DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2005.11.26

第16号「摩娑斗氏の美しきオーラ」

写真集プロデュースの仕事で三軒茶屋にある魔娑斗氏のジムを訪れた。


人間が“肉を食べる動物”である限り、雄も雌も、強くて美しいものに憧れる。
ローマのコロッセウムで猛獣と戦った筋肉兵士も、スクリーンでアオーと叫んだターザンも我等人類の食欲が闘争化したシンボル商品であり、“飢餓感の象徴”であり、根源的には“倒して食べるという胃袋”のニーズから発生している。

したがって彼らの象徴的イメージは“強いものは残忍で醜いもの”とうのが歴然たる事実。
特に、昨今視聴率競争を展開している格闘技や人気底のプロレスや国際化してしまった相撲などが作り出したヒット・ストーリーのツボは、“嫌われるほど醜いキャラととても勝てそうでない繊細で知的な美男子が”が繰り広げる大一番での演出次第である。

しかし、市場は別の要素でも変化する。それは、雄と雌の支持率によるものが大きい。”美しき猛獣”の誕生である。多分、アントニオ猪木氏の登場以来、貴乃花そしてミルコ・クロコップあたりまで、最近では“美しく強いキャラ”でなければ客が来ない。
彼らがリングの上で冷酷な野獣に変身する劇画を楽しみにしている客が増えている。

その中で、魔娑斗氏の放つオーラには何処か“ひと昔まえのヒーロー”の色を感じるのだ。
それは、武士道にも共通する潔さとやさしさ、人を倒すことへの照れ、恐怖、恥じらいなのではなかろうか。