DIARY:夕焼け少年漂流記

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2009.08.19

第30号 サントリーホール・デヴィーアとフィリアノーティ

 サントリーホールでラボーチェ主催のコンサート。デヴィーアは、現代最高のベルカント・ソプラノ。美しい舞台姿と、完全主義の歌唱表現はまさに芸術そのもの。一方、ジュゼッペ・フィリアノーティは、世界のテノールを支えるであろう逸材。この滅多にない組み合わせは、サントリーホールの満場の観客を、魅了し、たっぷりと酔わせた。

 1996年に国立競技場で3大テノールをプロデユースしたのが、昨日のように鮮明に、思い起こされる。サッカーのワールドカップの決勝の前夜祭が日本と同じセットになると聞いて、急遽ロスに飛んだ。JTBやJCBなどのクライアントを引き連れて、会場入りした瞬間、そこはイタリアであった。アメリカ人ではなくではなく、数万人のオペラファンのパーティが開催されていた。まだまだ日本は、オペラには馴染みが無いし、ましてや、この雰囲気は作れない。コンサートの大半は、聞き手である観衆が作り出すものだから。

・・・・あれから十数年、わが国のオペラファンは、その数を増し、今では立派なジャンルを確立した。

 ベッリーニの歌劇「ノルマ」に、こんな言葉が残されている
「ただ待つだけの人生、だから心が綻ぶのよ。今を信じることが、人生よ。そうすれば、悩んでる暇なんて、見つからないのだから」

 





2009.08.13

第29号 鴨川カントリー名物1日三個限定肉巻きおにぎり

 鴨川カントリー名物1日三個限定肉巻きおにぎり。

この日の、鴨川は、34度湿度70%熱中症になっても、おかしくないコースコンディション。グリーンは、湯気立ち、太平洋から吹き上げる風は”暖めたコンニャク”が、首に纏わりつくようだ。

 とにかく、逃げ込むように14番ホールの山小屋に、飛び込むと、冷たいお絞りで後頭部を、冷やす。スコアーは3パットの連続で、既に4オーバー。

 「一日、ほんとに2個しか作らないんです。アウトで1個、インで2個」
こんな、おにぎりの販売は、日本中何処を探しても、絶対に無い。

 醤油とにんにくで、炊いた多古米の飯に、生姜で煮込んだビーフが絡み付いている。
 プレー中に、食事をして、スコアーが良かった試しは、一度も無い。しかし、、もう二度と、お目にかかれるかの保証も無い・・・・・・思わず、迷わず、一気に2個を、食する。

「もう、ゴルフなんか、・・・・・・・お茶ください」

火照った胃袋に、肉巻きおにぎりが、ガッチリ食い込んだ。

*一つ380円、吉野家の牛丼より高価。だが、滅多にない肉汁の味が、たまらない。





2009.08.05

第28号 鹿児島枕崎の鰹弁当

 鹿児島枕崎の鰹弁当を鹿児島空港で発見。ご存知の通り、黒豚を素材にしたものや、キビナゴを素材にした寿司弁当、さつま揚げを主人公にした幕の内系薩摩弁当など、鹿児島は・・・・と言うより九州は弁当の素材に恵まれている。考えてみれば、日本で一番の漁獲量を誇る枕崎の鰹弁当を、食してなかったことが私の怠慢であった。

 料金は780円。生姜を載せて、醤油とみりんで煮込んだ米と同時に頬張ると、肉汁とおぼしき、東シナ海の香りがする魚汁がふんわりと・・・。

 





2009.07.20

第27号 早乙女太一公演(名鉄ホール)

早乙女太一「わらべうた」の公演の仕事で名古屋に来ている。マハロ・ウォーターが主催する始めての興行。お客様の期待と、高野社長の信頼に、”舞台だけでなく、全ての仕切り”でお答えしなければ。

100年に一度と言われる早乙女が、舞踏家であり、表現者であり、よって芸術家であり、彼自身がメディアでもある。17歳。彼はやがて、思想を持ち、天才と称される誰もが持つ宿命的なメッセージを放ち、日本ばかりか世界で拍手を浴びる時に、我々も何かを学ぶのであろう。

「少年老いやすく、学なりがたし。。。。。。」

ご来場のお客様の全てが、”応援するもの誇りが感じられる”コンテンツ。
高野社長も、それを感じ取られていたように思う。






2009.07.19

第26号 虹色の空

 黄色いどんよりとした低気圧が、列島に被さっている。朝からねっとりとした風が体に纏わりついている。梅雨が明けたにもかかわらず、気分は晴れない人が多いのではないだろうか?

 自民から民主への政権の移動が確実と言われても、何かすっきりしないのは、”ある時代が中途半端に終焉を迎え、新しい時代が読めない”ストレスから解放されないから。

 何かが変わろうとしている。誰が動かしているのか、それとも誰も答えの見つからない経済の法則が働いているか、わからないが、私たちの生活も大きく変化しつつある。

「髪の毛が伸びるのを、毎日見ているとわからない」
・・・・・・と、イマジニアの神蔵さんが、電話で呟いた。

 散歩に出ようと、町に出ると、東京の南の空に虹が出ていた。車のルーフを全開にして、シートを倒して、虹を感じていた。
 カラパマの「メニイ・クラシック・モメント」を聞きながらうとうとしていると・・・・・・虹は、姿を消した。

 さっきまで、空を眺めていた人々が、もとの重苦しい表情に戻り、新橋の駅の方に流れていく。何かを払い落としたいのだろうか、再び空から、シャワーのような雨が降り出した。





2009.07.16

第25号 モンゴル大統領サンジャー・バヤル氏との昼食会

 モンゴル大統領が閣僚をずらり引き連れて来日。月刊「美楽」の執筆者の白鵬を初め、モンゴル旅行者のガルダ氏や、大使館のバトボルト氏など、公私共にお世話になっているので、赤坂の某所のランチに出かけた。

 地政学的にも、アジアの重要な拠点となりうるし、資源も豊富、民主化運動も目処がついた・・・・それになんと言ってもこの国の人材(民族)は(上品で頭がよろしい)。一見日本人との風貌の違いを見極めるのは不可能に近いし、敢えて言うと、体格が頑丈で丈夫。

「モンゴルの子供たちは、チーズ、それに羊のミルクがありますから・・」
以前身長196センチ体重165キロの白鳳さんが、言っていたから間違いない。

食料大臣のバダムジョナイさん、鉱物資源大臣のアリウンサンさん、外務大臣のボロルさん、いずれにしても30代から40代の若い閣僚は、どこかの国の利権まみれのバッジ組とは違い、一目でわかる”清い目”をしていた。


 やがて、彼らの力を充てにしなければならない未来が、来る。





2009.07.12

第24号 きみさらずゴルフの朝食

きみさらずゴルフの朝食に限らず、何処のゴルフ場も、コース・コンディションは無論、キャディー教育やら、風呂の温度やら、近隣住民との良好な関係作りやら、むしろゴルフ・プレーとは一見無縁そうな仕事が山ほどある。

しかし何と言っても、食堂(レストラン)の味とメニューは、集客数に大いに影響するらしく、ご当地メニューやら、シェフのキャリアーやら、変わったゴルフ場では、プレーはしなくても、お食事だけでもOKのところも、増えている。

朝5時に起床、7時からプレーしての、9時過ぎの朝食は、体に血が回っているし、運動の後だけに、美味しい。
友人のVSNの加藤役員と、川崎専務とのデッドヒートの半ばを終え、コップ一杯の水を呷り、輪定食を食べるのが日課?いや習慣になっている。

ちなみに、この極上の鮭を主人公にした、きみさらずの朝定食は、食事だけでもOKである。料金は750円。7時から10時まで注文できる。




2009.06.29

第23号 泉川ピート氏の技

 泉川ピート氏の姿を、初めて拝見したのはブラウン管の中だった。フジサンケイ・ゴルフ選手権の最終ホール、当時30???才のピートは優勝を手中にいれ、ハーフ独特の彫りの深い顔で、日差しの強い18番ホールを歩いていた。

「今、体を作ってるんですよ。シニア向けに改造するまでに2、3年費やしながら・・・・東さんも少しシェイプアップして・・・」

 長沢純さんの、コンペに招待され北海道の空知にあるゴルフ場の芝は、このあたり独特の粘りがあって重い、ラフは禁物。というより、ラフに打ち込んだらボギーを覚悟しなければならない。

ピートの玉は、右からの強い風と、ドロー回転に迷いながら、グリーンまで120ヤードの深いラフ、しかも完全なスタイミーな杉の木の真後ろの根本に落下した。・・・・・・・チャンス到来、私は、グリーンまで130ヤードの
フェアーウェイとラフの境界線。

 さっきまで、付き合いゴルフに徹していたピートは、8番アイアンで、慎重に素振りを数回し、気の真後ろでアドレスを取った。・・・・まさか・・・。
 次の瞬間、強い向かい風のなか、ほぼグリーンの20ヤードほど左に放たれた玉は、目の前の木を高く越え、さらに強烈にスライス回転で右にブーメランし、ピンの根元に着地した。

 「生まれ変わっても、こんな芸当はできない。」

”プロとは、どんな状況でも、慌てない嘆かない技術者のこと”




2009.06.20

第22号 月刊「美楽」6.7月号

 インターネットの登場により、新聞や雑誌などの活字(媒体)の役割が大きく変わろうとしています。さらに、世界レベルの経済不況や産業構造などの変化に伴い、多くのメディアの存在価値が消失しつつあります。

 1年目の「美楽」は、植物で言う種でした。どんな花を咲かせるかを模索している時期でした。
 2年目に入って、どうやら地面に根を生やし、その茎がほんの少し、地上に顔を出しました。
 3年目の「美楽」は、たくさんの皆様から、心の日差し≠お預かりし、大きな葉っぱをたくさん身につけたいと考えています。
 そして、2010年には、「美楽」の役割を広げ、日本や世界のあちこちで美しいメディアと言われるようなしなやかな影響力を持つように育てていくつもりです。

 この間、100名あまりの執筆者の皆さんやたくさんの広告主の皆さんに温かいご指導とお力添えを頂いたことに心から厚く御礼を申し上げます。




2009.06.12

第21号 C.W.ニコル氏(作家、環境保護活動家、探検家)

 C.W.ニコル氏(作家、環境保護活動家、探検家)と取材でやっとお目にかかれた。あの暖かな日本語。逞しく日焼けした頬と、物憂げで悲しみさえ感じられる眼光。・・・・それに尊敬する開高 健先生と「野生の呼び声」という座談会の本まで出版している。

 溜池にあるホテルのロビーに、ヒルズの高層ビルの隙間から、夕日がこぼれている。玄関に向かってニコル先生を待っていると、丁度逆光になって
、僕の気持ちは期待で一杯。

「昔、小さな川が流れていて、そこに小鳥たちが飛んでくると、何故か気を失ってしまうのです。東さんは、この意味がわかりますか?」

 僕は、汚染物質か何かだと思っていたのだが、どうも森のマイナスイオンが、恐ろしい濃度で流れて、鳥たちが気持ちよくなってしまうらしい。

 こんな自然や環境に関する山ほどの、経験談(エピソード)が、抒情詩のように、言葉になる。話しではなく言葉で、伝わってくる。

 インタビューが、終わって、僕の体はマイナスイオンで充填されたように
浮いていた。

*詳しくは、美楽8月号からの、連載をお楽しみに。


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