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2010.07.27
第35号 伊丹十三記念館と美楽四国版
伊丹十三記念館には、以前から、お邪魔したいと思っていた。昨年さだまさしサンの「眉山」を宮本信子さんが好演されたこともあって、宮本さんに美楽の筆者にも、なっていただけたら、最高である。
2ヶ月目前の5月号から、ハーピー・ダイニングの宇都宮社長の経営方針に共鳴し、美楽は、四国にも、”顔を広げる”事になった。グループのタクシー会社や、レストランなどで、美楽は配布されている。
今日は、一日かけて、愛媛から鹿児島、そして東京。考えてみれば日本列島の三つの島を、日帰りするのは初めてのことだ。
松山は、以前友人の葬式があり(それもゴルフ場で)来て以来の訪問、2度目。瀬戸内海に面していて、ご存知みかんの街。そして伊丹先生が高校まで住んでいた故郷。
記念館は、先生の幅広いクリエイティブを思わせるノートから、映画作りの様々な道具、シナリオ、メモ、年表など、さらには「マルサの女」シリーズの脚本から小道具、など一式が並んでいる。
要するに”直感が鋭敏、それを精緻に組み立て、徹底的に作り上げる”。
常識を超えたところは、この”とことんやる”精神と努力にある。
伊丹先生が生存されていたら、80歳に近い素敵な老人であろう。
「先生は、今日の日本の何をテーマに映画を、創るかな」
午後の飛行機で、鹿児島に向うのだが、27人乗りのプロペラ機・・・・何年ぶりだろう。ロスからラスベガスに向う遊覧飛行機以来かな。
通常の高度より、低い空を飛ぶので瀬戸内海の島がそれぞれにくっきり見え、機影が海に浮かんでいる。日本列島を、覆う温暖化で動きの読めない”まばら雲。確かに天気予報が苦労しているのが良く解かる。幾層にも断層になった高層雲が、運河のように入り組んで、縦横無尽に九州の先の、東シナ海まで繋がっている。
鹿児島まで1時間・・・・・この雲の何処かで、帽子を目深に被った伊丹先生は、椅子に座り、渋い顔をしてメガフォンを握っている。
2010.07.23
第34号 女性自身弁当「お節2011」会議
週刊女性自身の歴史と信頼と編集長の田辺さんの市場洞察力に、オージーフーズさんの販売力、仕入れ力、信用を掛け合わせると、大袈裟に言うと日本の「食」が少しは革新する。こんな感じのネーミング・プレゼンを行った。”おせち(御節)”は元来、季節の変り目に、食されたもので、明治以来、正月の定番食になったが、年4回・・いやいや12回まで存在してもいいのではないか?
何気なく、食をしない。おいしければ良いと言うのも、悪くないが、材料の産地や、色や、作った農家や、歴史まで、知りながら、食するのが、今の日本には必要。
そうそうもしあなたが、”気難しい”思ったら・・・・ハンバーガーの食べすぎか、虫歯が痛くて食べられないか・・・・どちらか?
2010.07.20
第33号 美楽の筆者白石茂樹さんの「帰ってきた蛍」
美楽の筆者白石さんの「帰ってきた蛍」の舞台は、昭和20年5月、鹿児島県の知覧にある料理屋である。”明日の命さえも、国家に預けさせられた”若者が、ほんの何日か数時間か残された”ぎりぎりの人生(生命)”を、懸命に演じる。
日本はこの数十年、極端な時代である。数百万人の命を戦争で失い、国民は貧し、しかしその後十年で目も眩むような豊かさを体験し始める。生まれた年が僅かに前後するだけで、国に対する考え方も、親に対する考え方も、人生も、恋愛も、金銭も全ての、価値観が異なる人種が混在する国。
しかし、戦前、戦後の間には、明確に引かれた「国境のような思想とテーマの違い」がある。それは、愛国主義と、アメリカニズム(欧米)である。
僕は、主にテレビから流出した大量のアメリカニズムの洗礼を浴びながらも、何処か”この強力でシンプルな数と量の思想”に疑問を持ち始める世代。動けないし、走れないし、かと言って、座れない。
「残った人生を、おばさんに、差し上げます」
明日の朝、沖縄での特攻が決まった若者が言う。
「明日の夜、僕は、蛍になって帰ってくるよ」
知覧を飛び立った蛍(英霊たち)は、夏になると毎年美しい故郷に”命の灯り”を灯すのであるが、決して今の日本を、信じることはできない。
*脚本・演出の柿崎祐治さんには、3年前のパウエル元国務長官の来日講演の際に、大変お世話になりました。パウエル氏???これも、何かの縁かな?
2010.07.19
第32号 月刊「美楽」8月号
『ほおずき』
少女は“ほおずき”を、キュウキュっと鳴らすのが得意だった。夕焼け空のような橙色の実の種を器用に取り出し、口の中で薄い皮を絡めると、なんとも軽やかな音色の、音がした。
少女は、「ほおずき」というあだ名で、呼ばれるようになった。
母は、毎年この時期になると、何かを思い出すように一日中、庭の“ほおずき”を、眺めている。
脳裏に刻まれた“音”の思い出は、永遠に色のあせない情景を、作り出すのかもしれない。
2010.07.05
第31号 小山薫堂さんのカレー屋さん
小山薫堂さんのカレー屋さんは、東京タワーの2階。レストラン街の一角に、小粋な店を構えている。隣の中華料理屋さんはブッフェ・スタイルで、タワー見物の後に、腹を空かせた中学生が何百人も押しかけている。
食通の小山さんらしく、味だけでなく、メニューも、スプーンの重さも、BGMも、工夫された何かを感じる。クリエーターは、”普通”を嫌う。普通にやっても、今や現在の小山さんの世界的評価において、”普通”以上のサムシングが要求される。
「おくりびと」で、奥ゆかしく父への愛情と郷愁を描くシーンに、”昔拾った石”を材料にしたセンスの良さは、カレーの味にも活かされている。くどくなく深くルーが円熟し、淡白なようで微妙なチキンが煮込まれている。
小山流の執念と、挑戦と、気概を感じる、カレーである。
さて、単純で解かりやすい、スピードばかりが、食の世界を席巻している。
電子で魚を焼いて、郊外の工場で野菜を煮詰める、人が製作の過程で介在しないレストラン。
僕たちは、何かを、無意識のうちに葬ろうとしている。しかし、決して「食のおくりびと」に、なってはいけない。
2010.07.02
第30号 長友先生の微笑み
長友先生の微笑みは、30年前から変わらない。ホガラカデ、オオラカデ、チカラズヨク、何処かカナシゲデ、しかし、ラクテンテキデ、マエムキデ、タッカンテキデ、ウキヨバナレしている様で、ゲンジツテキデ、まさに創造力のある人は、強いといつも感じる。
「いやぁあああ、喉の調子が、少し良くなってきましたわ」
「ゴルフも、ボチボチですぇええ」
「れいのタバコ、どうでっか?」
僕は、久し振りに、耳を傾けていた。先生の言葉ではなく、先生の微笑を聞いていた。
先生には、拙著の「創造的商人」のイラストを書いていただいたり、最近発売した”禁煙用タバコ”のデザインをお願いしたり、様々にお世話になっている。
昔勤めていた会社の真裏に「茉莉花(まりはな)」という文壇バー(というか経済人も文化人も集まるたまり場)」があった。切れ味の鋭い、毒舌で面倒見の良いオーナーがいて、そこで先生と初めてお目にかかった。
その頃先生は既に、売れっ子デザイナーで、名の売れた化粧品や、有名作家のイラストを手がけ・・・・やがて現在のK2を設立される。
「東さんは、いつもお元気ですな・・・」
「・・・・・(最近そうでもない)・・・(梅雨の時期は)・・・?」
そう言われて、ふと気が付いた。
忙しくて、目の前の日常に追われ、創造力が乏しくなると、気持ちが前に行かなくなる。プラスのイメージとは、楽しい気分を作るための想像力である。楽しい気分でいられるには、”自分の世界”に入り込み、好きなことを考えるのが一番。
そのためには、ムツットしてもいられない。となると誰にも、何にでも、進入されない”微笑の壁”が必要。
長友先生は、今日も創造力の荒野で、微笑んでいる。
2010.06.29
第29号 朝日新聞 星浩編集委員(内外時流研究会)
朝日新聞 星浩編集委員(内外時流研究会)の講演のテーマは、参議院選挙。票によっては、民主と自民の大連合となり、そこで再び小沢さん登場!
この間に、ワールドカップ明けのヨーロッパは、”火の車”。スペインからポルトガル・・・さらにはイギリスから大西洋を渡りアメリカまで、”総崩れ”。経済恐慌のワールドカップかな。
国内経済は、国際経済と分けて隔てて、考える日本人の島国根性は、リスクの根源。選挙の戦況を語っている間に、地球のあちこちで”日本を揺るがす事件”が続出。
「早く終わって、早く体勢を作り、早く税金を上げて、早く借金を返済しましょう」
星さんの声は、テレビのニュースステーションと同様に、癒し系。ワシントン時代に培った冷静な分析力は、説得力抜群。彼を、国会に送り込みたい心境になりました。
2010.06.20
第28号 月刊「美楽」7月号
『すいかのお面』
春夏秋冬、それぞれの季節には、二つ三つの代表的な果物がある。しかし、夏といえば、断然西瓜と決まっている。
果肉の赤が、その存在感を主張しているのか、それとも、その圧倒的な容積の大きさと重量のせいなのか?
入道雲が開花した西瓜畑で、大の字になると、秋の気配さえ感じない。雨の匂いもしない。燦燦とただ午後の日光が体に、染み込んでいく。
生暖かい果肉の中に、“がぶり”と顔を突っ込み、口の中の種を雲に向かってプット飛ばした。
「一つ、二つ、三つ・・・・」
冷蔵庫が登場して以来、西瓜を切って、冷やして食べる人が多い。体は、冷えるだろうが、西瓜の本来の味は、消えうせている気がする。
2010.06.15
第27号 宮澤正明先生とモンゴルの行く末
モンゴル航空のご招待で、ウランバートルを訪ねた。一昔前は中国の事を”近くて遠い国”と言っていたが、今や、中国は”怖くて近い国”。その中国を400年以上支配してきたチンギスハーンの国「元」がモンゴルである。そして”近くて遠い国”と言う言葉がすっきりはまるのは、今日モンゴルであろう。
成田空港から約4時間ちょっとで、この街を訪ねると、自分の肉体がなにかの音に共鳴する。昔からゆっくりと流れているリズム。”先祖の血が流れる音・音”。僕の体の奥に、この街のメロディーが刻まれている。
写真家の宮澤正明先生から、写真集のご提案を頂いた。
「東さん、一緒に”蒙古班”をテーマに、本(写真集)を造りませんか?」
「蒙古班を持つ民族は、南米にも、アラスカにもいるんですよ」
飛行機の丸い窓から、今にも抜け出しそうに、東アジアの丘陵地帯に向けて、何枚ものシャッター切っている。何時間も飛行しているのに、なだらかな緑の丘は続いている。
宮澤先生の右脳は、今、赤い鬣(たてがみ)の馬に乗って、羊を追っている・・・・シャター・チャンスという想像力は、無限に広がっているのだろう。
月刊美楽に横綱白鵬氏が連載している事もあって、僕にとってモンゴルは
馴染みで、お世話になっている国である。
翌朝、早く目が覚めて、ホテル(コーポレイト・ホテル)の周辺を、歩いている。空気の中に塵が少ないのだろう・・・飛行機で見た周辺の緑の丘が
鮮明に見える。昔、色数の少なかったクレヨンで、書いた故郷の山々にも似ている。
日本の盆地は、湿度が高く、過ごしにくいい所が多いが、ウランバートルは、一日の温度の高低差が30度を越えても、清清しい。しかし、昨夕の空港からの車の渋滞は、無差別に、無意識に、無計画に増徴するこの国の未来に、僅かな不安も覚えた。
日本のように、急ぎすぎないで、適当なスピードでアジア歴史を重ねて欲しい。急ぎすぎるのは、”人間の欲望”であり、”その凶器”は、どんどん”人間の幸福”から遠ざかってしまう触媒でもある。
モンゴル航空の粋な計らいで、なんと60名もの楽団(モンゴル国立音楽)が、私の為に集い、コンサートを特別に聞かせてくれた。
この感動を、この秋かこの冬あたりに、この壮大な音楽隊とともに、このモンゴルの風を含ませて、みなさんにお届けしようと思っている。
宮澤先生の数千枚の写真も、ウランバートルの出版社(イルムン社)で製作しその時に、お渡しできると良いのだが。彼と僕の友情と、”日本の人生”とともに。
2010.06.08
第26号 日大ゴルフ部の西田しょうへい先生と東日本シニアツアー
日大ゴルフ部の西田しょうへい先生と東日本シニアツアーでご一緒させて頂いた。”紳士のスポーツ”を絵に描いたようなお人柄で、フエアウェイを歩いていて久し振りに心が、解れた。気分がいいし、気持ちがいい。
「東さんは、よく飛びますね」
”あの”西田先生に、誉められた事で、気が入りすぎて、力がこぼれて、やがて弾けて、早速次のホールでOBを打った。
それも、止せばいいのにロングホールで2オンを狙い、すぐそこの木の枝に玉があたり、左にポトリと落ちて、カート道をころころ転がって、白い杭の外へ・・。
さらに、悪いことに、先に2打目を打たれた西田先生の足元を、玉が転がっていったのだ。
「東ちゃん、あれは、無茶だよ。アイアンで刻まなきゃ」シニアプロの徳永君は、既に2オンを済ませて、余裕の指導。
人間は肩に力が入ると、いいことは無いな・・・・・。
「プロとは、”心の自然体を”、コントロールできる人」
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