DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2013.03.20

第11号 月刊「美楽」2013-4月号

「入学式の朝」

 ちょっとした好奇心と胸騒ぎ、それから何となく不安をかき消すように、新品のランドセルに無頓着に入れこんだ。
牡丹雪のような桜の花弁が家の中に舞い込んで、畳の上で滲んでいる。
 
 あの頃も、そして今でも人生は粉雪のようだと感じている。人は、天に生まれて、地にしみ込んでいくもの。





2013.03.18

第10号 ラジオ収録

 FM調布で初めての公開録画があるというので、久しぶりにラジオ番組の出演をお受けした。以前、日本放送の朝の番組をパーソナリティの高島秀武さんと一緒に何年間か出演していたこもあって、マイクの前の自分が懐かしい。

 美楽という雑誌をつくり、発刊し、人よりは病的に神経質に日本語や言葉の意味に拘っているだけに、テレビやラジオの出演に関しては、基本的に断るつもりでいた。しかし、美楽の執筆者である神山先生のご紹介でもあり、またこの番組のプロデューサーでもある峯卓人、沙木実理さんがとてもよい人物なので、ほわほわと、のこのこと調布まで出かけていった。
 もう一つの理由として、公開番組というのは、言って見ればライブの演奏会のようなもので、聴き手の顔が見える。つまり、マイクを通して、電波を通して、流れ出た僕の声が宛先のない手紙のように世の中に出て行く、この不気味さや無責任さが少しはなくなる気もするから・・・・。

 学生時代、小金井市や三鷹市や小平市や国立市、そしてこの調布市は、僕が完全に掌握しているエリアであった、というと大げさであるが、毎朝のように午前4時から午前7時まで軽トラックをかり出して古新聞を集めては、授業料を稼いでいた時代があった。今の時代でいうと、さしづめ環境保全とでも言うのであろうが、ようはちり紙交換(当時は、”チリコウ”と呼ばれていた)を副業にしていた。
 
 「気分はいつもブルースカイ」というタイトルの番組であるが、僕にとってはこの三多摩で暮らした時代は生き方を見つけられずにいたグレーの時代であったように思う。




2013.03.07

第9号 ギター☆マン

 ギター☆マンの始まりは、15世紀のポルトガルの宮廷音楽のときに奏でられたリュウトとも言われているが、実は、人間の本能は打楽器にしろ、弦楽器にしろ、管楽器にしろ、音を出すことでコミュニケーションをするのではなかろうか。
 そして、この音に群がる瞬間に人々は時代を変えるいくつかの歴史的な事変を迎えることになる。

 ギターを手にした人は、日本だけでもおそらく数千万人を数えているはずだ。新宿のゴールデン街を店から店へとギターを弾きながらまわる商売のことを「流し屋」といい、数万人の聴衆をまるでヒトラーのように巨大な音で取り込んでしまうロックギターリストもいる。
 女性のエネルギーと神秘性を激しいリズムに変えていくフラメンコのギターリストもいる。
 協会の片隅で、懺悔をする少年に聖歌をアレンジして弾いているクラッシカルなギターリストもいる。
 薔薇の咲かない北の街の吹雪の中で、僅かな木漏れ日をたよりに、愛する人にギターを奏でる兵士もいる。

 こんな具合に考えていくと、ギターの音は、弦というメディアを通して、新聞やテレビや雑誌やラジオでは伝えることもできない心を、気持ちを伝えてきたのではないかと思う。その意味では、地球に住むすべての人々が、ギターマンなのである。

 1965年以降、第二次世界大戦のあたりで生まれた巨大な青年の層が、人口的には25億人とも言われている。彼らは、エルビス・プレスリーや、ビートルズといったヒーローを作り出し、そのヒーローは戦う兵士の勲章の変わりにギターをかざした。
 その後、日本にも彼らに憧れたたくさんのギターマンが生まれた。彼らと一緒に日本を探しにいく旅に出るのが、ギターマンである。






2013.03.04

第8号 カロライナ

 スパゲティナポリタン、ミートスパゲティ。いずれも野菜の小皿付き。
 僕にとってはちょっと辛めのビーフカレー。これも野菜の小皿付き。
 これらのメニューに、粉チーズを数十回ふりかけると、お皿は粉チーズ以外見えなくなる。この辺りの喫茶店としては珍しく、深夜12時くらいまで開店している。

 お酒も飲みたくない、歌も聴きたくない、テレビも観たくない。
 しかし、広告を制作しなければならない。
 そんな中途半端な気分のときに、僕は、粉チーズをかけることで、少しずつ自分を盛り上げていく。

 その意味で、カロライナは僕のクリエイティブの聖地であり、粉チーズに語りかける僕は、少し変わり者かもしれない。