに見とれていると放課後のチャイムが鳴った。校舎も校庭も鉄棒も池も水飲み場も、すべてが白い綿で覆いつくされたような境目すらない。
国境がなければ、人種もなければ、宗教もなければ、或いは貧富の差がなければと、歌った詩人ジョン・レノンの歌のように今、世界は“真っ白な零”からやり直すことが出来るのであろうか。
2008.11.01
第43号 ちばきや(葛西駅)
「ちばきや」の千葉さんとは20年以上の付き合いになる。当時は銀座にある有名な蟹料理店で料理長を勤めていた。夜になると、部下のスタッフの面々と一緒に行きつけの飲み屋でカラオケを唄った。
ある夜、「今、ラーメンを研究していると、深刻な顔で話をしてくれた」
今ほど、ラーメン・マーケットが拡大する以前の事で、僕は”包丁すてて、ラーメン?”との問いかけに、理解できなかった。
あれから「ちばきや」は日本で一番、上品でうまいラーメン屋になって、羽田空港のロビーにまで出店している。
千葉ちゃんは、今夜も朝まで新しい味を研究している。
2008.10.31
第42号 安藤先生と増上寺
安藤先生とは、「美楽」の表紙の打ち合わせをするために、月2回くらい
昼食を取る事にしている。今日は、天気もいいので、増上寺の落葉でも見ながら、団子でも抓もうと・・・。
日本にある理美容室の数は約30万件。そこで、働く人々は100万人を数える。トピー商事さんとの発案で、なんとかこの”強大なコミュニケーション・スペース”で、気の利いた企画を催そうと言う話になり、久保社長の
ひとつ返事で「お客様のサービスを考える作文コンテスト」を始める事となった。
安藤先生の”古き良き次代の絵の中に”・・・・・・2枚ほど髪を切ってもらう少年の絵柄を発見。ポスターは、この絵を主人公にデザインさせてもらった。
「先生は、何処の床屋さんですか・・・・・・」
「僕は、自分で切るんですよ」
やはり、安藤先生の哲学は、ほのぼのしているのである。
2008.10.30
第41号 キョードー東京 嵐田会長(銀座)
嵐田会長とは、そろそろ30年近いお付き合いになる。親子ほどもある年の差、人生経験の差、イベントの規模の差、それに”嵐のような時代を駆け抜けてきたエネルギーの差”・・・・・何処をとっても大先輩、いや大先生なのだ。
しかし、いつお目にかかっても、紳士的で、おだやかな口調。
1994年、福岡ドームでマイケル、マドンナ、ポール・・・・・数々のコンサートを開催していた頃が、まるで昨日の事のようだ。
乾杯をして、白いワインに氷を入れて、口を濡らすように味っていると
嵐田会長が、精気の溢れる目で、僕を見て
「最近、何か面白いことがありますか?」
まだまだ”世界のイベンター”健在なのである。
2008.10.25
第40号 そごう(ビックカメラ)の閑散
巨人優勝!!というので、旧そごう(読売グループ)ビックカメラは、夜の9時過ぎから「ジャイアンツ優勝セール」。たくさんの売子さんが、大声でチラシを巻きながら、お客さんを呼び込んでいる。
しかし・・・・・・・ジャイアンツもサブプライム不況には、勝てない。
寂しいくらいに、人もいない。
僕は、呆然と、原監督のインタビューを聞いていた。
日本一になる日は、祝祭日のデーゲームにしたらいいのに。
2008.10.22
第39号 アバイディング ゴルフクラブ
長嶋一茂さんのお薦めで、千葉県の真ん中にあるアバイディング ゴルフクラブを訪ねた。以前のオーナーが、ファッション関係であったせいか、中世のアイルランドの貴族の別荘を思わせる重厚な煉瓦つくりのクラブハウス。
今日は、プレーをしないで、裏庭のベンチで本でも読もうかと思った。
デズモンド・ミュアーヘッドの設計したコースは、フェアーウェイでもうねり、グリーンも俗に言うポテトチップスのように波を描いていて、苦労が多く、泣かされる。
ゆっくりお茶を飲んでいると、20ヤード先のティーグランドから、悲鳴や、野次や、罵倒が聞こえてくる。朝一番から、どうも玉があちこちに飛んでいってしまうようだ。
やはり9ホールだけ、回ることにした。
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