DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2001.08.24

昨夜は天文館(鹿児島)の文化通りを往来していた。

昨夜は天文館(鹿児島)の文化通りを往来していた。多分大学生らしい二人組みの、ギターの路上ライブをボーっと聞いていた。僕も十代の終わり、こんな風に仲間とギターを弾いていた。

少し前、名古屋の栄公園の芝生で、当時僕が座っていたあたりの小さなベンチを、出張の合間に探しに出かけた。図書館も、テレビ塔も、中日タウンも当時のままで、このまま夜になると、あの頃のように無数の聞き手が集まり、反戦歌を唄い、ベトナムを語り、警察に囲まれ・・・  公園の芝生は、30年経った今も夏の湿度を含み、僕は居心地のいい開放感を思い出した。

ヴィトンの財布の中に、小銭が無かったので、近所の花屋で両替をし、ギターの二人組みにチップを渡した。若人、特に芸術を志している二人にお札を渡すのは気が引ける。路上の芸術家にもプライドと見栄があるはずだ。過去という思い出へのチケットを買わせてもらったお礼に、500円玉をギターケースの中に入れさせてもらった。

リヒテンシュタイン銀行日本代表の奥山君と、東田君。それに十勝大福の駒野君、コムサの田村君の4人が2つの班に分かれて、天文館を飲み歩いている。僕はそれぞれに顔を出して、行きつけの『マリー』に顔を出したのは、午前0時を回っていた。

父は猛暑のゴルフ場でも快調で、特にアプローチが上達していた。78歳にもなるのに、49でまわった。こちら若者?3人組は汗でグシャグシャになりながら、息を切らして毎ホールのグリーンに辿り着いた。それもそのはず、父はキャディーさんのゴルフバッグ運搬用のバイクを借りて、少年のようにフェアウェイを移動しているのだから。

シャンクが出始めたのは、昨夜、天文館で飲みすぎたせいだ。