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2008.04.02
第18号 安藤勇寿先生とADKの大芝さんとを、編集してみたいと思った
安藤勇寿先生とADKの大芝さんとを、編集してみたいと思った。安藤先生には、今年の1周年にあたる「美楽」7月号から、表紙の絵をお借りすることとなっている。
お陰様で、雑誌のスポンサーも少しづつ集まってきているし、「美楽」を手にした読者の方々からもお褒めの言葉を頂きはじめた。
大芝さん(ADK)は、博学の営業責任者であるが、特にこの人の相撲に関する知識は、百科事典のようである。
一方、安藤先生は美術館のある栃木県の山間で、春夏秋冬を素材にした少年の絵で今の日本を癒してくれる。
「もし、国技館に安藤先生をお連れしたら、どんな絵になるのかな」
僕は、こう考えていた。
2008.03.25
第17号 藤原和博さんと神蔵孝之さん
藤原和博さん、神蔵孝之さんと久しぶりに食事をした。思えば、ベルリンの壁が崩壊したのを確認する旅行やら、カイロのピラミッドで日本の凧とらくだを交換する企画やら、スペインとポルトガルの国境近くの町で牛の祭りに参加する企画やらで、3人はいつも一緒だった。
今日も、藤原さんの「ご苦労さん会」で何気なく、ふらりと晩御飯を食べる話になった。20代からもう30年もの付き合いになるが、3人の性格は全く違うし、趣味も異なるし、ライフスタイルも今や全く違う色合いとなっている。もし、共通点があるとするならば、人生を歩くテンポなのかもしれないと思うことがある。
藤原さんは、今や日本の教育界の代表的な変革者であり、リーダーでもあるし、神蔵君は、事業の成功者として次の人生を模索しているし、僕は、まるでもうじき満開になる桜のように、年数回の”人を集める仕事”を楽しんでいる。
この夜も、ほんの数分の話でこの秋に北朝鮮に行くことが決まった。
「人生最後の一秒まで、楽しみたいと思うことを青春という」
2008.03.21
第16号 日本ヒューレット・パッカード株式会社の小出 伸一代表と築地で会議
日本ヒューレット・パッカード鰍フ小出代表に、築地の聖路加病院の前にある寿司屋でいろいろお話をして頂いた。
カウンターは、まさに元IBMのOBたちがずらりと並んで、リクルートの同輩の富村さん、今回のセッティングをしてくれた齋藤さん・・・・それぞれに寿司をつまみながら会議らしき会話を交わしている風景。
小出代表との話は、日本にある外資系企業のマネージメント論から、人材育成、そして宣伝広報まで多岐にわたった。
「鷲は舞い降りた」という映画があったが、7,000人もの従業員が奮闘する日本ヒューレット・パッカードの代表取締役社長として一人で舞い降りて数週間。まさに男の勝負を感じさせる”熱い静脈”が沸々と湧き出ている。
物腰が柔らかくて、しかしながら忍耐力すら感じる押しの強さをもつ小出社長は、まるで上質の栄養ドリンクのように人々の心の中に入っていく能力の持ち主。
「デジタル・ネットワークの将来は、感触の領域まで手が届くようになるでしょう」
つまり・・・・・、人間が心を動かした瞬間に必要なデータが自動的に現れる。・・・・・・そんな夢をまるで明日実現するかのように、楽しそうに語る。
一昨年の12月に、小出代表が日本テレコムにいらしたときに、サックス奏者、ケニー・Gのコンサートをプロデュースした。このコンサートは、常日頃お世話になっているお客様を招待したコンサート企画であったが、東京国際フォーラムの控え室で、初めて小出社長と名刺を交換した夜のことを思い出していた。
「悩ある鷹はゆっくりと空を舞い、すばやくピンポイントでターゲットに舞い降りる。」
あの夜も、眼鏡の向こうに、奥深く佇む”そんな小出さんの殺気”を僕は感じていた。
万感応援!!!
2008.03.14
第15号 「美楽」4月号発売間近!!
「美楽」4月号発売が、あと5日で市場に出される。今回は、JCBカードの手塚治虫先生のキャンペーン広告や、新しいスポンサーの花の広告(潟<泣Vーフラワー 大間社長)、天然炭酸水の広告(潟nーベスト 前田社長)など、「美楽」にぴったり合った広告がお目見えする。
さらに、常日頃お世話になっている越智先生推薦の健康マット、バイオラバー(山本化学工業梶jや、越智先生をサポートしている潟<fィカルガイド(大畑社長)の広告など、「日本の”ココロ”と”カラダ”を考える」雑誌コンセプトにぴったりとしたページ構成となった。
因みに、春がそこまで来ている。
そんな季節に合わせて、表紙は、緑のアスパラガスにした。
2008.03.14
第14号 沖縄の照屋林賢さんと月刊『美楽』の写真ページの打ち合わせ
林賢さんの株式会社アジマァの役員をやっていることもあって、1993年から15年近くここ「北谷」を訪れている。
当時まだ、中学生だった女性二人組みの「ティンクティンク」もすっかり女性らしく成長し、アジマァのスタジオもレストランもライブハウスも荒内のコンクリートの壁こそ、変わらないものの中身は随分変貌した。
全く変わらないのは、照屋林賢さんと私の会話である。
僕たちは、会うたびごとに音楽の話をし、事業の話をし、日本の話をし、世界を話題にする。
今回驚いたのは、林賢さんがなんとスタジオ用の100万円のカメラを購入したこと。昔から新しいパソコンや、新しい携帯電話、新しい楽器、要するに新しい機械に対して恐れをもたないのだ。
この新しいカメラで撮った写真が、また美しく月刊「美楽」のセンターページを飾るだろう。
2008.02.29
第13号 小澤隆生氏の聖誕祭が築地本願寺で行われた
小澤隆生氏の生誕祭が築地本願寺で開催された。
世間ではとかく、人脈やネットワークが大切だと言われているが、そのために研修や勉強会、引いてはパーティやらゴルフで、名刺の数だけ集めて、やたらと意味の無い、メルマガを発信し、”ネットワーカー”を気取っている人が多い。
一体全体、人脈とは何なのであろう、と考えてみると、答えは一つ。
「遠慮しないで何でも話せる仲間」
つまり、感覚的に気があったり、たまたま同じ会社や大学、プロジェクトで席を同じくしたとしても、それは人脈とはいいがたい。
私は、各世代にほんの数名の”裸の相談”ができる友人がいれば、それでもう十分だと思っている。
そんな中で、30代ラインの(私自身が勝手に考えているのであるが)小澤君は「楽天」時代からの大切な人脈の一人である。
今宵は、彼の生誕際。
イベント好きの彼の仲間が新年会や、勉強会、事あるごとに、あらゆるシーンが記憶に残るように、楽しい出来事を演出してくれるのであるが、まさか「築地本願寺」で”HAPPY BIRTH DAY”を行うのは、ちょっと羨ましいくらい斬新だ。
昨年の選挙で、この寺の松原貫主に、ある人を紹介したのだが、その貫主の落ち着いた声が院内に染みとおる様に響きわたり、真面目に小澤君の人生を考えてしまった。
今はすっかりインフラとなったインターネットのコンテンツ提供者として、今後とも小澤君は、人間の”生や死”に纏わるコンテンツを社会のために提供してくれることだろうと期待している。
この写真のように、パワーもあるし。
2008.02.27
第12号 日帰りで大阪。会議時間40分。
日帰りで出張や旅に出ることは度々あるが、今回は、現地での滞在時間が、最短かもしれない。
2年程前、今のハンカチ王子が郷土の鹿児島の高校と甲子園大会の準決勝でぶつかるということで、12時の飛行機で大阪に入り、5回から8回まで試合を観戦し、飛行機で舞い戻ったことがあった。
その昔には、友人の藤原和博君とハレー彗星を観察しに、最終便で沖縄に飛んで、翌日の始発で東京の9時の会議に間に合わせたこともある。
その少し前には、フランスのボルドーの世界ワイン博覧会の審査のために、一泊三日パリというのがあった。
要するに、現地でのんびりすることが出来ない性格なのではなく、ごみごみとした東京の静かな小さな空間の中で、人並みや町並みを眺めながら、ぼっーとしているのが、どんな旅より、ストレスの解消になるなのだ。
今日の大阪は、12時の飛行機で飛んで、15時の会議に間に合わせ、16時の新幹線で帰ってきた。
大阪のある老舗の子供服のメーカーの社長との面談時間は、僅か35分。
尊敬する大阪の経営アナリストH氏の笑顔を見に行ったようなものだ。
新幹線の切符を買って、電車がホームに入るまでの僅かな時間。いつものように富士山を”つまみ”で食べるための、晩御飯にお寿司を購入。
数あるお寿司系の弁当の中で、この「姫にぎり」は東京に近づいて、ほっとして摘むと・・・・・・一番おいしい。
2008.02.12
第11号 ぴあ株式会社の坂本氏、酒井氏と株式会社NSP戸田氏とお茶
私がリクルート時代にお世話になった、というよりは助けてもらった人々が何十人にものぼるのだが、直接の上司で、この”傲慢で奔放な個性”を放し飼いにしてくれたのは、坂本健さんである。
今日は、健さんが東京プリンスを尋ねてくれて、昔の”温かい風”が吹く中で世間話や四方山話。
思えば20年ほど前、健さんは突然、スポーツ刈り風の短髪になった。それ以来、少し白髪が増えた気がするが、ずっと短髪を通している。
そういえば20年ほど前、健さんは突然、黒いスニーカー風の革靴に履き替えた。今日もそんな風な靴だった。
健さんは、多分スーツより、ラフな格好が好きなはずだ。今日も気楽な格好で足を組んでお茶を飲んでいた。
リクルートという会社のOBがあちらこちらでもてはやされているが、自分で事業を起した男、リクルートの周辺で小さな会社を営む人、クライアント先に転職する人、現在のポストや事業規模の大小は様々であるが、いずれにしても根本的に「勘が鋭くて、元気な人」ばかりである。
従業員に勘、そして仕事をする上での成功イメージを持つことの大切さを教えこんだ功労者の一人が、坂本健さんなのである。
ちなみに、NSPの戸田君は同じように20年前の僕の部下だったが、健さんはどうも忘れてしまっていたらしい。
僕も、健さんも未だにプラス思考健在である。
2008.02.06
第10号 長野県上田市の蕎麦屋「草笛」
昨年からVSNの加藤役員に誘われていたのだが、年を越して長野県上田市の県立長野病院を取材で訪れた。上田市は、反骨と人情の真田幸村の町でもあり、四方を山に囲まれ、浅間山の西北に位置する盆地に、ぽっかり静かに佇む城下町でもある。
マイカーが普及した影響で残念ながら郊外のショッピングセンターやレストランに出掛ける人が増えて、由緒正しい歴史の町の商店街は所謂シャッター通りと言われる閉店休業が何店か目立つ。
県会議員の島田基正先生に案内されて、長野病院の取材を終えた後、信州国際音楽村に向かう途中、県内は無論、全国的にも有名な蕎麦屋「草笛」にお邪魔した。
私はいつも初めての蕎麦屋に顔を出すと、ざるそばを注文することにしている。「草笛」の蕎麦は、蕎麦粉7対3のねっとり歯ごたえがあり、量も多い。
「温暖化の影響で、蜜蜂が北上していることもあって、蕎麦畑も新しく増園しているんですよ」
と、島田先生が大盛りの天麩羅蕎麦を食べながら教えてくれた。
短髪でエネルギッシュで、がっしりとした体型の島田基正先生は、太い指で箸を動かしながら、上田の歴史を講演?してくれた。
本当に知識の宝庫で蕎麦からITまで解りやすく語れる人物で、県会議員にしておくにはもったいないほど・・・・信州大学で教鞭をとったらいいのに!
加藤さんと島田さんの開け放した話を聞いていると、”故郷を持っている人は、何処か安心なんだなぁ”・・・・・・・
故郷とは、そこにある山や川やじゃり道や昔からあった病院や商店や学校だけでなく、すべてを知り合った仲の友人との会話を言うのではなかろうか。
2008.02.01
第9回 東京慈恵会医科大学会附属病院 頴川晋先生
頴川晋先生を月刊『美楽』4月号の取材で尋ねた。慈恵医大病院の本館4階にあるフロアは、国会図書館を思わせる木質の重厚な歴史を感じさせるアカデミックな空気。教授室の重たい扉をノックすると、一日中、辞書を開いても飽きないような雑念を感じさせない部屋だった。
頴川先生には、主に泌尿器と泌尿器に関する機能や病気のお話を伺った。驚いたことに、一般的に泌尿器と言うと主に尿に関係した臓器と思われがちだが、男性は睾丸から女性の尿管まで含まれ、特に男性の生殖器は様々なトラブルを起こしがちだとの話。
この取材の段取りをしてくれた慈恵医大、広報室の高橋さんはリクルートの後輩でもあり、月刊『美楽』の大変な後継者でもある。
一週間前に頴川先生と高橋さんと下打ち合わせを兼ねて、小金井CCでゴルフを楽しんだのであるが、特に頴川先生のショットは、取材のときの知的で静謐な雰囲気とは異なり、全身の筋肉を使ったパワフルなドライバー・ショットを打つ。
「先生の人生の”美学”はなんですか」
と聞くと、
「・・・・うぅううん、難しいですね。。。”孤高”ですかね。」
と静かに笑った。
確かに日本人は、いつも相対的にしか物を見られなくなってる。外国との比較、他の会社との比較、他の街との比較、同級生との比較、隣人との比較・・・・・・それだからこそ、もっとも比較しやすいお金や物ばかりが人生の基軸のように思えている人ばかりになってしまった。
頴川先生には、月刊「美楽」の執筆者としても加わって欲しい、と思った。自信のある人は、いつも孤独で楽しい時間が流れている。
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