DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.04.13

4月13日(日)太平洋倶楽部成田コースの支配人だった古木さんが茨城の阿見ゴルフ倶楽部に移られて、今日は支配人のご招待でお邪魔することにした。

 成田空港方面のゴルフ場に1時間車を走らせるのと比べると、普段余り足を向けないせいか常磐道を使う茨城方面は、感覚的にずっと遠く感じる。おまけに、以前帰り道の三郷インターでひどい渋滞にあった経験から、つい苦手意識を持ってしまう。


 阿見ゴルフ倶楽部は、桜土浦のインターから30分ほどの平地に造られた箱庭のようなコース。油断するとグリーンの周辺に砂の難しいバンカーが随所に配置され、旗のポジションによってはパットのラインが難解なために3パットのボギーを数える。


 朝の1組でスタートし、前半のハーフは3オーバー、後半は雨に降られたため途中で上がった。ロビーで、ミルク紅茶を飲んでいると、半年振りに古木さんがご挨拶に見えた。何処であっても、いつ会っても慶応ボーイを髣髴とさせる紳士。アメリカではあの名門「べブルビーチGC」の支配人をされていた。

 初めてお目にかかったときに、

「ゴルフ場の仕事ですけれど、僕はサッカーが好きなんです。最近はマラソンに凝ってるんですよ」

 日本のゴルフ場が、バブル以降売上不振にあえいでいる一つの原因に、その所有者偏重の会員制度に振り回された無理なマネジメント 、つまり日本人に似合わないスノブな運営が挙げられる。会員制度とは本来その場所に、実体的に責任を持てる人が運営すべきなのだ。


 地域に溶け込んだマネジメント、地域の住人への特定サービス、地場の青少年の育成、そして馴染み易い支配人とスタッフ。


 古木さんの手腕で、阿見ゴルフ場の18番ホールに、秋のお米の収穫祭の“祭囃子”が聞こえてもおかしくない日が来るように。