DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2011.09.21

第28号 上海のアンバランス

 歴史は街を造る。しかし、町の存在が、運命的に歴史を作るケースがあるように思える。
 そう上海は、いつも、毎日が歴史の中にある。今朝も、歴史が作られている。裏町に、期日を終えたマンション広告の不動産の看板が、無造作に立てられ、一方この町でさえ・・・失業した大陸内陸部の農民が、浮浪者になりビニール袋を枕に昼寝をしている。
慢性病のように、周期的に外国資本の影響を、受けやすいのは、国の政策なのか、この町の”癖”のような性格なのか?

この200年。落ち着かない歴史に、翻弄されるのは、揚子江の出口の海に近い地理的な場所柄から、諸外国の政治の舞台に使われやすいからであろうか?それとも、ここに、”住む竜の頭の数”が、中国のほかの町より、少し多く、隠微なのであろうか?

 人と街が、バランス良く機能しているかどうかは、そこに住む人々の顔に表現される。
 上海は、諦めを通り越して、どこかおっとりしている、すっきりしている長老と、金貨を収奪する強盗のような、バイキングたちが共存している。そこにある未来が、明と暗の間をフラッシュのように混乱する。この町で、どんな子供たちが育つのだろう。


 いい料理人と素材と器の様に,どこかしっくりと落ち着いて旅人にも安らぎ与える町がある。じっくりと弱火で煮込んだシチューのチキンのような深みと、釜で炊きだした米飯のような辛辣なエネルギー、もきちんと両立している町もある。
 フィレンチェや、金沢や、シェナンドーや、ロトルアでは、数週間のんびり凄し、深い睡眠を忘れ、毎朝寝坊をして、昼過ぎに朝ごはんを食べることもあった。そう・・・・震災前の日本のように。

 上海は、とにかく、今日一日をどう生きるかに、掛けるエネルギーが重要である。歩かない、休まない、笑はない、瞼を閉じない、・・・・。それが、上海と言う町の掟なのかもしれない。
 町は、肥大化し、そこに機能(インフラ)が追いつき、最後部を何億もの人間が走る。このアンバランスを、魅力的に思える資本家も、不眠不休で、滑走する。

 僕は、夜明け前に、ほんの僅か数分寝静まったフランス疎開を、ゆっくり歩いている。
 魚の骨を咥えた子供のカラスが別の大きなカラスに追われ、目の前を横切り、振り向くと教会の鐘が鳴り、高層ビルの上で、欠伸をした雲が朝を告げる。

 朝ごはんは、味噌汁が、飲みたい。