DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2011.08.03

第21号 上田正樹さんは順風満帆の予感

 上田正樹さんは、これからの音楽家として、順風満帆の予感がする。
 一口に音楽家、ミュージシャンと言われているが、その存在を、又は個性を考えていくと、音楽家と言うよりは話し上手なテレビ・タレント、見栄えの良いモデルさん、詩人、作曲家など音楽家と言うよりは、別なジャンルに分類はめ込んだいい連中(方々)が山ほどいる。

 音楽が、聞く人に向けられて存在する価値があるのであれば、そこには社会的責任もあり、複数の聞き手や、メディアを通して世の中に、広がる可能性がある以上それはメディアである。
 従って、音楽家を自称するのであれば、その誌、メロディー、その声の影響力を、考えてしかるべきなのである。ましてや、職業にしているのであれば、音楽家は、プライドを、持つべきである。
「わたしの、音楽の目的は、ここ・・・・なんだと・・・」

 最近、会いたいな思う人に、偶然出会うことが何故か、多い。
友人のN君の紹介で、上田正樹さんの、話が出た時も、数週間前に彼のDVDを
見ていて、「やはり、本物なんだな・・・・・」と感心していた。

 上田さんは、アジアのソウル(魂や情熱を音楽で表現する)は、欧米とは、異なり、場合によっては、それ以上のパワーがある・・・と信じている。それゆえに、インドネシアや、フィリピン、インド、台湾、韓国、中国と現地の音楽家と共に作品を作り、その活動を通して、日本の文化を伝播させている。

 そんな、彼の夢と気持ちと、”話”に、深く共鳴した。

 あの頃、僕は、人生を迷い、将来の職業や生活スタイルさえ判断しかねて、音楽から離れていった。
 臆病な事に、音楽を職業にしていく自信・・・”食べていく自信”が、無かったがゆえに、音楽を捨てた。音楽で、自分を表現することを放棄した。

 目の前の上田さんは、豊かな目をしている。好きなことを、思ったことを、歩くべき道を、選んできた男の誇りや情熱が、”目を肥やしている”。

「何か、気分いいですね、一緒に、日本を、伝えましょう」
上田さんの言葉に、僕は、恥かしながら、取り返すべき人生の時間と青春の
忘れ物を、捜しにいける予感がした、恥かしながら・・・。

 その夜、「大阪ベイ・ブルース(悲しい色やね)」と、写真の「今ある気持ち(東日本大地震のチャリティーソング)」を聞いた。
 久し振りに、ギターを持ち出して、流れる音楽に合わせて、弾いてみる。
少し、錆付いた気持ちの向こうに、暗くなった東京タワーが呆然と在る。
  
 人生の錆びは、意外と、磨けば、落ちるに違いない・・・しかし、光るまでには、今の僕には、何かが足りない。そう、あの頃と同じ”足りない”何かが、解からない?????