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2009.06.09
第20号 小金井カントリー倶楽部は強敵!!
小金井カントリー倶楽部は強敵!!何処の誰が呟いたかは、知らないが
「小金井は、お年寄りのコース」だの
「接待向きのコース」だの・・・・・。
大きな誤りである。会員権が、高額なのと、滅多にプレーできない人の、焦りと嫉妬なのではないだろうか。
何度ここを訪れても、スコアーがまとまったことが無い。まず、グリーンが難解。1メートルのパットでも芝目が読めないと、入ってくれない。つまり、ナイスオンしても、何処にオンしたかで油断大敵・・・古くからある手作りのグリーンと、歴史的なゴルフ好きのOBたちの迷いが、今も生きている。
さらには、現在バンカーの修理中で、砂が異種混合の微妙な状態。この黄色い砂は何だろう?思い切って、フェイスを開かなければ玉が、”救え”ないな。
改修して、より風格を感じるレストランから、美しいコースを眺めながら、
「今日は、いけそう」
と、思うのだが、終わってみると、すっかり武蔵野の林、狭いフェアウェイにやられている。距離が無いだけに、グリーン周りで、自己嫌悪におちいる、気持ちがダフル。
来週は、長野佑也先生の古希を祝うコンペがある。ウエッジを買って頑張ろう。
2009.06.05
第19号 東映相原さんと任天堂「脳強」発売
東映相原さんと任天堂「脳強」発売の、いよいよ前夜を迎えている。今回は、元リクルートの畑中君(夕焼け想像研究所副所長)の強いバックアップもあり、相原さんの即断即決で、ビシビシ発売まで、仕掛け満載。
任天堂のDSは、市販されているタイトル数だけでも2500本を超える
”お化けコンテンツ”。その中でも、「脳」を材料にしたものだけでも、50本以上。この市場に、”ど真ん中から”食い込んでいくのだからやる気満々、勇気凛々である。
応援団も、義家ヤンキー先生を初め、8000名の東大生からEQの高い小悪魔アゲハ嬢まで多士済々。
内容は、神戸の浜学園のメソッドをベースに、ただの記憶力やスピード頭脳では克服できない新型のゲームなのである。
しかし、僕は解けなかった・・・・・・。
「新脳強育」・・・・・僕の脳も、やや古い。
2009.06.02
第18号 さだまさしさんの新刊「アントキノイノチ」
さだまさしさんから新刊が届いた。タイトルは「アントキノイノチ」。またまた、深夜から朝まで、一気に映像文学の世界に持っていかれた。
さださんの本は、全部楽しみに読破している。その何処か詩的な文章から、イメージが映像化しやすく、時にメロディーまで付いて来る。
作詞家(特にシンガー・ソングライター)の、歌は、感情をそのままぶつけるタイプと、状況説明から、心情表現に入りこむタイプに分かれる。さだまさしさんは、後者のタイプで、その”心の表現力”は、島崎藤村以来だと思う。
そんなさださんが、小説を書いて、映画化され、テレビドラマになって、古くからのファンはもちろんの事、日本中を泣かせる。
「何時書いているのだろう?」
本当に、日本語の天才で、日本文化の旗手なのである。
2009.05.24
第17号 鹿児島県垂水市の朝
垂水の朝市に間に合った。朝一番6時の飛行機で、鹿児島に飛び、お墓のある垂水の「道の駅」に立ち寄った。自分のルーツに関して、あまりにも無知で、焼酎と水とみかんの名産地であることしか知らない。
今回は、生産農家に顔を出し、何故水が、日本的に評価されて、誰が全体のブランドをコントロールしているのか?程度の勉強はしてみたいと思った。
桜島の裏側にある「道の駅・垂水」は、桜島溶岩の植木鉢やら、養殖のはまちの生簀やら、”足湯”やら、名産特産のオンパレード。中でも、朝取れたばかりの枇杷が、たくさんの小箱の中で金色に輝いていたのが印象的。
紅芋のアイスクリームを、頬張りながら、湾の向こう岸の鹿児島市を遠く眺めていた。
いつものように母に電話する。
「今鹿児島なんだ」
「あそう、帰ってきたの」
何が起こるかわからない、日々の貧そうなスケジュールのなかで、事前に帰郷を伝えて、両親を待たせるのも、申し訳ない・・・・・ので、いつも垂水のあたりから、実家に電話している。
母も慣れたもので、私に何しに帰ってきたのかは、聞いたことが無い。
2009.05.22
第16号 後楽園(有楽町)の焼きそば
後楽園の焼きそばは、ふいに食べたくなる。昔からあるラード風味で、大きな鉄板焼きでまとめて炒めてある。並盛りが360円、大盛りが450円。オプションに目玉焼きをもらい、丼に入れてある葱を、振掛けのように盛る。焼きそばが見えなくなるくらいに、葱を盛る。サイドオーダーにスープを頼み、その中にも葱を振掛ける。食べる前に、闘争心とスタミナが必要。明日の口臭など気にしていられない。
最近、今日の仕事と、明日の仕事の境目が、引けない事業が増えている。
今夜も、再び葱を食らう。
*有楽町・後楽園は24時間営業である。
2009.05.20
第15号 安藤勇寿先生とは夕焼け仲間
安藤勇寿先生とは夕焼け仲間である。7年ほど前、テレビで紹介された安藤先生の美術館の「夕焼けの少年」の絵に惚れ込んだ僕は、すぐに、栃木県佐野市に住む先生を訪ねた。
それから数年後・・・・よほどの縁があったのだろうか・・・・発行する「美楽」の表紙に、その素晴らしい絵を提供していただいている。
「僕は、頭の中にある情景を、クレヨンで表現するのです」
栃木訛りの、素朴な先生の話を、穏やかな気持ちで聞いてしまう。
力が抜けているから自然。何かを主張したり、誰かを説得したり、自分を押し出す必要の無い世界の母国語なのである。
この日は、3周年を迎える「美楽」の打ち合わせと、個展の開催に関する
話で、久し振りに美術館の作品を拝見した。
表に出ると、雑木林を抜けてくる酸素濃度の濃い風と、初夏の日差しがふわりふわりと遊んでいた。
僕は、ほっと一息、ため息をついて、
「ゆっくり泊まって、いきたいですよ」と、
腕の時計を見ていた。
2009.05.05
第14号 リクルートの同級生の徳永プロ(ゴルフ)
徳永雅弘君は、いつも笑顔の勝負男だ。が、そんな風に見えないところに
強み有り。
ゴルフのシニア・プロと言うのは、誰かお抱えスポンサーがいて、本業は、練習場のレッスンプロだったり、企業と顧問契約を結んでいるケースが多い。しかし、徳永君は、本当のサラリーマンだった。9時から夜遅くまで、会社に勤めながら”腕を磨いた”生粋の会社員選手なのだ。これは、どんなスポーツでも、奇跡に近い事。
数年前は、全米シニアという名門のトーナメントにまで、出場を果たした。
小柄で、飄々と、球を打つ。飛距離は、ゆうに280ヤード。変わったことにヤーデージ(グリーンまでの距離標)は、使わない。日焼けした顔で、感覚的に、情熱的に、動物的に、ゴルフする。
最近、お互いに高齢化してきたせいもあり、会うたびに、体のあちこちが痛い、目が薄い、筋肉が・・・などと笑いながらのゴルフ談義。
僕は、徳永君のスコアより、坦坦とした思い切りのいい生き方に、ある憧れがある。
つまり、ミスショットは、決して、後悔してはならないのが、ゴルフ、人生もきっとそうなのである。
2009.04.27
第13号 ジャガーの命
ジャガーの命は、走行距離ではない。イギリス生まれではあるが、今や資本はインドのタタが大株主。ジャガー・グリーンも無論嫌いではないが、汚れやすく、交通事故は、黒や緑の塗装が多いと言う。木製のパネルも嫌いではないが、70年の後半からバランスが悪くインパネは消極的。本来2人で乗るべき車なので、後部のシーターは狭くて硬い。
ジャガーの命は、あくまで、豹の姿なので。ある。
青空の白が、車体の白に、共鳴している。
幸いに、午後の太陽が、豹に影を落とし、豹は走り出している。
俊敏で、大胆で、静謐な車である。
「携帯でも、結構、味わえる構図が撮れていた」
2009.04.25
第12号 友部正人の「ジュークボックスに住む詩人」
友部正人のジュークボックスに住む詩人・・・・に出会った。神田神保町で歯医者さんの待ち時間があると、古本屋さんを廻る。古い雑誌を捲り、店主のおじさんと世間話をし、最後に詩のコーナーに立ちよる。
18歳の頃、名古屋の栄公園で、毎週土曜日のフォーク集会が開かれていた。何百、時には何千の学生が、そこに参加することで”生きる自分”を探していた。友部さんは、地べたに座り、怖いほど鋭い表情をギターにぶつけボブディランを歌っていた。
僕は、音楽はしていたものの、”そのフォーク集団”の中には、入らなかった。入れなかったのは、少し年下のせいもあって、気後れしていたのだ。
歯の治療を終えて、思い出したように、アマゾンを開き友部さんのCDや、本を探した。
あの、心をそのまま言葉にした友部さんの詩集やエッセイが販売されていた。2日後に、松田優作やブレッド アンド バターと一緒に本が届いた。
ビニール袋を空けた瞬間に、1972年の栄公園の芝生の匂いがした。
「アマゾンは、いつも”思い出”のパンフレット」
2009.04.20
第11号 月刊「美楽」5月号
田植え
誰かの足を踏んづけた。
隣に住んでる鬼の顔をしたおじいさん。
麦わら帽を首まで被り、腰まで田んぼに浸かってる。
誰かの足を踏んづけた。
隣の町の、村長さん。
内輪を片手に、お手伝い。
誰かの足を踏んづけた。
雨靴忘れた雷様。
足がたくさん田んぼに浸かり
誰かの足かもわからない、
ごめんなさいは後回し。
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