DIARY:夕焼け少年漂流記

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2009.04.13

第10号 インプラントとの戦い

 先週の水曜日、逃げ回っていたのだがついにインプラントの手術。
写真を見てのとおり、我ながら痛々しいを通り越しておる。知らない人は、
交通事故か何かで、担架で運ばれているのではないかと、思われるのではないだろうか。

 下の歯に1本(前回とあわせると合計4本)、上の歯に2本。目標は?12本程度のインプラントで、わが身の高齢化に備えようと考えている。今回は、全身麻酔に、局部麻酔を取り合わせ、医者3人に看護婦2人という万全の体制で手術を、迎えた。・・・・ところが、準備不足は、私の方で、特にどうやら心の準備が、足りなかった。左の下のグラついていた歯の抜歯のときに、恐怖心が絶頂に達し、なんと目覚めてしまったのだ。痛みのないはずの時間帯で、治療椅子から、起き上がり、さらに体を右に反転させたのだ。

 記憶には無いが、驚いたのは、医師団の先生方で、
「こんなに、無意識のうちに、嫌がったのでは、危険だな」
との判断の元、1本は次回に回すことになった。

 ちなみに、この不安感と恐怖心は、幼年期に受けた歯の治療が、トラウマになって、フロイトの言う「客観的不安」となり、僕の精神を支配しているらしい。
 
 ”不安は、全て希望を、奪い去る最悪の要素である”

奇妙な不安は、待たないで、行き当たりばったりの人生を選んだ方が、一本も”日本”も前進する。




2009.03.20

第9号 月刊「美楽」4月号

「ビー玉」

 桜が美しいのは、極めて動物的にその花の命を終えるからであろうか、それとも空の青さが見えなくなるほど、風も雲も、時には地面さえも桜色に染めてしまうからであろうか。或いは、決して朽ち果てることなく、栄華を誇ったままで散ってしまうからであろうか。それとも、私自身が儚い人の命を感じるからであろうか。


 永遠に続くものなどこの世にあるはずがないのに、私たちは美しく散ることを忘れて呼吸している。





2009.03.06

第8号 照屋林賢氏と深夜の再会

照屋林賢氏は、いつも季節風のように現れる。現れるときは毎度、なんの前触れも無く、突然沖縄から、東京の僕の目の前に登場する。

「東さんは、今何処ですか?」
「沖縄の、天気はどう?」
「いや、今東さんのところに、向かっています・・・・」

こんな具合なのだ。
すると僕は、どんな予定があろうと、会議中であろうと、サウナの中であろうと(ちなみにリンケンさんは、風呂が嫌いなのだが)、彼を待つ体勢に入る。

 1995年の夏から数年の間、僕は当時のダイエーの中内会長のご指名で、「アジア音楽祭」という大規模なコンサートを沖縄でプロデュースさせてもらった。リンケン・バンドをホストに設定したコンサートは、アジアの各国の音楽家を迎えて、数万人のお客様を集めた歴史的なイベントに成長した。


 リンケンさんは、写真のプロでもある。撮影した写真は20万30万枚にも及ぶ。彼の好意もあって、「月刊美楽」で毎号掲載中。
 しかし、中内会長の写真が、無いのは、寂しい気もする。





2009.02.20

第7回 月刊「美楽」3月号

「お雛様」
 3月上旬になると、上着に何を選んで良いのか、迷う季節である。セーターを羽織るか、マフラーを巻くべきか、半ズボンか長い靴下か、毛糸の帽子を持っていくべきか・・・・。

 村のあちこちに、濃い分厚い葉っぱをまとい、まっ赤な寒椿が何週間も輝く赤を誇張する。すべての生物が黒か茶色か白であるはずのこの時期に、この輝く赤はまるで生物の心臓のようにその静脈を露出する。

 お雛様の時期になると、私はいつもあかぎれから滲み出した血液とその赤に明日の生命を感じていた。





2009.02.11

第6回 北京五輪の取材の時の・・・・

 北京五輪の取材で、宿泊した中国大飯店の、窓に”異様で大胆なデザイン”のビルが、朝もやの中の、曇天の空に突き出していた。
 建て掛けの中国中央電視台(中国中央テレビ、CCTV)の、ビル。それは今世紀が中国の時代であるかの様な象徴的な自慢の、建造物であった。

一昨日、そのビルが火を噴いた。煙は、曇天の北京の空を黒く覆い、僕の脳裏にさえ煤(すす)の焦げた匂いが、タチコメタ。やはり・・・・。







2009.01.31

第5回 江副さんとソウル危機の晩飯と南大門の空虚

 江副さんと、ソウル取材。サブプライム・ショックの最も影響を受け、為替は壊れ、輸出は留まり、求人市場は白旗状態、韓国人独特の”底辺のエネルギー”を創成するはずの庶民も、外食を減らしている。

 朝、人手の多いはずの南大門を散歩した。薬屋にも、食料品店にも、おもちゃ屋にも、靴屋にも、革の衣料品店にも客がいない。

「冷えますね」
「この街の経済は、立ち直るのも、早いからね」
「甘いものでも、摘まみましょうか」
「どんな時でも、食べ物は強いね」

 50年前(半世紀)に、学生事業家として、人材産業の種を植え、日本一の求人会社を作り上げた人の眼にも、ウォン・ソウルは、国家経済の破綻が明らかのようで、しばらくは回復の兆しが掴めないのと読んだ。






2009.01.20

第4回 「美楽」2月号

『飛ばしっこ』
 山を切り崩し、工場を造り、木を倒し、花を摘み取り、団地を作り、すべての道を車が走りやすいようにコンクリートで固め、流れる川をせき止め、ダムを造り、海を埋め立て、コンビナートを造り、子どもたちは簡単にトイレさえも行けなくなった。
 都会では、廃墟の跡や地上げ途中の空き地以外、キャッチボールをする場所すら見当たらない。まかり間違って、小学生が立ちしょんべんをしようものなら、ものの何秒でストレスの溜まった大人たちに叱られる。

 「伸び伸びとした子どもたち」を育てることが、国家全体の創造力を高めることに繋がるのは当たり前なのに、今の子どもたちは可哀相なほど怯えている。





2009.01.14

第3回 セブンイレブンの漫画読むヤング

 セブンイレブンの夕方6時。会社を終えた”若きビジネスエリート”は、漫画コーナーに列をなしている。出版不況で、今や、雑誌は廃刊ブーム。出版市場も1兆円を割り込むのは時間の問題。インターネットのせいでもない、活字離れのせいでもない、日本文化がどうのこうのという気の難しい話でもない。不況なのだ。大好きな漫画雑誌にも消費は向かない。
だったら、文化とは金がかかるのか?・・・・・その通り、精神論は別にして、文化も情報という回路がある限り、ある程度の金がいる。

 従って、この数年、若者の文化は育ちずらいに違いない。







2009.01.06

第2回  早乙女太一氏は100年に一人の逸材

 話題の早乙女太一氏と、新しい新聞「水の美楽」の取材でお目にかかった。北野武監督の「座朗市」での鮮烈な印象、昨年末の紅白での”目を釘付けにされた舞”・・・・。公演のチケットも矢のように売れている。

 とにかく一時間の取材時間ですら、確保するのが大変な逸材。上野の浅草ビューホテルで、矢継ぎ早に言葉を交わした。


 幼い頃から、舞台の道一筋で、その考え方(哲学)も、とても17歳とは思えないほど無駄が無い。ゴルフの石川遼君や、スケートの浅田真央さんなどもそうであろうが、幼い頃から目標を明確にするというのが、人間を無垢に磨き、センスと言う名の細胞の分裂を、無限大にする。いわゆる、無意識の鍛錬は、個人の眠っているうちに才能を開花させるのだ。

「好きなものは、何ですか」
「白いご飯です」

・・・・・イマドキ、こんなに素敵な答えを返してくれる若者はいるだろうか?

「睡眠時間は」
「日によって、異なります」

何処か間の抜けた、平凡な質問に、少し恥ずかしい思いをした私だった。








2009.01.02

第1回 日比谷公園、冷え込んだ元旦

 新聞や、ニュースの報道が気になって、日比谷公園の「派遣村」を覗いてみた。以前、藤原和博氏と新宿西口の”炊き出し”に顔を出したことがあったが、今夜は、何故か心が冷え込んだ。

 7000万人近い労働者の3分の1の1800万人が、非正規労働者という不安定な労働市場。2003年の小泉改革???以来、増え続けた派遣労働者が、フリーターが家がなく、食がなく、一部の行政では東京への片道チケットを渡されて町を放り出される。

 グローバル化だの、職業の形態は個人の選択?いろいろな理由をマスコミを通して正当化され、要は企業の調整弁として”都合のいい機械労働者が誕生した”。


 普段、浮浪者が眠る日比谷公園では、派遣労働者のアピールの場所として、1月4日まで寝床と食事を提供するオアシスに。しかしながら何故300人程度しか集まらないのか?今や数万人が集まるような事態が起きているハズなのに・・・・・


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