DIARY:夕焼け少年漂流記

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2015.01.16

相撲観戦

 相撲観戦。親しくさせて頂いている弁護士のT先生から砂被りのチケットを頂いた。横綱・白鵬は、以前「美楽」に執筆して頂いたこともあり、声をかけるわけにもいかないのは承知の上だが、その勇姿を久しぶりに観戦した。

 今、相撲界は逸ノ城、遠藤、照ノ富士という若手人気力士が誕生したことで、白鵬対ニューウェーブという構造になり、久しぶりの賑わいを見せ始めている。年寄と呼ばれるOB力士たちが育成する若手力士が、44ある各部屋に蕾のごとく華を咲かせようとしている。
 彼らは、やがて十両にもなると年収は出張手当やらボーナスなどいれると、1千数百万円にもなる。世のサラリーマンから比べると、結構な高額所得者となる。

【美楽の提案】
コンテンツビジネスとして、食品業界や飲食ビジネスを協会で考えてみてはいかがだろうか。例えば、安いちゃんこ鍋のチェーン店などなど・・・。





2015.01.07

マイファームの西辻さんの米

 マイファームの西辻さんが運営する棚田畑で今年も米がとれた。
 前回の美楽米も好評だったので、今回も2トンほどのお米を1キロずつ小袋に入れて、父の香典返しとして、お配りした。このお米は、棚田米で傾斜がきつい、しかも耕作面積も小さい、兵庫県養父市の段々畑で収穫された。
 日本における棚田は、どちらかというと地形的に急な山地が多い。西日本が多く、一方で東海地方や関東地方など大きな平野があるところはあまり目にしないような気もする。
 
 棚田は、階段状になっているため、排水能力が高い。よって、ワサビなどの付加価値の高い商品を栽培している畑もなる。
 今年のお中元は、「美楽ワサビ」でも作ってみようかと考えている。





2014.12.22

月刊「美楽」2015-1月号

美輪 明宏(長崎県出身)

 昨年の紅白の美輪先生の存在感は、一体なんだったのだろう・・・と考える。
 最近妙にテレビ出演が多く、タレント扱いされているようであるが、もし大衆芸術という言葉があるのであれば、我々観衆が美しさと強さ、弱さ、儚さを同時に感受できる最後の才能である。
「ヨイトマケの唄」を聴きながら、今の日本を嘆けかわしく思った人も多いと思う。





2014.12.15

カーコンビニ倶楽部の『愛車主義2015』

 カーコンビニ倶楽部の林社長に依頼されて、『愛車主義2015』が出来上がった。この本は、今年で3年目になるが、いわゆる林さんの名刺代わりになるようなイヤー・ブック(年度版)となる。
 日本にあるチェーン店化した店舗数は、コンビニエンスストアの5万5千店舗を筆頭に、ラーメン店、居酒屋から美容室、歯医者なども取り入れると、約10万店を超えようとしている。皆さんが街を歩くと、約400メートルに一つの店舗がどこかのチェーン店に入っている計算となっている。

 カーコンビニ倶楽部は、その中で飲食店や一般の消費型のチェーンと異なり、社会的使命を一層帯びているチェーン店である。なぜならば、この800店あまりのチェーン店は、地球環境から高齢社会、さらには福祉に至るまで、新しい日本の方向を担う義務と責任を持っている。
 
 10年後になると、日本の車は水素自動車と電気自動車と旧来のエネルギー自動車と混合された社会になる。国民の医療費は、およそ70兆円を超え、車椅子に乗っている人が700万人を超える。
 京都議定書から40年を過ぎようとしているあたりでは、地球全体のCO2規制が強化され、その中で八つ当たりを食らうのは間違いなく日本である。そうした中で、カーコンビニ倶楽部が環境適用車を扱ったり、車椅子をリースしたり、という風に業様を変化させながら成長していくことを考えると、心が躍るのである。

 かの有名なピーター・ドラッカーは、「社会革命とは技術とサービスによる変革が庶民の生活を変えることである」、と書いてある。




2014.12.12

浜離宮の運河

 浜離宮の運河の片隅の腐りかけた木製のベンチに座っている。
 日本にまだ少しはエネルギーが残っている頃、1985年あたりのクリスマスにこのあたりを訪れたことがある。
 あの頃は、“ウォーターフロント”ブームというのがあって、シャレた飲み屋やブティック、さらには今でいうIT企業の走りのような会社が東京湾の芝浦辺りを中心に、続々と移りはじめていた。

 来年2015年で、言って見れば“ウォーターフロント”ブーム30周年を迎える。すべての人が携帯電話を持ち、東京湾に大きな橋が4つもかかり、ゆりかもめが離れ島を結び、霞ヶ関と新宿と池袋にしかなかった高層ビルが、都内だけでものべ200本近く建った。

 諸行無常である。
 今あるものは、確実に無くなる。海ですら無くなるのであるから、街やそこに住む人々が今のままであるはずがないし・・・・。




2014.11.20

月刊「美楽」2014-12月

ダルビッシュ有

 あの炎天下の甲子園で、五万人もの観衆をわかし、日本中に勇姿を見せつけたダルビッシュが、いまや世界一の投手となって、世界中の野球ファンを魅了している。
 相撲やバスケットやテニスとは異なり、ここのところの野球界は、アマチュアとプロ、日本と世界という壁がなくなりつつある。今、テレビの前で彼の活躍を見ている高校生が、五年後に大リーグのエースとして、マウンドを踏む時代がきている。やはり、鉄は熱いうちに打たれるもの。




2014.11.10

まさに夕焼け。

 まさに夕焼け。

 圧倒的な色彩に、創造することさえできない。




2014.10.30

肝付高夫氏のこと

 肝付高夫氏が亡くなられた。

 彼は、私にとっていくつかの役割を演じてくれた。幼い頃は、茫洋とした島風のようで、どこか桜島のようでもあった。
 少年の日々は、権威であり、法律であり、もの言わぬ辞書であった。
 
 その後、飛び越えなければならない川となり、川を渡ったあとは無二の友であった。その晩年は、博識の弟のような存在であり、また無数の枯れ葉をまとった銀杏の大木でもあった。
 
 私は未だに父という言葉の意味が分からずにいる。

 
 2014年10月30日 午前1時35分




2014.10.20

月刊「美楽」2014-11月号

北野武(出身地:東京都)

 以前勤めていた会社の裏通りに文壇バーとして有名な「M」があった。毎晩そこに顔を出し、吉行淳之介先生や、遠藤周作先生などの文学界の巨匠と席を並べてお酒を頂いていた。

 ある夜に、ツービートを解散したばかりの北野武さんが御出でになられた。今からもう30年近くになる。北野さんの活躍をテレビで拝見して思い出すのは、あの頃の「M」の時代である。まだクリエイターという言葉もなかった時代のことで、しかし創作者のエネルギーが漲っていた時代であった。





2014.09.27

江副さんの記念碑

 江副さんの記念碑は、安比高原の入り口に建てられた。
 台風と台風の随に、秋晴れを感じさせる午後に、除幕式が行われた。まだ東北新幹線も走っていない頃に、この地に研修センターを兼ねたホテルとゴルフ場とスキー場を計画した。そのスケール感は、一体なんだったんだろうと、考えている。

 


 安比には、まだまだ無数の自然が息づいている。
 ゴルフ場にあるせせらぎには、山椒魚がいる。幻の魚といわれている岩魚も、数多く見かける。高原ではあるが、夏になるとカブトムシやクワガタが肩に止まったりもする。


 記念碑の向こうに、雲一つない夕焼けが空の色を赤く塗り替えている。黒い無数の点が、不意に記念碑を通り過ぎた。赤とんぼの群れである。そのうちの一匹が、記念碑の上に止まって、僕と目と目があった。
 ひょっとして・・・・・・・・・・
 
 今でも、明け方に携帯電話がなると、
「安比にいきませんか」
 と、誘われる夢を見る。



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