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2011.03.16
第5号 セ・パリーグ開幕戦延期なのだが・・・・
セ・パリーグの開幕戦延期される。電力の問題もあるし、いくら震災にあった人を励ますと言っても・・選手協会がこの経営優先主義の無理な論理を否定している。
いい判断だと思う。考えてみれば、野球を夜開催しナイターで試合するというのも不健康で不自然な話な話。甲子園のように青空の下で、汗をながし、人工芝ではない天然芝で、泥にまみれ白球を追うのが、当たり前なのだ。
野球が、日本に輸入されて?伝道されて?100年以上になる。神田にある学士会館の前に、その記念碑がある。明治4年つまりは、維新の直ぐ後に「打球おにごっこ」と言う名前で、全国的に広がったこのスポーツは、戦後メディアの発展と共に、数々のスター選手を輩出しながら、国民的なスポーツになった。
そして、今、21世紀の訪れとともに、抜本的に見直しを要求されている。
”こんな時だからこそ、一度、船を止めて今後の航路を、確認する”いい機会かもしれない。
学士会館の前の野球碑は、良く見ると、ボールが地球儀になっている。まだ、日本がアジアの”ちいさな島国”で、この国の将来を有望視した米国人教師ウィルソンが、野球を教育メディアとして、位置づけていたのだろうか?
ならば、2011年現在、プロ野球を運営するスタッフは、今の子供たちに、何を伝えようとしているのだろうか?そこに、今後の野球の、発展の鍵があるのだろう。
2011.03.13
第4号 バーバリーの広報は”水漏れ”かな?
三陸海岸を襲った”海の大量虐殺”を、テレビが繰り返し繰り返し繰り返し・・・流している。ドノ映像も、泥水の海に浮かぶ”町の破片”と、獰猛なくせに静に襲い掛かる”長い蛇の集団”が、姿の無い人間を飲み込む瞬間ばかりで、”脳味噌が、重たく揺れる、どんよりとした妙な湿度”に犯されていく。
飲料水と煙草と思考能力が切れたので、銀座の街に、買い物に出かけた。
友人のE氏が、テレビで何度も呼びかけていた。
「このままいくと電力の供給が、出来なくなる可能性があります・・・・」
随分、勝手な言い分では、無かろうか?普段支払っている、電気代の中に、原子力発電所の、点検コストも入っているだろうに。
しかし、わが身を振り返ると、電気に、ほぼ100%すがる現代の人間社会は、30秒でも電流が止まると、水の無い水槽では、生きていけない魚になる。
こんな非常事態に、Bというブランドショップの明りが、自らの非常識という”恥”を自慢するように、煌々とネオンサインを輝かせていた。
このメーカーのコートは、きっと昔のような、”質の高い商品”では、なかろう。
”水も漏らさぬコート”の決め手は、丁寧に折られたコットンから、始まるのだ。
松坂屋はこの日から、営業時間を2時間短縮して、東北に祈りを捧げている。
「さよなら、水浸しの会社”バーバリー”。」
2011.03.08
第9号 わさお弁当は久し振りの弁当プロデュース
わさお弁当を、サークルKサンクスと東映さんとで共同で発売!あの大ヒット「橋本真也シリーズ」から数えて実に63作品目にあたる。中には、小泉総理のシシロー弁当のようなトラブル(2001のビーンラディン・テロで発売中止)もあったが、ほとんどがミリオン・ヒットで、シリーズの合計は2000万食にも、及び、・・・・といっても目標の1億食には、まだまだか・・・。
「わさお君」は、みなさんご存知の様に、青森県出身の犬。その”華麗なる容姿”が話題となり、ブログの波も手伝って、”現代の癒しの教祖”とも呼ばれている。
そして、彼の好物は「チキン」。サークルKの青木さんが、早速10数種類のメニューを手際よく企画し、このような弁当を中心に、東北エリアのCVSの店頭を、話題の渦に巻き込んでいる。
一般に、動物物は・・・ましてや写真を使った食べ物商品は、不気味で売りにくい。しかし、いまや、犬や、猫や、人によっては熱帯魚などは、家族同然・・・・「ならば、人物キャラの感じで、行こうか!!!」
と言うことで、さて、さて、評判は如何に?
2011.02.18
第8号 Gacktの眠狂四朗I
Gacktの眠狂四朗をプロデューサーのSから招待された。
日本中のイベントが集客不振。プロ野球から、サッカー、相撲は無論のこと、歌舞伎・・・ごく僅かの若者お祭り騒ぎ系のコンテンツと、普段お目にかかれないビックスター物意外は、全てのイベントが、空席だらけである。
根本的には、テレビの画面の大型化で”生以上の迫力”が体感できるようになったことと、大勢の人間の集まる場所にそろそろ嫌気が差してきたのではなかろうか?
一方せいぜい1000人までの会場で演劇を楽しむなどは、昨今流行りだしていて、早乙女太一君の舞台などは大盛況、後楽園ホールのボクシングも選手によってはチケットが、プレミアムになっている。
東京国際フォーラムのGackt氏の舞台は、生ものの面白さが存分に発揮されていた。何より、シナリオが自由で、アドリブがその場その場の客をひきつける。
そうなんだ・・・・今の日本にシナリオや、ストーリーが無いように、
「明日無き世界」をコンテンツが迎えているのかもしれない。
2011.02.17
第7号 向井亜紀さん座談会
向井亜紀さんの、対談を収録した。
考えてみれば、向井さんにはもう4年以上も月刊美楽にご執筆頂いている。原稿用紙にして400枚以上の”お付き合い”。・・・・近々書籍にして出版してみたい・・・。
本日は、保険関連の会社の広告コンテンツ用の、座談会。彼女の知性と、品性と、強靭さは、最近のタレントさんには、滅多にお目にかかれない。
インタビューの途中で、子宮がんを宣告されて・・・・、やがて代理出産の決心をした時の、彼女の心理に話が流れた。死を覚悟しての彼女の心境を聞いていると本当に女性は、強くて逞しいと、実感した。
「お前痛くないの?体中に管を通して、針を埋め込んで」(夫の高田氏)
「あなたこそ、毎日、殴られたり、蹴られたり・・」(向井さん)
「いやぁ、僕は、表面の痛みには強いけど、体の内側からくる痛みは耐えられないよ」
確かに、世の男性は、痛みに弱いし、医者が苦手だ。僕も、多少の痛みなら我慢して、家で寝ている事の方が多い。女性は、出産の痛みに耐えられるように出来ているという話しも聞いた。月に一度の生理の時に、実質的に”死を迎える”とも聞いた。
いずれにせよ、向井さんは、どんどん大人の素敵な女性に成長している。
2011.02.10
第6号 テーブルウェア・フェスティバル
テーブルウェア・フェスティバル実行委員会(読売新聞社、株式会社東京ドーム)に顔を出した。普段は、野球か、コンサートに使用される人口芝のグランドは、”圧倒的な量の、テーブルと食器セット”の見本市に様変わり。
福岡ドームのプロデュースをした時に、年間のドームの借り手を捜すのに苦労したのを思い出した。あの頃は、”日本中がドーム・ブーム”で、現在の札幌や、名古屋、オリックスなどのドームは出来ていなかった、
「年間のホークスの野球試合は、せいぜい60日、残りの300日の借り手を探さなかんぞ」
ダイエーグループの故中内会長が、静かに命を下さった。
「まずは、福岡ドームの”旗揚げ”をどうするかですね。相当派手にしないと、”貸し館営業が死んどくなります。」
そんな、やり取りの後に、マイケル・ジャクソンやら、サイモンとガーファンクルや、マドンナやら続々と来福。
1994年は福岡にとっても、歴史的な活気的な一年、ドーム元年になった。
今や、日本中の各地に存在するドームは、植物の博覧会から、地元の小学生の野球まで、すっかり溶け込んだ施設になった。
それにしても、昨今この空間(スケール)を生かしたイベントは、気に止まらないし目に付かない。一日に20万人位、集めるコンテンツは無いものだろうか?
インターネットの影響で、”足を動かさない!”時代のマグネットは、無いものだろうか?
スタンドから、小さな食器が壮大に並べられているのを見ながら、そろそろ20年近く経とうとしている福岡の事を思い出している。
写真2枚目は、エコをテーマにした「経済産業大臣賞 大賞」のテーブル・コーディネート。
タイトルは、”休”。
2011.02.06
第5号 ヤマト運輸のいい仕事、上手いパン
銀座昭和通りを歩いていると、昔懐かしいパンの焼けるにおいがしている。スワンバーカリーの”うさぎパン”が、目に入った。
暖かい、うさぎパンは、この店のポリシーを象徴するかのように、丁寧な上品な艶が出ていた。
「これが、例の、スワンベーカリーか・・・・」
日本一、気持ちのいいパン屋さん。
何故か・・・・・・近々月刊美楽でも、ご紹介したい。
その理由は、
ヤマト運輸の会長だった故小倉昌男氏は、障害者の給与が「平均1万円に満たない」ことや、それが「仕方ない」で済まされているのを知り、それまでの自らの経験と経営ノウハウを注ぎ込んで「身障者雇用事業の向上」を目指すヤマト福祉財団を設立した。
同財団は経営の脆弱な福祉の事業所・作業所を対象にした実践的経営セミナーを開催するばかりでなく、ヤマト運輸とともに「アンデルセン」「リトルマーメード」の高木社長と組んで、障害者が就業できる焼きたてパン屋チェーン「スワンベーカリー」(株式会社スワン)を始めた。
9月19日、埼玉地域ファンド研究会が主催するCSR基礎講座「CSRと社会的起業 スワンベーカリーの挑戦」がさいたま市の北浦和カルタスホールで開かれた。CSR(Corporate Social Responsibility)は、「企業の社会的責任」などと訳されている。
今回は、スワンベーカリー北浦和店を経営している株式会社「千の風」代表取締役の飯塚哲朗氏の話を聞いて社会的起業とCSRを考えるものだ。
飯塚氏は元埼玉県職員。スワンベーカリー北浦和店を始めたきっかけは、小倉昌男氏との出会いだったという。長年福祉関係行政に携わってきた同氏は、行政だからできることや障害者福祉の難しさを語り、自ら会社を起こして店を始めた経緯と仕事の困難さについて述べた。ここでいう「仕事の困難さ」とは、障害者とともに働くことではなく普通のパン屋として他のバン屋と競争して経営を成り立たせるための苦労のことである。
障害者の雇用を促進する障害者雇用促進法では、一般の民間企業(常用労働者数56人以上規模の企業)の雇用率を1.8%としているが未達の企業も多く、特例子会社(障害者雇用の専用子会社)を設立して雇用率を達成している企業もある。
「一般雇用」を達成する障害者自立支援法については、当事者の負担増や仕事の確保などについて問題が指摘されている。それにもまして、スワンベーカリー北浦和店のような小企業が「一般雇用」を成り立たせるためには、他の企業との競争の中で普通の企業として生き残っていかなくてはならない。
ヤマト運輸の特例子会社である株式会社スワンは、障害者も働けるパン屋の仕組みをフランチャイズして、既存の企業や社会福祉法人などでの障害者の「一般雇用」を確保することを支援するばかりでなく、社会的起業によって障害者が「働く場」をつくることを支援している。
障害者雇用促進法での雇用率や特例子会社をCSRと捉えている例もあるが、そこから更に、このように社会的起業を支援する形のCSR、つまり、「ともに歩むCSR」も存在する。
2011.01.24
第4号 高層ビルの職人芸
高層ビルの職人芸。オフィスの窓から富士山を、口をあけて見ていたら
突然屋上の方から、揺れるようにゴンドラが下りてきて、僕の目の前に止まった。
すると、体を半分乗り出して、左手でロープを掴みながら、窓の掃除を始めた。命綱が長くドローリとビルの下に向って垂れ下がっている。
「今日は、ロープが4本だから、揺れませんよ」
「2本だと、揺れるんですか」
「揺れても、落ちませんから・・・・」
聞いてみると、リーマンショック以降、日給がダウンし一日8000円程度との事。職業だから、やがて練れてくるとは言うものの、強い風の日もあれば、冷たい雨の日もあるし、高いビルもあれば、古いビルもある。
日本は、いつの日からか、職人さんという言葉を使わなくなった。「職人さん」という言葉の響きの中には、「技術者」という言葉では、表現できない”生身の手の動きと経験”を感じる。
日本は、いつの日からか、”楽をして、お金を稼ぐ人たち”を評価し、汗水たらして仕事をする人たちを、貶すようになった。
若者は、ずるがしこく算盤の早い金融系の人たちに憧れ、人生を掛けて手に職をつける職人さんを、”下目目線”で見下ろす様になった。
「楽をすると言うことは、何も学ばないこと。人生は、とことん苦しんで見えてくる世界や景色がある」
ふと見ると、ピアピカに透き通った窓の向こうに、富士山が見えた。
職人は、日本の誇りであり、象徴でもある。
2011.01.22
第3号 銀座アカデミー賞
銀座らしくない夜。
買い物をする人の影もない。
首筋の冷える夜が続けざまに1月を通りすぎている。
冬眠すら安心して出来ない夜が続いている。
シャッターの降りた松坂屋の前で僕は車の窓を下ろして耳を傾けた。
サックスの美しい音が銀座の中央通りに流れている。
歩道を歩く人が、何人か足を留めてしまう。音。
何年前から吹いている錆つきそうなそうなサックスで、「ムーン・リバ ー」を奏でている老人。
チョコレート色の、サックスケースには、楽しげに穴があいている。
まだまだ、東京は捨てたもんじゃない。
凄いミュージシャンが、ふらりと、音を出せるじゃないか。
こんなライブが聴けるなんて、今夜は昔の事でも思い出そうかな。
「風に吹かれて、気持ちよく歌っていた頃の事」
2011.01.12
第2号 ハウステンボスの沢田さんと築地吉兆新年会
ハウステンボスの沢田さんと築地吉兆で新年会。澤田さんと
ゆっくり食事をするのは、何年振りだろうか。
1995年あたりは、まだ中国が発展途上というよりは、後進国の扱いを受けていたように思う。政府の特使とやらで、田中角栄さんが「中国にお返しする金魚」を返却に、特別機で北京に向かった。僕は、さしたる目的も無く選別されたメンバーの顔ぶれに、惹かれ北京に向かった。
釣魚台(迎賓館)のパーティの後、広大な池に新潟から持ち帰った?金魚を108匹ゆっくりと、流しこんだ。放流というより池に、そっと浮かして泳がせた。
ソフトバンクの孫さんや、パソナの南部さん、大徳寺の岡本さん、そして親友の神蔵くんに、澤田さん・・・・そうそう大阪北浜の橋本先生も。
あれから20年も、たって澤田さんはHISを見事な旅行会社に育て上げ、
いま新しい夢に、向かって必至に、仕事を楽しんでいる。
”金魚”を池に放した夜、何人かの仲間で、北京の繁華街の裏道にあるレストランで晩飯を食べた。
「人は、出会った縁と、死ぬまで繋がっている」
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