DIARY:夕焼け少年漂流記

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2002.11.14

11月14日(木)過去のコンサートの記憶の中で、一番輝いている夢が今目の前にいる。ポール・マッカートニーが「ハロー・グッバイ」をいきなり唄い始めた

 この曲をオープニングに選んだのは、この会場にいるファンのすべての記憶の扉を開けて35年前(1965年)から現在に引っ張り込むための“やさしい合鍵”なのでは・・・・・?


 今回の日本公演で、最後になるに違いない・・・・ということで会場は、主に50歳代の紳士、淑女で賑わっている。30年ぶりに再会した名古屋の安藤君も東名高速を飛ばしてやってきた。スクウェアーの宮本会長、ステファニー化粧品の一家社長にはたくさんのチケットを購入してもらった。キャッツの大友社長、ぴあの川口常務、YOKOのママ、戸張 捷さんの奥さん・娘さん、アップ・トゥーの松田さんは息子ずれ。B6ブロックは仲間たちでいっぱいだ。


 大きなイベントがあると、こうして懐かしい顔や、普段お目にかかれない友人と出会える。


 1994年の秋に福岡ドームでポールをプロデュースしたときのことを思い出している。スタッフ用に設置された食堂は菜食主義のポールの為に、ステーキも、ハンバークも、特殊加工の野菜や、大豆を原料にしていた。事前の打ち合わせでは「捕鯨反対運動」や動物好きのポールは“身に着けるものであっても革製品はNO”、システム手帳も革張りの物は持ち歩かないように・・・・こんなことまで徹底していた。


 ステージ上で、初老の紳士が「マイ・ウェイ」を歌っているのではなく、未だ若さすら発散してポールがおどけながら、はしゃぎながら、エレキを弾いている。音楽家というより会場に集まった全員の人生に何かしら影響を与えた人。その偉大さに、僕は胸を打たれていた。


 いつものように、退場時の混雑を避けるために早めにドームを後にした。まだ会場を出る人は一人もいない。ドームの入り口の本屋さんの店頭は、ポール・マッカートニーを特集した雑誌が棚いっぱいに陳列されている。ドームから溢れ出したポールと観衆の「イエスタデイ」が空いっぱいにこだましている。声というより、“思い出という時間の塊が”無数の風船になって、葡萄の房のようにキラキラと宙に浮いているようだ。


 「1966年産のワインでもあけよう」・・・・・・・・・・・






2002.11.08

11月8日(金)このところ急に夜の空が澄んでいる。日比谷通りの三田辺りの上空で三日月がくっきり浮かんでいる。東京の星の数も増えたようだ。

 のんびり冬の訪れを待っていたのだが、この2.3日のうちに突然冬が舞い降りてきた。僕の気持ちもなんだか無理な冬支度に慌てている。


 折からの不況もあって街を行く人々の表情も例年の冬より神経質で厳しい。商売を営んでいる人は売り上げが上がらず、心細く、寂しく感じられる年末を迎えた。社会全体がいらいらしているせいか、今朝も東京プリンスの前でタクシーとバイク便が接触事故を起こしていた。最近、バイク便の事故が増えているそうだ。タクシーと、バイク便。今のあくせくした世の中を象徴するような乗り物の同士の事故には見物人も慣れっこで少ないようだ。


 何かが足りなくて、ストレスが溜まっている。こんな不満を一蹴しようと橘君と朝まで大酒を飲んでしまった。「並木倶楽部」で彼の歌を聴くと家に帰りたくなくなる。気が付くと下したての薄いグレーのフランネルの上着のあちこちに赤いワインの染みが付いていた。彼のバラードの歌いまわしは本物の歌手より上手い。来年あたり、彼のCDでも作ってみよう。


 銀座にカラオケ専門のお店が出来たのは今から15年ほど前になると思う。それまではアフター(クラブが閉店後のホステスとの2次会のこと)というと、赤坂あたりのスナックにいき、女性の人生の事情やら、だめな客の噂、店とのやり取りなどホステスと客の領域を超えて話をしていた。


 僕のように、会社が銀座のど真ん中にあって、今日は8丁目、明日は7丁目などと毎晩のように出没する客は身内の扱いになってしまいいい残念ながらホステスとは「相談相手」になることが多い。


 深夜から朝にかけての時間がゆっくり、まったりながれ、ふと時計は3時を指している。話に疲れてくると、恥ずかしながらそこの店にセットしてあったのがカラオケ機材に目をやる。そっとマイクを握り、他の客の視線を気にしながら小さくなって唄っていた。「そっと、おやすみ」がその夜最後の曲だった。


 カラオケ・ルーム専門店が出来てからホステスとの粋な会話より、客同士がお互いに自己主張をバンバンしながら得意の歌を披露するケースが増えてきた・・・・・・と嘆くホステスの声をよく聞く。毎晩のように、客に付き合う(アフター)のは大変な商売(肉体労働)だが、売上目標を掲げ、ましてや不況で客が少なくなってきた繁華街の高級クラブではそう簡単にお誘いを断るわけにも行かない。そしてアフターの一番の苦痛がカラオケ・ルームという名の密室で、酸欠状態となり、耳の鼓膜が麻痺するような大音響で、こってり油の沁み込んだツマミを食べながら、外が白んでくるまで下手な歌を聴くことだろう。


 よく考えてみると、この状態でホステスをものに出来ると勘違いする客も見込み違いなのだが・・・・。上手く客を捌けないホステスも会話の技量を問われている気がする。



2002.11.03

11月3日(日)山田洋次監督の「たそがれ静兵衛」を見てきた。日本映画しかも時代劇は何年ぶりだろう。

 物語は江戸の後期、現在の山形県で一つの人生を終えた実直な下級武士の愛とライフスタイルがテーマである。

 今の自由な時代では考えられないほどの封建的な制約の中で生きた一人の武士(真田博之)。彼を支える生真面目な女を役者として大きく成長した宮沢りえが演じる。山田監督が「寅さん以来作り上げてきた」日本人特有の美しい心の動きを静兵衛に託し、それが東北地方の風景美の中で包みこまれる。物語は子供3人を残して妻に先にいかれた、シャイな武士の貧しい生活(家族愛)と武士道(人情)がベースである。それに、男と女の恋愛感が絡み、更に価値観が大きく変わろうとしている江戸時代後期のドタバタ社会の中でこの武士がヒーローになっていく過程を描く。会話のあちこちに散りばめられた当時の男と女の心の持ち方が、見るもの全員に”純朴“と“純愛”の清さを久し振りに教えてくれた。この映画は、必見のお勧めである。


 映画といえば、今年の前半は韓国の映画会社との接触やら、アメリカものの投資の話を随分たくさん検討した。ソウルに足を運んで、空撮用の特殊カメラの売込みやら、バブル・マネーで設立して立ち行かなくなった制作プロダクションの建て直しやら、様々なマター(事実)を確認するために何度も訪韓した。キム・ユンジンさんとも語り合った。あれは、一過性の・・・ワールドカップ熱に犯された単なる思い付きの興味だったのだろうか?それとも、この数ヶ月間の間にさらに悪化した日本経済に映画のスポンサーとしての“期待”すら失われてしまったのだろうか?最近、めっきりこの手の投資話を聞かなくなってしまった。


 藩のために、子供3人を残して決闘に出かける「静兵衛」に切ない感動を憶えた自分の姿を思い出すと、最近どうも「いやいやでも決断しなければならないある種の義務」を経験することが少なくなった。逃げ場のない究極の判断、そんな追い詰められた瞬間を“リスク回避”という言葉で消化していくのが、果たしてこの年齢の男にとって、本当に幸せなのだろうか・・・・・・・何処か侘しい、寂しい気がする。


 時代劇は背景や人間の姿かたちを変えることで、異なったアングルから使い古された“本物を提案”できる魅力がある。昔からある当たり前のことが僕に“新しい反省”を促してくれる。時代劇ブームが、来年は爆発するするだろう。


2002.10.29

10月29日(火)夕闇の中、茨城・筑波の畑の中で童心に返って神蔵君(イマジニア)とゴルフ。紅葉と冷たい風で二人とも頬っぺたまでモミジ色。

 この不況の中、朝から、夜まで1日中ゴルフ場にいると何か遊んでいるように思われる。(僕は本当に足腰強化と肺活量アップ、健康維持のために必死なのだが)生真面目な人には不謹慎と言われるし、会議好きの人には非常識と思われるし、事実ロスタイム、携帯電話がブルブル震えると気分も何か後ろめたく、よってツキが落ちそう、スコアーも・・・・・ということで最近は午後からの“薄暮プレー”によく出かける。


 バブル時代の昔から、次のようなパターンの1日には疑問を持っていた。まずは2日酔いの朝6時の起床、うとうとしながら高速道路を飛ばしてコースに7時半到着、ばたばたと朝食を済ませ、パットの練習もせずに8時半から前半のハーフのプレー開始、名門コースの土日だとプレーヤー混雑のため1ラウンド5時間は掛る。しかもスポーツの最中とは思えないような“重たい”昼食時間の1時間を加え、3時過ぎにプレーを終える。慌ただしく風呂を浴び、滅多に時間をさけない偉い客(VIP)に気を使って軽い夕食を取ると、コースを出るころにはもうあっという間に夕闇の中。午後5時を過ぎると東京へ向かう高速道路は倉庫帰りのトラックで大渋滞、結局家に帰ると7時過ぎ・・・・・。あっという間にまるまる12時間を消費する。こんな無駄な時間の消費は不愉快だった。


 それに思い出すと、この非効率な1日ゴルフで“泣きっ面にトラブル”の記憶は数限りない。まずは、車の故障がらみのトラブルが意外と多い。ナビが壊れ山梨の田園地帯の畦道で途方もなく方向を見失い心細い思いで闇に浮かび上がる富士山をボーット見ていたことや、夏の暑い盛りの東名高速でのオーバーヒートで汗だくになりJAFを2時間も待ったことや、台風来襲の午後に無理して出かけ、強風でワイパーが壊れて走れなくなってしまったこともあった。この時は、電気系統も同時に故障したのでオープン・カーの屋根が閉まらなくなり車が水浸しになってしまった。


 さて、今日は太平洋ゴルフクラブの支配人だった古木氏の転職先の「阿見ゴルフクラブ」ですっかりお世話になった。神蔵君の練習も兼ねていたので、同じ所から2打も3打も納得行くまでグリーンを狙った。気が付くと、夕闇に包まれたコースには僕たち2人しか存在しなくなっていた。


 昔、砂場で落とし穴を作っているうちに友達みんなが帰ってしまい慌てて家路を急いだ頃、何処か満足な気持ちになったのを思い出した。

 人より余計に遊んだ充実感。時間を忘れ、ルールを忘れ、あらゆる制約を意識せず、思う存分遊ぶ。


 そんな夜に空を見上げると、決まって月がやけに明るく見えた。いつもより月が輝いて見えた。今夜は不思議とそんな気分になった。子供のころは、夜という時間帯は存在しなかったように記憶している。月のすぐ裏側に、明日の太陽が隠れていたような気がする。



2002.10.19

10月19日(土)雨が降り始めた。このところ週末はいつも雨降りだ。いつもの様に品川プリンスシネマで映画「ロード トゥ パーディッション」を見てきた。

昼の間に映画を見るのはどうも時間がもったいない。太陽が空にあるうちに何も2時間も暗闇の中に行くことはない。そんな訳で、週末の土曜日は必ずオールナイトに出掛ける。良い席も空いているし、終了後に夜の東京をぶらぶら歩くと映画館の臨場感とストーリーを少しの間引きずっていられる。うまくすると詩が浮かんで来る事さえある。


 一方で、お台場や品川に登場したシネコンの椅子はゆったりしすぎて毎回睡魔との闘いも強いられる。よって駄作を見に行ってしまうと殆ど最初の20分で寝てしまう。先日行った「サイン」(メル・ギブソン主演)というB級映画は10分で熟睡してしまった。突然目が覚めて気が付くと、安っぽい宇宙人がスクリーンの中で頭を抑えていた。どうも、地球人のバットで殴られたらしい?


 「ROAD TO PARDITION」。この映画は早くも間違いなく今年度のベスト・ワン。ポール・ニューマン氏の燻し銀の役作りは勿論のこと、最近駄作の出演ばかりが目立つトム・ハンクス、その息子を演じるタイラー君は2000人のオーディションから選ばれた天才少年だ。3人はいずれも親子の愛とマフィア組織の義理や宿命との間で心揺れることになるのだが、激しい殺し合いが続く緊張感と1930年代アメリカの美しい風景と巧みな照明、やや青みがかった映像美の中で、それぞれの役者が実に微妙な忍耐と迷いと悲しみの表情を残酷なまでに作り出す。これは、深作欣司監督の「網走番外地」でもあり、コッポラの「ゴッド・ファザー」でもあり、殺戮のシーンにおける音楽と映像のバランスは「2001年宇宙の旅」にも匹敵する。


 母と父と弟を失うことになる身寄りのない主人公は、父が以前弾痕に倒れた時、その身を預けたパーディション市への途中の農家を故郷にすることになる。


 此処のあたりの田舎の風景が、古きよき時代のアメリカを象徴している。全編血で血を洗うギャング映画のラストに見るものの疲れを癒し、安心させるような「心の故郷」の絵でこの映画は終わる。


 「故郷」と言えば、北朝鮮から一時帰国した拉致家族の故里での再開シーンが、テレビで流れている。24年ぶりの再会。羽田空港に帰国したときより、ずっと人間的に解放された表情で、両親や昔の友人と抱き合い泣いている。彼らは、東京で記者会見をしたときより、「故郷」に帰郷したときの方がはるかに自然で素直になっている。


 最近のこの国は「両親」、「故郷」や「会社」、「友人」、「国家」、などの個人のアイデンテティを確認する何かが喪失しつつあるように思える。こう考える私自身も、生まれてからずぅっと“根無し草”だ。戸籍があろうが、パスポートが発行されようが、名刺があろうが、メールアドレスがあろうが、精神的に戻れる「故郷」が見つからない。


 帰国した人々が見せた“あの涙”が羨ましかったのは、私だけだったのだろうか?





2002.10.17

10月17日(木)秋の深まる芝公園のあたりに、めずらしく海の匂いがしている。東風に乗って時折銀杏のはじける音が聞こえてくる。朝の散歩の途中、自転車につけた買い物籠一杯に銀杏の実を拾った中年の紳士を見ていた。

 不況が徐々に庶民の生活を打撃し始めている。99円から始まった在庫処分の店はついに一律66円ショップの誕生を促し、一方人事院の給料が昨年比マイナス、これは戦後始めて「公務員の給料が下がった」というわけだ。マクロ経済というより悪路経済。株価はついに8100円台。


 メディアでは評論家が様々な不況の打開策を好き勝手に論じているが、大衆に影響力の或る鋭い意見は少ないし、個人業の限界を感じる人が殆どだ。彼らは、政治的にではなく、もっと固まり、多様化し、メディアを一貫的に駆使して、その声を高く解かり易くし、社会を先導してほしいものだ。ひょっとすると評論家自身が何処かに諦めを感じているのではなかろうか。或は学生時代に体験した組織的な運動で社会的なムーブメントを作り出すことに嫌気をさしているのだろうか?どうも小銭稼ぎの学者ばかりに思えてならない。
 

 勝手な想像だが、今朝、銀杏を集めていた紳士も、つい最近まで勤務してきた会社を解雇されたのではなかろうか?冬の気配の中で、規律美しく櫛をいれ整髪された白髪が風が吹くたびに少し解れた。


 スケジュールが密集し、しかも朝まで橘君と深酒したせいで体がだるい。MKタクシーを借り切って、青山のキョードー東京でポール・マッカートニーのチケットを購入、ホテル・ニュー大谷で久しぶりに松島君と30分お茶をした。その後、芝公園のサンクスで高田常務に面談。帝国ホテルに向かった。タワー新館を借りているY氏は、窓際に立って西銀座と皇居が対照的に開けた夕闇の東京を見ていた。この後のパーティ用に着用した上着をクロークにしまい、

「東君、帝国の部屋の方が東プリよりいいだろう」満足気にそう言うと冷蔵庫の野菜ジュースを一気に飲み干した。

「駐車場の便利さはぜんぜん東プリのほうが上ですよ」僕は、贔屓にしているせいか剥きになって反論した。 


 Y氏とともに「七面草」で簡単な食事をしながら、窓の向こうの銀座8丁目を眺めている。クラブの女性の香水と、仕事帰りのサラリーマンの汗が妙なコントラストを作り、交差点では運転手付きのベンツやジャガーと会社へ向かう商用車が混乱の渋滞をつくり、僕は、スッポンのお粥を掬っている。富めるものと富まないもの。消費せざる得ない人と、浪費する人。この交差点はそんな落差の激しい時代の様子を垣間見る縮図でもある。


 安藤君と作っている新曲のタイトルが決まった。「質問」(クエッション)という漢字二文字。出会いを繰り返す男と女に、不意に訪れる「疑問」。恋なのか愛なのか、リスクなのかゲームなのか、こんな現状の迷いを徒然に書き下ろしてみた。


 昔読んだマルクスの中に、下部構造(経済)は上部構造(政治、芸術、文化、等)を規定するという説があった。恋愛は社会の上部構造に位置する典型的なイベントである。とするとこんな不況の時代は、男と女の関係もどんどん神経質なものを要求するようになってくるのではなかろうか。



2002.10.07

10月7日(月)リクルート時代の友人と久しぶりに銀座を歩いた。いつも手ぶらの新倉社長(日本計量器)のご招待で「七面草」に集合。

 坂本健さん(ぴあの常務)、藤原和博君(教育評論)、柏木君(リクルート常務)、らとゆっくり食事をした。胴元の新倉さんは、僕の憧れの人でもある。学習院時代からゴルフの腕前もシングルなら、銀座の酒も豪快、女性論、人生論も実践的で、こうなると当たり前ながら超弩級の人脈も豊富だ。少しべらんめぇ調の語り口は、何故か安心感があり、説得力もあり、軽快なテンポの話法の中に“少しだけ秘密”のスパイスがあるだけに息を抜けない。何時間聞いていても飽きない人物なのだ。最近の悩みは、入れ歯の接着の度合いだそうで愉快なエピソードを交えて話してくれた。


 並木通りを新倉さんと我々が歩く。グレーの良い生地のスーツのポケットに、手を軽く突っ込んで歩くいつものスタイルだ。気軽で身軽で、まるで銀座を流れる風のように歩く。この人の肩の辺りにはいつも自由と仁義の風が吹いている。馴染みのママさんや黒服さんが頭を下げる。リクルート組ものんびり新倉さんの後を付いていく。


 そう言えば、最近何処の町でも手ぶらで歩く男を見かけなくなった。少なくなったのではなく滅多に居ないのだ。ポーチといわれる皮製の小さなバッグを抱えた男、強化ビニール製の肩掛けカバンを持った男、多分パソコンに加え付属の関連キットを持ち歩いてるんだろうな。鰐皮か何かの高級そうなアタッシュ・ケースをわざわざ車から持ち出して秘書に持たせる男。女性が喜びそうなお決まりのブランド製の中途半端なサイズの・・・・。


 こんなにカバンを持ち歩くようになった男を見かけ始めたのは、いつからだろう。やはり90年前後のバブルの辺りからであろうか?手帳、財布、携帯電話、名刺入れ、タバコ、・・・・。これだけであれば無理すればスーツのポケットに入るはずだ。他に読みかけの本、電卓、彼女へのプレゼント?

 友人の男の社会現象評論家のOK氏は、
 
 「男が女っぽくなったんですよ。カバンとか、ポーチとか持ってると安心するから。何かの不安から逃れるためになんとなく持ってるんですよ」
 「最初はバブル紳士のファッションだったんでしょけど、その内主体性のない男たちがそれに憧れて真似をしてる内に定着したんですよ」

 「最近の若い男の人は化粧道具も持ち歩いてるらしいから・・・・。」

 「自信喪失の象徴よ。カードだけじゃ不安なのよ。」


 新倉さんは若いころアメリカで過ごした。なんでも随分な貧乏暮らしだったらしい。そういえば、アメリカ人も胸を張って手ぶらで歩く人が、多いような気がする。日本という国家も、“成金というブランド”の大きなバッグを持って以来、すっかり自信を無くしてしまったようだ



2002.10.02

10月2日(水)香港のリッツ・カールトンの窓から建国祭の花火が上がっている。視界をぼやかす霧雨の中で、不透明なアジアの未来を象徴する様に、今にも風に流されそうな花火が揺れている。

 日本のあらゆるイベントがあまりにも巨大化し、よってコストが掛かりすぎ、チケットが高価格化している。しかもそれぞれの企画はマンネリ化し、お客様の会場に運ぶ足が急速に鈍くなってきている。あのワールドカップの疲れが市場を冷やしているのか、単純に不況が財布を直撃したのか、見せるものの魅力が無いのか、それとも自宅でのメディアが多様化したのか、いずれにしても原因が複雑に絡み合って、当分の間“マーケットの集客の糸は絡んだままで解けそうに無い”。


 デフレ時代でも確実な利益を得るイベントを探しているうちにやはり僕の穂先はアジアの都市に向かった。香港は人口600万人。決してメガ市場ではないが、日本のキャラクター・ブームが起こり、少なくとも日本産という目新しさで集客できるという自身がある。しかもデパートの屋上でよく目にする家族みんなで楽しめるような低単価のイベントを長期間にわたり提供すれば必ずヒットするという確信がある。


 今回は11月の初旬から、S社のKキャラクターで、家族を対象にしたイベントをA社と組んで実施する予定である。これが成功するとアジア各国の都市で巡業させ年間ある程度の売り上げが見込める。考えてみれば、今年の初めからソウルを初めワールドカップで養ってきた“都市の感触”が漸く実を結ぶことにもなる。


 翌日早起きをして、香港島の裏手に当たる山の手の高級マンションが乱立するエリアに登る全長2キロほどのエスカレーターに乗ってみた。すぐに汗ばんでしまったシャツと、鳥を蒸すにおいと、時たま風に乗って運ばれてくるマンゴー・ジュースの香りが久しぶりの香港気分を高めてくれる。


 今にも壊れそうな古いビルと古着の洗濯物が干してある木造アパートの間を縫って作られた金持ちエリア行きのエスカレーター、その横には隣接して幅の不規則な石の階段が続き、好き勝手に自己主張をする看板が眼下に群れる商店街の迷路を一層複雑にしている。


「これだけの店がよくみんな食べていけるなぁ」この町に来るといつも感心する。

 華僑に学ばなければならないのは、人々の図太さと、経済の弾力性、奥行きの深さ、さらになにより無駄なプライドを持たないことでの中国商人のエネルギーの濃さであろう。


 以前この町で作った「香港フォギーナイト(香港霧物語)」の中に登場するミステリーな恋愛感覚とは程遠く、アジアに広がる不気味な不況の足音が僕のヒストリーな経済感覚を刺激している。




2002.09.26

9月26日(木)銀座という街は、男にとって本能を触発される仕掛けがいっぱいの舞台に似ている。

 大道具としての無数の煌びやかなネオンに興奮させられ、わが身を忘れ、1分で10メートルも動かない渋滞に気持ちは焦り、花や蝶の女性軍の香水と白いうなじや少し解れた人生論に同情し、それに何と言っても“銀座という歴史”が内ポケットの札束の金銭感覚を無防備にする。


 小道具といったら切りがない。男の競争意欲を煽るようにレイアウトされたクラブのソファー、無制限に高くセットされたワインの定価・・・・まさかメニューの下の方の一番安いのは頼みづらくなっている、ママや従業員たちのシナリオの様に精緻に作りこまれた誉め言葉、御伊達。さらに、8時から12時の4時間という短い営業時間。黒服と言われる男性スタッフの視線と噂。


 この街で、平静心を保ちながら、気持ちよく酒や女性と戯れるのには最低でも3年は掛る。


 以前、自宅のリビングルームで飲む様にリラックスするためには、「暖簾をくぐる段階から無意識でなければならない。」という訓示を読んだ事がある。確かドイツ文学の翻訳者で、横綱審議委員会の委員長もお勤めになられた高橋義孝先生ではなかったろうか?


 今晩は8丁目の日航ホテルの隣の「七面草」で食事をして、問い面にある行きつけのSに出かけた。去年オープンしたばかりで、老舗の「グレ」や、「麻衣子」、などといったオーナー・ママが30年近いノウハウと、人脈(固定客)、に培われた落ち着いた雰囲気はなく、スタッフも女性もただばたばたと客を回転させるのが精一杯の様子。まるで六本木のキャバクラで飲んでいるような慌ただしさだ。


 僕自身あまり銀座で不愉快な気分になったことも無いのだが、店中の客のストレスがカウンターのあたりまで充満してきて、おまけに入れ替わり立ち代り横に座る女性からの根掘り葉掘りの質問に答えるのが億劫になって席を立った。


昔は、サービス業の勉強に若い新人を連れ歩いたり、或るいわ人生の先輩として男論をママに教わったりしたものだが・・・・・・・。なんだか寂しいくらい薄っぺらな店が増えてきた。


今や銀座は舞台というより浪費家のコロッセウム(格闘場)と言い直したほうがいいかもしれない。




2002.09.24

9月24日(火)連休明け。心地よい綿雲が、ふらりふらりと秋の空を泳いでいる。日差しがやさしいせいか、街を行く人の気持ちも何処か丸く感じられる。

 車のクラクションがいつもより少ないのはきっと秋風が清清しいからだ。日比谷通りの百日紅が無邪気に花を咲かせている、まるで通学途中の女子高生がお喋りをしているように。


 昼の12時過ぎに窓辺で、深呼吸をしていると、過ぎた筈の夏の装いをした30過ぎの女性が目に留まった。青い幅広のつばの帽子を深く被って、まだ水の張ってある青いプールの横の通路を足早に玄関に向かっている。50メートルは離れているのに、首のあたりに日焼けした水着の線が細くはっきり見える。秋なのに不思議と夏の太陽を浴びているこの女性を、ボォーと見つめている。


 見えるはずのないものが見える。聞こえないはずの声が聞こえる。これは、思い込みだろうか、それともいよいよ白昼夢でも見ているのだろうか?


 数字がらみの仕事と空想的な作詞作業が、右脳の中で混じり始め軽い分裂を起こし始めているのだろうか?それとも処理しなければならないことが多すぎるのか?今週も視点の定まらない週になりそうだ。
 

 車で御茶ノ水に向かう。ハナツクバネの赤褐色の花びらが皇居沿いの外堀通りを行列のように咲き乱れている。春から秋にかけて花つきも良く、白く長く無限無数に咲いているせいか、誰も此花に目をとめる人は居ない。いつの日もそよぐ風に名前がないように、ハナツクバネも日常的になりすぎて自己主張が下手な植物なのだ。
 人間と同じで、あまりたくさんの才能を持ち合わせたり、財に恵まれすぎたりすると返って結実するのが難しいことになる。此花は、別名ハナゾノツクバネ(花園)ともいわれ、ほとんどの人が別名の通り、たくさんの白い花を目にしているが、悲しいことに、誰にも名は知られていないようだ。
この切ない、忍耐強い”秘密の花園”の季節が終わりに近ずくと、待っていたように冷たい冬が東京に訪れる。

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