DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2013.03.18

第10号 ラジオ収録

 FM調布で初めての公開録画があるというので、久しぶりにラジオ番組の出演をお受けした。以前、日本放送の朝の番組をパーソナリティの高島秀武さんと一緒に何年間か出演していたこもあって、マイクの前の自分が懐かしい。

 美楽という雑誌をつくり、発刊し、人よりは病的に神経質に日本語や言葉の意味に拘っているだけに、テレビやラジオの出演に関しては、基本的に断るつもりでいた。しかし、美楽の執筆者である神山先生のご紹介でもあり、またこの番組のプロデューサーでもある峯卓人、沙木実理さんがとてもよい人物なので、ほわほわと、のこのこと調布まで出かけていった。
 もう一つの理由として、公開番組というのは、言って見ればライブの演奏会のようなもので、聴き手の顔が見える。つまり、マイクを通して、電波を通して、流れ出た僕の声が宛先のない手紙のように世の中に出て行く、この不気味さや無責任さが少しはなくなる気もするから・・・・。

 学生時代、小金井市や三鷹市や小平市や国立市、そしてこの調布市は、僕が完全に掌握しているエリアであった、というと大げさであるが、毎朝のように午前4時から午前7時まで軽トラックをかり出して古新聞を集めては、授業料を稼いでいた時代があった。今の時代でいうと、さしづめ環境保全とでも言うのであろうが、ようはちり紙交換(当時は、”チリコウ”と呼ばれていた)を副業にしていた。
 
 「気分はいつもブルースカイ」というタイトルの番組であるが、僕にとってはこの三多摩で暮らした時代は生き方を見つけられずにいたグレーの時代であったように思う。