DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2006.01.29

第3号「杉並区の和田中の藤原校長は、僕の“人生の栄養源”」

昨年の秋から、僕はこの日を手帳に赤くマークして楽しみにしていた。
30年来の友人の藤原氏から
「絶対に見てください!中学校に来てください!凄く面白い演劇ですよ!」と何度も念を押されていた。

和田中にお邪魔するのは、2回目。
生徒達に“生の社会や大人”を学ばせる「よのなか科」(藤原校長が設置)の講師として何故か?ギター演奏を頼まれて以来。

それは、大橋さんという女性プロデューサーが演出する彼女自身の半生記のミュージカルだった。
肌寒い校舎を抜けて、和田中の体育館に一歩足を踏み入れると、季節が違うのではないかと思うほど熱かった。
腰痛持ちの僕は、床に座り込んで既に始まっていた目の前の女性ダンサーたちの躍動を見上げた。

「誰が、どのタイミングで、指揮をしてるんだろうね?」
「東さん、“心の繋がり”がひとつひとつの合図なんですよ」

リハーサルの合間に、プロデューサーの大橋さんを紹介された。ダンスで鍛え上げた健康的な筋肉体に、愛らしい笑顔。
藤原氏が僕の紹介をすると、広報の加藤さんの手話を介して
「是非とも、私たちのミュージカルを応援してください」とニッコリ頼まれた。

どうして耳の不自由な何十人ものダンサー達が、あんなにも際だったタイミングで踊れるのか?壮絶な練習方法、密度の高いリハの時間、それに個々のダンサーの能力・・・・
きっと僕たちが失っている特殊なセンスが、あのチームワークを創りあげているんだなぁ。
大橋さんの肩越しに体育館の窓が見える。
「何事も活発積極、和田中生」というスローガンが貼ってある。

藤原氏と会うと、いつも“人生の芯とはずれている自分”に気がつかされる。
久し振りにいい日曜日である。