DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2010.06.15

第27号 宮澤正明先生とモンゴルの行く末

 モンゴル航空のご招待で、ウランバートルを訪ねた。一昔前は中国の事を”近くて遠い国”と言っていたが、今や、中国は”怖くて近い国”。その中国を400年以上支配してきたチンギスハーンの国「元」がモンゴルである。そして”近くて遠い国”と言う言葉がすっきりはまるのは、今日モンゴルであろう。

 成田空港から約4時間ちょっとで、この街を訪ねると、自分の肉体がなにかの音に共鳴する。昔からゆっくりと流れているリズム。”先祖の血が流れる音・音”。僕の体の奥に、この街のメロディーが刻まれている。

 写真家の宮澤正明先生から、写真集のご提案を頂いた。
「東さん、一緒に”蒙古班”をテーマに、本(写真集)を造りませんか?」
「蒙古班を持つ民族は、南米にも、アラスカにもいるんですよ」

 飛行機の丸い窓から、今にも抜け出しそうに、東アジアの丘陵地帯に向けて、何枚ものシャッター切っている。何時間も飛行しているのに、なだらかな緑の丘は続いている。

 宮澤先生の右脳は、今、赤い鬣(たてがみ)の馬に乗って、羊を追っている・・・・シャター・チャンスという想像力は、無限に広がっているのだろう。

 月刊美楽に横綱白鵬氏が連載している事もあって、僕にとってモンゴルは
馴染みで、お世話になっている国である。

 翌朝、早く目が覚めて、ホテル(コーポレイト・ホテル)の周辺を、歩いている。空気の中に塵が少ないのだろう・・・飛行機で見た周辺の緑の丘が
鮮明に見える。昔、色数の少なかったクレヨンで、書いた故郷の山々にも似ている。

 日本の盆地は、湿度が高く、過ごしにくいい所が多いが、ウランバートルは、一日の温度の高低差が30度を越えても、清清しい。しかし、昨夕の空港からの車の渋滞は、無差別に、無意識に、無計画に増徴するこの国の未来に、僅かな不安も覚えた。
 日本のように、急ぎすぎないで、適当なスピードでアジア歴史を重ねて欲しい。急ぎすぎるのは、”人間の欲望”であり、”その凶器”は、どんどん”人間の幸福”から遠ざかってしまう触媒でもある。


 モンゴル航空の粋な計らいで、なんと60名もの楽団(モンゴル国立音楽)が、私の為に集い、コンサートを特別に聞かせてくれた。
 この感動を、この秋かこの冬あたりに、この壮大な音楽隊とともに、このモンゴルの風を含ませて、みなさんにお届けしようと思っている。

 宮澤先生の数千枚の写真も、ウランバートルの出版社(イルムン社)で製作しその時に、お渡しできると良いのだが。彼と僕の友情と、”日本の人生”とともに。