DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.01.27

1月27日(月)昼の12時30分。部屋にうなぎが着いた。東京プリンスで始めて「うな重」を注文してみた。ホテル生活はシンプルでとても便利だが、このホテルにないものは歯医者と、サウナとうな重。

 この3つさえそろえば完璧だ。先週から雑誌や街角のあちこちで「鰻重」の写真を見る機会が多く。今日の昼飯はどうしても「うな重」にと決めていた。お客様と、少し小骨が感じられる「うな重」を食べながら「記憶」(新曲)について色々な意見を聞いていた。2時間も繰り返して曲を何度も聴いた。ELT(エブリ・リトル・シング)のバラードのアルバムを参考にもう少しサビをいじくってみようと考えた。


 午後3時過ぎの新幹線で名古屋に向かった。ここのところ通過することが多かった“青春時代の名古屋”で、停泊して友人と会う・・・・・考えてみれば昨年来から続いている“思い出の確認”が今の僕の生きるエネルギーを支えている。今回は、学生時代に一緒に暮らしていた杉浦 誠氏(当時も今もゴアという愛称で呼ばれてる)や、長屋さん、上手くいけば加藤文敏君とも再会できそうだ。


 予約しておいた広小路の「ヒルトン」の24階の広い部屋から久しぶりに名古屋の町並みを見下ろしている。駅の周辺に幾つかの高層ビルがたったものの薄く広く扇状に、のんびりと横たわった街のおおよその空気感は昔とさほど変わらない。若い時代にこの街を卒業して東京に向かったのは、豊かであるがゆえに、未来への集中力が感じられない落ち着いた都市に不安を感じたからだったのか?今、ようやく当時の不安定な心持が分析できるような気がする。


 最上階にあるレストランで長屋氏と昔話に花を咲かせている。あれから30年が経過した。灰色に近い白と透明に近い黒のモノトーンだった記憶の曖昧な部分が表情や指先を通して少しづつ色を帯びてくる。こんな経験も初めてだ。
 30年前の写真のところどころに色がつき始めた頃、レストランのバンドがビージーズの曲を演奏し始めた。思い出を訪ねる道のりにはいつも必ず音楽が流れている。


 夜が更けて安藤君がゴアを引き連れて迎えに来た。山本屋の「味噌煮込みうどん」を3人で食べようと街に出た。東京より冷え込むはずの街は、雨上がりのせいか妙に暖かだった。


 今夜、徹夜に近い状態で行うミックス・ダウンで織り上げるのは、「今」の自分を探す自分と、「過去」にすがる自分を認める自分を「記憶」をとおして曲にするという贅沢で楽しい作業になりそうだ。