DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.01.01

2003年1月1日(水)いつものように、毎年のことながら“歳の変わり目”の1週間は年末年始のイベントが入り乱れ、東奔西走しているうちに新しい年が明ける。

 そして大晦日は眠れない。埼玉アリーナでアントニオ・猪木さんの「猪木ボンバイエ」を最前列で観戦、その後、初詣のラッシュを警戒しながら有楽町まで車を走らせ友人の三瓶氏のプロデュースする「ゴールデン・ライオン」(これは本当に凄い中国サーカスの業師の集まり)のカウントダウン。芝の増上寺で人ごみをチェックし、紅白唄合戦を終えたばかりで、盛岡の安比スキー場でコンサートをお願いしている、さだまさし氏に“よろしく電話”。沖縄のリンケン氏に“どうですか?電話”を入れて・・・・・・・それから名古屋の安藤君に新曲2曲のミックスの状況確認・・・・・・。


 気が付いたら冷え冷えの大陸性寒気団があっという間に目の前を雪景色にしていた。数年ぶりにひらひら舞い落ちる初雪が東京の正月を白くすると何か胸騒ぎとともに、この星の異常事態を思わせる。


 この時期は昔から苦手で、非常識なことなのだろうが、子供の頃から一度も“新しい年”という実感を持ったことがない。年間のうちで普通の人の気分と一番かけ離れた寂しい1週間になる。
 僕にとって“新しい心”“気分一新”を生み出す機会は、門松を飾った元旦の朝よりは、毎朝の散歩で深呼吸をした瞬間に入り込む草のにおいや、サウナで水風呂に浸かってシュワっとくる感覚の奥に生まれる肉体的な刺激を覚える瞬間である。従って、キザな話かもしれないが気分の鮮度からすると「毎日が、お正月」ということになるのだ。


 マスコミに勤めていた父の代から東家はこういう祭礼行事にドライであったが(無関心ではないのだが)、そんな僕にも、鹿児島に帰って祖父の家に親族が集まって襟を正して書初めをしたり、池の掃除をしたり、雑煮をつついたり、小学生の頃、お年玉を楽しみにしていた記憶が仄かに残っている。しかしその頃でさえ、(子供心になんで、みんなこんなに“メデタイのかなぁ”と疑問を持ちつつ)親戚の子供たちからも一人置き去りにされてしまうのである。


 マスメディアを駆使して、誰かが日本人の精神市場をコントロールし、消費マインドを操るように考えたカレンダーに引きずられ、日本列島が無理やり“お正月ゲーム”をやらされているという欺瞞的な感じすらしてしまう。


 こんな“寂しがりやの偏屈なへそ曲がり”にとって、さらに厄介なのは行き付けの店や、茶飲み友達が東京から居なくなってしまうことである。(みんな普通にお正月を過ごしてるんだなぁ)。今年も、銀座組は当然としても、酒飲みの友人までもがスキーや海外旅行に出かけ、しかもスポーツジムは休業、・・・・・新聞も来ない、TV番組は昨年収録した偽造品ということで、疎外された気持ちのままの退屈な年明けになった。


 混雑する時間を避けて増上寺に出かけた。今朝の積もらなかった雪に濡れた石段を登り本堂で、手を合わせた。健康のことも、景気のことも、交通安全の事も、すべて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「今年は、みんな君に、まかせたよ」

こんな風に、仏様に祈ってしまった。新年早々、頼まれごとをされた仏様も、さぞ迷惑そうに苦笑をしているだろう。